「さぁ少年、もう1回弾いて!」
ピアノの横、つまり定位置に戻って言えば鋭く睨まれてしまった。え、何? なんで少年不機嫌になってるの?
理解できなくて首を傾けていると隣りから、くすりと笑い声が聞こえた。見ると見知らぬ少年が苦笑していた。
「僕には好きな人がいるからだいじょーぶだよ」
意地悪そうに、でもどこか優しく言った。
本当に好きなんだろうなぁって感じられる顔。好きな人がいるっていいな。残念ながら私にはそんな人いないから憧れる。
「…どうでもいいですよ、そんな事」
「そお?」
余裕綽々な少年と穴でも空ける気かってくらい睨む少年。ていうか、私置いていかれてる。なんの話? って聞こうとして口を開くと、私のではない高い声が響いた。
「天藾」
開けっ放しだった扉からうちの制服じゃない、見知らぬ少年と対になるような制服を着た女の子が入ってきた。
「あ、野棚さん」
「あ、じゃない。全く、こんな所で油売って、何してる」
しゃん、と背筋を伸ばして歩いて来るのたなさん、と呼ばれた女の子の腕の中には数冊の本。
どうやらこの少女が少年の好きな人みたい。てんらい、と呼ばれた少年の目が、安心したような嬉しそうな輝きをしていたから。
「油売ってたワケじゃ……」
「なら、なんだ?」
怒っているという雰囲気の少女と対照的に少年は困ったように眉を下げた。
これは助けた方がいいのかな? 少年(私の後輩ね)なんて無視して黙り込んでるし。目が合って、どうしようと聞こうとすると、知りませんというように逸らされた。……あとで覚えててよね、少年。
でも、なんていうか。入ってきた時の少女の声には心配みたいなものが伴っていた気がして、助けなんていらないんじゃないかなーと思ってたりもする。
「だいたい、無責任だろう。水森先生に渡せと言った物を他の人間に頼むなんて」
「えぇ、それなら野棚さんだって……」
「口答えするな。迷子になって遊んでるお前と違って私はちゃんと本を借りて来たんだ。人探しも満足にできないなんて、全く使い物にならない」
…思ったりしたのは勘違いだったかもしれない。
「あのーあんまり怒らないであげて?」
だんだん小さくなってく少年が可哀想になってきた。そもそも引き受けたのは私だし。
「水森先生なら、このさっきから関係ありませんーって顔した少年と仲良いから引き受けたの」
と言うと、気配消してた少年が私を睨んだ。仲良しが気に入らないらしい。でも睨まれるなんて怖くないけどね。ソレが少年の標準だし。
「だからちゃんと渡すから安心して?」
「……そういう事なら」
「そうなんだよ、野棚さん!」
「調子に乗るな、天藾」
許してもらえたと分かると、途端に笑顔になったてんらいくんがのたなさんから本を取った。その事にのたなさんが一瞬、戸惑うような顔をした。てんらいくんはニコニコ笑っている。
なんだか可愛いなぁ。
つられて笑う私を少年は呆れたようにため息をついた。少年にもこんな可愛らしさがあったら……怖いな。やっぱり無しでいいや。
「ところでのたなさん、きんぎんすなごって何か知ってる?」
突然呼んだせいかのたなさんは少し目を見開いて私を見た。
斜め下から「まだソレ引きずってるんですか、先輩…」と、ため息混じりの声が聞こえたけど無視。だって気になるんだから。
「そーだ! 野棚さんなら知ってるでしょ?」
「……なんだ、突然」
「七夕の歌あるじゃん? それに出てくる『きんぎんすなご』が謎で」
「あぁ。それはな、」
のたなさんはピアノの黒い屋根を見て続けた。まるでそこに書いてあるように。
「……『きんぎん』は、そのまま金と銀だ。『すなご』は砂に子供の子で、砂子。つまり、金銀箔を短冊や色紙や襖紙に吹き散らしたものの事だ。歌のだと、空には星が金銀の細かい砂のように光ってるって意味になる」
「へー」
「なるほど。のたなさんって物知りなんだね」
「無節操に本を読みまくってるから」
「…天藾」
じろりと睨まれて、てんらいくんは肩をすくめた。馴れてるみたい。
この2人は彼氏彼女なのかな。雰囲気がカチリと合っていて、口論さえも微笑ましく見えた。
そんな光景から視線をスライドさせて、少年を見る。相変わらずだんまりを決め込んでいるけど、てんらいくん達を視界に捉えていた。珍しい。他人に興味無しって感じなのに。あ、でも、ここで少年が私以外の人といるの初めてかも。
ちょっと不思議。
楽しくなってきて、微笑ましい口論を繰り広げる2人には悪いけど、もう1つ聞きたくなった。
「ねぇのたなさん、ごしきの短冊は?」
のたなさんを見て言うと、一瞬だけ私を見た。すぐに逸らされて、小さなため息。
機嫌を損ねちゃったかな? 図々しすぎた?
心配になって、てんらいくんを見ると大丈夫だよ、と言うようにニッコリ笑ってくれた。それから「野棚さーん?」と、彼女を覗き込む。のたなさんはしかめ面をして、てんらいくんを押し戻した。
「『五色の短冊』は赤青黄白黒の5色、他には中国の陰陽五行説の『木火土金水』で『仁礼信義恵』を表していたりする。それから、短冊は織り姫が機織りの名人だった事をあやかって、学問や書道の上達を願う飾りだ」
次から次へと七夕知識を披露してくれるのたなさんに、てんらいくんはへーそうなんだ、と相槌を打ってる。
少年なんて聞かなくても知ってます、みたいな顔でずっと澄ましてるし。むかつく。
しかし、それはまぁいい。置いておく。それより問題があるんだから。
…どうしよう、付いていけない。
困った。聞いたの私だけど、全然話に付いていけない。5色までしか理解できなかった。少年になら、ふーん、で済ませるけど初対面の子にそんな事できないし!
どうしよう、!
のたなさんを見ていれなくて視線をさまよわせてると、少年と目が合った(なんだか今日は少年とよく目が合う日だ)。
少年は相変わらず澄ました目で、私を見るなりため息をついた。それから仕方ないなって顔で手を鍵盤に乗せた。
奏でられる音は透明で煌びやか
静かな音色
唐突に始まったピアノに2人は驚いたようだけど、次第に引き込まれていた。てんらいくんものたなさんもピアノの音色に耳を傾けているのが分かる。
落ち着かせくれるピアノに、ほっと息を吐いた。
やっぱり少年のピアノはすごいなぁ。私の焦りはすっかりどこかに流れていった。
遠くへ消えて、おわり
「すごい! 少年、すごいよ、すっごくキレイだった!」
いつもなら私の歓声と拍手だけが響く音楽室に重なるもう1つの拍手。てんらいくんがにこっと笑っていた。
「ホントすごいねー、ねぇ野棚さん」
「……あぁ、綺麗だった」
「でしょでしょ? 少年すごいんだよ!」
私が褒められたんじゃないけど嬉しくなった。だって、少年のピアノは本当にすごいから。それを認めてもらえた気がして、嬉しい。
「ドーモ」
それなのに少年の無愛想ぷりったらもう! 鍵盤から視線を外しもしないで、たった一言。しかも、かけらの感謝も伴ってないのが分かるような声音で。
てんらいくん、苦笑してるし(のたなさんはよく分からないけど…)。さすがにそれはないと思うな。
「ちょっと少年! せっかく褒めてくれたのに、何その反応!」
少年の両肩に手を置いて無理やりお辞儀をさせる。「ほら、ありがとうございますーって笑って」と、言ったところで手をはじかれた。
不機嫌な目で見上げられる。
「何するんですか、先輩」
「ん? てんらいくんとのたなさんにお辞儀。たまにはギャラリーがいるのもいいでしょ?」
「……」
「あはは、冷めた目ー! ごめんね、無愛想で」
「大丈夫だよ、馴れてるし」
ピアノの黒い屋根に映るてんらいくんは同意を求めてのたなさんを見た。のたなさんは素知らぬ顔。
馴れってそういう事かなと思ったり思わなかったり。
「七夕と言えば短冊に願い事だよね。みんなはどんな願い事する? はい、のたなさんから!」
「………、本が、欲しい」
「出た! 野棚さんのそれ、もう趣味ってかビョーキだよね」
「そんなに好きなんだ、いいね」
「……」
「先輩、本とは無縁ですからね」
「少年、失礼!」
「活字読みたくないって言ってたのは先輩です」
「ふっ、はは!」
「てんらいくんに笑われたじゃん、もう! じゃぁ少年の願い事は?」
「…別に」
「えーあるんじゃないの? 少年くーん」
「………」
「そんなに睨まなくてもいーのに」
「……天藾、調子に乗るな」
「はーい」
「…静かで誰も来ない、没頭できる練習室が欲しいです」
「残念! 少年の願いは当分叶わないよ」
「ハァ」
「あからさまにため息つかない! じゃぁてんらいくんは?」
「僕? そーだなぁ、僕は。……今晩のご飯が美味しいぶり大根になりますよーに!」
「あはは、ぶり大根好きなんだ?」
「うん、好きだよ」
「鰤の骨を喉に突き刺してろ」
「ちょっ野棚さん?」
「あはっあはは! のたなさんってばキツいね!」
「…そういう先輩はどうなんですか?」
「んー? 私の願い事はね、織り姫と彦星がちゃんと会えて幸せでありますように、だよ」
「「「………」」」
「なんでみんな揃って見るかな」
「で、あとは?」
「それから、テストがなくなりますように、課題もなくなりますように、大学受験なんてー!」
「やっぱり」
「先輩さん、本音が出てるよ」
「あ。……少年!」
「先輩が勝手に言ったんです」
「きー! ホント生意気なんだから!」
「……ふふ」
「あ、今、のたなさん笑った?」
「…、……笑って、ない」
「えぇー笑ったよ、ねぇ少年?」
「知りません」
「ナニソレ、僕見てない!」
「笑顔ののたなさん可愛いー」
「うわ、見たい! もう1回笑ってよ、野棚さん」
「だから、笑ってない」
私とてんらいくんは笑ってて、少年は無表情で、のたなさんはちょっとしかめ面で。
いつもは響かない音が響いてる。
たったそれだけの事だけど、すごく楽しいね。水森先生に感謝だね、そう言えばきっと、少年もしかめ面になるんだろうなーと思って、また笑った。
七夕の縁
(天の川を越える橋が、こんなところにもできたよ)(っていう、お話です)