あなたが眠れなくなるのは、決まって満月がやわらかな光で世界を包む夜でした。


   
「眠れないの?」

私はベッドの中からあなたに語りかけました。窓辺にあるソファに横向きに座ったあなたは、空を仰いだまま言いました。

「うん。ごめん、うるさかった?」
「ううん」

うるさいはずがありません。あなたがたてるのは、右手にもつグラスの氷の涼やかな音だけ。

「あなたがいないと寒くて」
「ああごめん。もう少ししたらぼくも寝るよ」

嘘、と思いました。あなたは隣にこない。月が見えなくなる朝までは。
カラン、とまたグラスの氷が鳴りました。入っているのはワインでしょうか。赤紫の液体が光に透けてゆらゆら揺れていました。

「…そんなに、月が好き?」

あなたが初めて私に視線を向けました。明るい月明かりで表情がはっきり見えました。あなたの瞳は、私など映していないように虚ろでした。灰色の目が瞬きます。

「好き、と言うと少しちがう気がするな。普段は見向きもしないしね。でもなぜだろう、満月だと強く惹かれるんだ。ずっと、見ていたくなる」

なんだろうね、と小さく笑うあなたはきっと気づいていないのでしょう。自分がどんな表情で満月を見ているのか。

「とてもきれいだと思わない? きらきら輝いて、クレーターの影まで美しい。吸い込まれそうになる」
「…よく、わからないわ」

私が思い浮かぶのは、小さいころ図鑑で見たでこぼこの、薄青い奇妙な月なのでした。

「そうだね、きっと変なのはぼくなんだろう」

あなたはぽっかりと穴の空いたような声で言いました。
ふと、満月の夜は他の日よりも殺人や自殺が多いということを思い出しました。いつどこで、何で知ったのだろう。思い出せない。
まどろみが、私を襲い始めていました。私は月とあなたに背を向け、「おやすみなさい」と言いました。「おやすみ」とあなたのやさしい声が聞こえました。



最後に覚えているのは、眠る私の頭をなでるあなたの手のひらだけ。



目を覚ましたとき、あなたはいませんでした。書き置きはなく、荷物も残したまま。
連れて行かれたのだ、と思いました。
あなたはもう、戻ってこない。






それからしばらくして、ニュースである事件が流れました。満月がぽっかりと浮かぶ夜、男がある町を襲い、大勢を殺して警官に射殺されたという事件でした。よく知った犯人の名前を見て、私はひとり涙を流しました。



あなたが眠れなくなるのは、決まって満月がやわらかな光で世界を包む夜で。
私はそんな夜が嫌いでした。大嫌いでした。










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