ぼくがすべて背負うから。血にまみれたその手を舐めて、罪の名前を覚えているから。 だから。 だから。 Dが壊れたのは、不気味なほど白く大きな月が世界を支配する夜だった。 Dはその夜17人殺した。男も、女も、老人も、赤ん坊も、ゴミをあさる野良犬まで殺した。 彼が歩く度、道しるべみたいに血が落ちて、ぼくはそれを踏みながら後ろを歩いた。Dに殺された人間の虚ろな瞳が責めるようにぼくらを見ている。そんな眼で見るな。何も知らないくせに。罪を犯したのはぼくらだけじゃない。 「ははは」 大通りから狭い路地裏に入ると、Dが壁にもたれて笑い出した。カシャン、と彼の手からナイフが落ちた。 「やっぱり、だめだったよ。おれは」 「D」 名前を呼びながら近づくと、彼はぼくの前に両手をかざした。血にまみれた真っ赤な手。その手には、血で固まった見えない傷がどれだけあるの。 「ほら、真っ赤だ。もう戻れない」 「そんなことない」 ぼくは嘘を吐いて彼の手首を握り、頬を寄せた。むせかえるような血の匂いがする。ためらいがちに舐めると錆びた味が口に広がった。 「…なにしてんの」 Dが驚いたように言った。それに構わず舐めつづけると、次第にそれが懐かしく思えてきた。この味を、ぼくは知っている。 「お前犬みたい」 小さく笑った気配がして、ぼくは顔を上げた。Dは笑っていた。遠い昔、まだ天使の毛布に包まれていた頃の笑顔で。 「血、ついてる」 Dが親指でぼくの唇の端についた血を拭う。やさしい声。やさしい指先。かなしい瞳。 犬になりたい、と思った。こんなぎすぎすした手や薄い肩を持つ人間じゃなくて、ふれるだけでやさしくなれる、あたたかくてやさしい生き物に。 「どうしておれについてきた?」 耐えきれないというように、Dがぼくの髪に指を絡めた。 「知っているんだろう?両親を殺したのはおれだって」 重さを感じさせない、そのくせどこか怯えた声だった。断罪を待ってる罪人みたいな。 「…知ってたよ」 パパ。ママ。痛みの響きを持つ、昔確かに愛していた人たち。 「なら、どうして」 それ以上言わせないように、唇を合わせた。唇に感じる冷えた熱。体温がやさしいものだなんて、きっときみは知らない。 「それでも、そばにいたいって思ったんだ」 唇を離して言うと、目の前の真っ黒な瞳が痛みをこらえるように細くなった。 「殺すしかできないのに?」 「うん」 かまわない。生温かい温度を浴びて、きみが愛を感じられるなら。 「…目、閉じて」 いつのまにかDの手には銃が握られていた。ぼくは目を閉じる。カチ、と無機質な音がして、額に冷たいものが触れた。 「もう泣かなくたって、いいんだよ」 誰にも聞こえないように、息を殺して叫ばなくても、いいんだ。 そして。 一発の。 銃声。 「…どうして」 「…、さぁ」 「なんで」 「…わからない」 けふ、と小さく咳きこんだ。同時に口から血があふれ出る。 「なんできみが、倒れてるの」 そんな血の海の中で。そんな満足そうに子供みたいなあどけない顔で笑って。 「さぁ…でも、お前が死ぬくらいなら、死んでもいいかと思った」 とぎれとぎれの声で、Dが言う。 血に横たわるのはぼくのはずだった。伏せる薄い瞼で癒すのはぼくのはずだった。 たいせつなものになんか、なりたくなかったのに。 「死なないでよ」 ぼくは叫んだ。 「死なないで、死なないで、死なないで」 穴のあいた胸にすがって顔を伏せる。いやだ。しんじゃいやだ。ひとりにしないで。 「泣くなよ…」 ぽつり、とそれっきり。Dの鼓動が止まった。それが永遠だった。 「D…」 欺瞞に満ちた、ひかりの庭。最初にやさしさに耐えきれなくなったのは誰だった。 目を覚ましたのはきみがいたからだった。朝の光に震えながら、隣に眠るきみがいたから。 鐘が鳴る。朝が来る。 もう目は覚まさない。 ころされたってよかったんだ。 D。D。 きみがのぞむなら。 ← |