「彼が今一番大事な時期だということは、キミが一番知っているだろう?」

知っている

「彼に対しては私たちから話しておこう。新しい住居もこちらで用意する。キミはただ、離れるだけで良い。」

解っている

「これは来栖君のためなんだ。…わかってくれるね?」

「…それで本当に、翔はデビューできるんですよね…?」

「――あぁ。」

私が邪魔な存在だっていうことくらい、最初から理解していたよ。



ごめんね、翔




「お疲れ様でしたー。」

オフィスの警備員の人に声をかけて、会社を後にする
鞄を肩にかけ直し、溜め息を一つ吐いて空を仰いだ

「1週間…か。」

新しく用意されたマンションは、自分が今まで住んでいた所よりも遥かに綺麗だった
職場にも近くて、都会にも出やすい立地。
役所手続きなんかも全て翔の事務所がやってくれて、私は本当に楽に新生活を始めた
だけど


翔が、隣に居ない


昏い気持ちに飲み込まれそうになり、ふる、と首を振る

(…これで…良かったんだ…。)

私が事務所の社長の言葉に頷いた後、翔のデビューが正式に決まった
今頃デビューへのPRで彼は多忙を極めているんじゃないだろうか
それで良い
ずっとずっと、小さいころからの夢だったアイドルにようやくなれるんだ
心臓が弱いというハンデを乗り越えて、叶えた夢

私と出会う前からずっと、大事にしていたもの




「――莉緒!!」




響いた自分の名前に、身体が跳ねる

「…やっと見つけたぜ。」

「…うそ…」

聞き慣れた声と、見慣れた姿
真っ直ぐに私を見つめる彼に、自然と声が震えた

「職場まで変えてなくて良かったぜ。…1週間、ずっと捜してたんだからな。」

「な…っ、に、やってるのよ。デビュー、決まったんだから、ちゃんと仕事してきなさいよ…!」

「…それがお前が消えた理由かよ?」

「っ、」

核心に、容赦なく触れてくる言葉
駄目だ
こんな状態で、嘘なんてつけない

これ以上翔の声を聞いたら、泣いてしまう

くるっと踵を返し、翔から逃げるために勢いよく走りだす
自慢じゃないけれど足には自信があるし、この辺りの地理は私の方が知っている
撒けば良い
その後はまた事務所に連絡して、どうにでもしてもらおう
取りあえず今、ここから逃げなければ

「莉緒!」

名前を呼ばれ胸に少し痛みが走ったけれど、走る足を緩めることだけはしない
これで良い
これで良いんだから

「待て莉緒!…う…っ!!」

「っ!」

苦しむような声に思わず足が止まる
バッと後ろを振り返って、息を呑んでしまった

「翔!!」

心臓を押さえ、その場に蹲ってしまった翔に慌てて駆け寄る
辛そうに歪んだ顔に、血の気が一気に引いた

「大丈夫、翔っ。発作?待って、今救急車…!」

同じようにその場にしゃがんで、翔の傍に寄り添う
携帯から鞄を取出し、震える手で119を押そうとしたのだけれど、それは叶うことはなかった




「――捕まえた。」





――他の誰でもない、翔の手によって




「しょ…、」

状況がよくわからず、呆然とする
ただわかるのは、すぐ耳元で聴こえる心臓の確かな鼓動と、身体を包み込む温もり
ゆっくりと上を見上げれば、翔が不敵に微笑みを浮かべてみせた

「俺様の迫真の演技、中々のもんだっただろ?」

迫真の演技

その言葉の意味を理解した瞬間、かぁっと血が頭に上ったのが自分でもわかった

「し、信じらんない…!!嘘だったわけ!?」

「だってこうでもしねぇとお前止まってくれないだろ?」

「こっちがどれだけ心配したと思ってんのよ!?」

「うお!ちょ、そんな暴れんなっての!!」

抱きしめられた腕の中で翔を殴るように暴れるけれど腕の力は一向に緩んでくれず、むしろ強さを増して抱きしめられる
その熱に、ずっと胸の中で燻っていた想いが溢れて、嫌でも視界がぶれた

「莉緒?」

「こ、こっちが…っ、どんな気持ちで離れたかも知らないくせに…!!」

突き放してしまいたい
今ならまだ間に合うのに、思うように身体が動いてくれない
だってずっと、この熱を求めていたのだから

「…お前だって、知らないだろ。この1週間俺がどんな気持ちで居たかなんて、わかってないだろ。」

「だって、翔の夢の邪魔になんてなりたくないっ。私の所為で、翔の夢がダメになるなんて、耐えられない…!」

社長の言っていた言葉は、嫌というほど理解できた

翔にはちゃんと、自分の夢を叶える力があるのだから

足枷になんて、なりたくない

「…馬鹿だな、莉緒は。」

柔らかな声が、耳を擽る
そっと髪を梳いた手が頬を撫で、視線を合わせるように促してきた

「お前のおかげであることは沢山あるけど、お前の所為でダメになったことなんて、今まで一度もないんだ。」

「でも、」

「むしろ、お前が居ない方がもうダメなんだからな。」

ほんの少しだけ、眉根を顰めて
辛そうに吐き出される台詞に、心が震える



「他の誰の声も聞くな、俺の言葉だけ信じてろ。莉緒は、俺の傍に居れば良いんだ。」



青の瞳が、綺麗に私を映しだす
揺るがない意思、私を想ってくれている翔の心に、ぽろぽろと涙が溢れて止まらない

「だから…会いたくなかった…。」

「莉緒…、」

「会ったら絶対、別れるなんて出来ないって、わかってたから…っ。」

彼のシャツを濡らしながら、嗚咽交じりに言葉を紡ぐ

「好きなの、こんな…好きなの…。翔…っ。」

ずっと堪えていた想いが、あとからあとから溢れて止まらない
別れたくない、離れたくない
この人の言葉を、信じたい



「離さないで…良い…っ?」


紡いだのは、なんて自分勝手な言葉
翔の夢を誰よりも願っているのに、この温もりを手放すことのできない私の最大級のエゴ
それでもどうしても、願ってしまう


光り輝く世界へと向かうこの強い人を




隣で支えるのが、私であるようにと




「誰が何と言おうと、俺は莉緒のことを離したりなんかしない。――絶対にだ。」





優しく、愛おしそうに響いた声に

返事の代わりに、強くその身体を抱きしめ返した





――たとえ許されないとわかっていても





お願いどうか、私を離さないで






(茨の道を、それでも望む愚かな僕らに祝福を)



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -