作品 | ナノ


01

「ウソ…」

小さな声に振り向けば、二階の手摺から少しだけ身を乗り出したサンジと視線がかち合った。
次の瞬間ちょいちょいと手招きされて、心臓がドキリと音を立てる。
朝の騒動からこっち、サンジに呼ばれてはその後ろに着いていくを繰り返してる。
彼此このやり取りも8回目。5回を過ぎる頃にはウソップ≠ェ短縮されてウソ≠ノなった。そのうちなァ≠ニかおい≠ネんて熟年夫婦みてえなやり取りになっちまうんだろうか、なんて考えると、なんだかソワソワしちまったり。

「ここならいいだろ?」
「うん、まァいンゥッ」

キッチンには入らずに、サンジは二階の生簀脇。メインマストの影が落ちる壁際におれを押し込むと、言葉ごと唇を奪っていく。
ちゅむ、むちゅっと長めに唇同士が触れ合うも、時間にすればそう長くないし、サンジの事を思えばこそ長い引かせちゃいけない。
だから唇の隙間を忍び込んできた苦い舌先を、おれはやんわりと噛んで追い払う。

「てめ…噛むんじゃねェよ」
「だって煙草の代わりなら舌入れなくてもいいだろ」
「ケッ!つれねェの」

サンジはぐる眉を不機嫌そうに歪めると、その場におれを置いてキッチンへと戻っていった。
そう、煙草の代わりにキスをしている。なんでそんな事になったのかといえば、サンジの煙草の買い置きが無くなったからだ。
粗方朝食の皿が空き始めて、みんなが食後のコーヒーを楽しんでいる時に事件は起こった。

「あれ?!嘘だろ?!!」

珍しく動揺した声がキッチンから聞こえてきた。いまだに朝食の残りを口に掻き込んでたルフィ以外のみんなが何事かと動きを止める。

「絶対一個あった筈…勘違いか?いや、んなわけねェ!どこ行った?!」

ガサガサ、ガタガタ何かを探すサンジの気配は暫く経っても止む事なく、「どうしたのサンジくん?」とナミが声を掛けてやっと手を止めて事の詳細を話しにダイニングにやってきた。

「棚にストックしてあった煙草が一箱無いんだ」
「…たかが一箱で、みみっちい」
「うるっせえクソ毬藻!!ただの一箱じゃねェ!最後の一箱だったんだ!!」

確かにあったと思うんだけど知らないかと尋ねるサンジに、またゾロがカンに触る返しをして口論からの乱闘だ。
早い段階で関わる事をやめた女達はさっさと部屋を出て行き、フランキーやブルックも「ほどほどにな」なんて言って順に部屋を出て行った。
そこでその場を唯一収める事ができるおれ様が2人の間に入って仲裁役を買ってやったのだ。

「まあまあ落ち着け2人共!ホラ、ゾロ!今こいつ気ィ立ってるから何言っても無駄だって。一々関わってたらバカ見るぜ」
「…確かに、器量の小せェ男構ってても時間の無駄だな。馳走になった。おいルフィ!早めにずらからねェとアルツハイマー眉毛に逆恨みされんぞ」

言うや否や、意地汚く皿に残ってたソースを舐めとってたルフィの襟首を掴み、とっとと部屋を後にした。
ゾロはおれの話は比較的すんなり聞き入れてくれるからこういう時は非常に助かる。
面倒なのはこの男だ。

「誰が認知症だコラ!逃げてんじゃねェぞクソ毬藻ッ!!」
「どうどうサンジくん!落ち着いて〜ハイ深呼吸〜!」
「してる場合か!おいウソップ!煙草が無ェんだどうすんだよオィイイイ!!!」
「マジで落ち着けっての。昨日ナミが言ってただろ?」

ナミの予想ではあと2、3日の間に島に着くだろうとの事だった。そこには港町がある予定なので、一泊しつつ消耗品の補充を行う。 そこで各役割を割り振られたのが昨日の午後。

「つまり、明日か明後日には煙草は手に入る!」
「そりゃ分かってんだよ!だからその1箱を大事に吸おうと思ってたのにッ!無ェんだよ!!なんでだクッソ!!!」
「無いもんは仕方ねェだろ?ホラ!煙草代わりにおれ様の魅惑の唇を吸っていいから我慢しなさい!!」

立てた親指で自分の口を指差すおれ。きっと背中にはドーン!なんて効果音が出てただろう。
おれとしては半分マジ、半分ギャグの一環で、どう転んでも「ふざけんなよクソッパナ!」位の返しを予想してた。虫の居所最悪なサンジのことだ、十中八九は蹴られるかも…なんてちょっと身構てたっていうのに、当のサンジは「じゃあお言葉に甘えてそうするわ」なんて言葉と共ににあっさりと引き下がった。
提案しといてなんだが、どうしたサンジ?!
おれとチューした所でニコチンの代わりにゃならねェだろサンジ!!
煙草を失ったショックで正常な判断ができなくなったのかサンジ!!!マジで大丈夫かサンジィイイイッ!!!
などと言うおれの心の中の叫び等知る由もなく、サンジは仕事の合間、口寂しくなるとおれを呼びつけ口を吸うを繰り返し、繰り返し、繰り返しまくって時は過ぎた。

まさかこんな展開になろうとは…

星の輝く夜空を見上げながら、ハァと白いため息をついた。
この海域は夏島と秋島の中間あたり。夜風はだいぶ涼しいけれど、吐く息が白くなる程寒くはない。
じゃあ何故ため息に色が付いているのかといえば、なんてこたァない。煙草の煙、所謂紫煙ってやつ。
無いもんは仕方ない、なんていけしゃあしゃあと言いながら、サンジの煙草はしっかりおれの鞄の中に入っていた。つまり犯人はこのおれだ。

「はァ…我ながら馬鹿な事しちまったよなァ」

くだらない事をした自覚は重々ある。でも昨日、あの時は我慢できなかったんだ。
島に着いた後の消耗品の調達に、サンジは勿論食材、調味料担当になった。ちなみにおれはフランキーとブルックと一緒に資材担当。島に降りた直後に資材集めに回るおれ達とは違って、サンジの買い出しは鮮度や価格調査の関係で船で発つ当日になる。

「初日は市場回りしながら煙草の買い出しだな…はァ、町があってくれて助かったぜ。煙草は切らすわけにゃあいかねェからな」
「んな大袈裟な。無くて死ぬもんでもねェだろ?」
「いや死ぬな。そりゃ1日2日でどうこうなりゃしねェだろうけど…そのうち禁断症状でメンタルおっ死ぬ自信がある!」
「なにそのダメな方に振り切れた自信!あーやだやだ、ニコチン中毒怖ッ!」
「うっせェクソッパナ!レディと煙草!この2つが切れたらおれは死ぬ…って、もうこんな時間じゃねェか!そろそろ寝るわ」
「あっそ、おやすみ〜」

サンジの淹れてくれたらホットミルクがまだ残っているおれは、男部屋へと引き上げていくサンジの背中を手を振りながら見送った。
ダイニングテーブルに座るおれの横を通り過ぎ様、サンジは「あんま夜更かしすんなよ」の言葉と共に、指でおれの顎をすくい上げて挨拶代わりのライトなキスをして去っていった。
さて1人残されたおれ様。徐に立ち上がるとサンジのテリトリーであるキッチンへと入っていって、勝手知ったる棚の中とばかりに煙草の買い置きがある其処をバーン!と開け放つ。
普段なら馬鹿程積んである煙草の山が、いまや寂しくガランとしたスペースに箱が1つ転がるだけ。
おれは迷う事なく手を伸ばして箱を引っ掴むと、肩にかけっぱなしのがま口鞄に無遠慮に突っ込んだ。

「あー、どう言い訳してコレ返そう…」

人目に付きにくい船尾の手摺に腰掛けながら、片手で煙草を燻らせて、もう片手で開けたばかりの煙草の箱を弄ぶ。
罪悪感のせいからか、軽い筈のそれが今はなんだか重たく感じる。
煙草に嫉妬しました!ごめんなさい!!と、3回目のキスあたりでそう素直に言えてればよかったんだろうけど、生憎照れと気まずさが買って結局1日が終わっちまった。
女はまァ分かるから、よくはないけどいいとして、昨日の言い分だと煙草が無いとサンジは死んじまうんだそうな。
そこでおれはカチンときちまったんだ。
ソコ煙草じゃなくておれじゃね?!そのポジションは恋人であるおれさまだろふざけんな!!とか思っちまったおれを今はどつき倒してやりたい。
それだけならまだしも、つまり煙草ってアレじゃん?使い捨てだけど、常にサンジの唇と接してる…それってもうキスじゃん?!おれだって1日数える位しかしてないのに、煙草の野郎は何回、何十回、何百回もサンジとキスしてるって事になんのか?!!絶許!!!とか割とマジで思っちまってたおれを誰かいっそ殺してくれ。

「なに考えてんだろおれ。煙草に焼くとか正気じゃねェ」

もういっその事、この煙草は海に投げ捨てて無かった事にしたらどうだ?
自己嫌悪に苛まれるおれに、おれの中の悪魔が耳元で囁いた。
モッタイナイオバケに祟られそうな提案だけど、ビビりで小心者のおれの中の天使という名の理性や良心たちは、全会一致で「そうしちまおう!」と諸手を挙げて賛成した。
そうと決まればやる事は1つ。闇夜に紛れて出来るだけ遠くに煙草を投げ捨てるだけだ。
いざ証拠隠滅!と火の付いた煙草を咥え、まだ中身がギッシリ詰まった箱を右手に大きく振りかぶった所でどこかのドアが開く音がする。次いで聞こえた声に、おれの体は大きく跳ねて固まった。

「ウソップ?!どこだ?」

カツカツと甲板に響く革靴の音が確実にこっちに近づいてくる。
投げの姿勢を崩してワタワタと手の中で小さな箱を躍らせて、とっさに後ろ手にそれを隠した。
これで一安心とホッと息を吐いたのも束の間、咥えたままの煙草からは細い白煙が出続けている。
これまた慌てて靴で煙草を踏みつけた所で足音はおれの側でピタリと止まった。

「何してんだこんなとこで」
「べ、べっつに〜?お前こそどうしたんだよ。そろそろ寝る時間だろ?」
「おう。だから寝る前の一服しに来たんだよ」

当たり前だろと言いたげな顔でサンジはおれに手を伸ばし、程なくしてほんのり熱を持った唇がおれの唇に押し当てられた。
サラッと頬に当たる濡れた金髪は風呂上がりの石鹸の香りで、抱きしめてくる手は普段より温度が高い。
柔らかい唇と、力強い手、自分とは違う体温の気持ちよさに、思わずうっとりと目を閉じちまう。

「なァ、ウソップ。昨日の話、覚えてるか?」
「…きのう?なに?」

角度を変えて何度かキスをされた後、急にサンジが口を開いた。
昨日のなんの話かと首を傾げると、小さく笑って今度は頬に軽くキスされる。

「レディと煙草がなけりゃ死ぬって話」
「あァ、あれね…」

忘れる訳がない。むしろつい今その会話を思い出してた所だ。

「あれ続きがあんだよ。おれさ、この船に乗るようになって煙草の本数増えたんだ。なんでか分かるか?」
「なんでって…ストレス?」

バラティエでの料理人生活もそりゃ忙しかっただろうけど、あの時サンジは沢山いる料理人の中の1人だった。変わって今じゃこの船の料理人はサンジ1人だ。うちの船のクルーはまだ少ないとはいえ、船長があの調子じゃあ1人での仕事はさぞ大変だろう。
そりゃ煙草くらい好きに吸わせてやんなきゃ可哀想か。
そうおれが1人脳内反省会を始めた所でサンジから「おい!」と声がかかる。

「テメェまた1人で変にクソネガティヴ入ってんだろ?!違うからな!おれの煙草の本数が増えた理由は口寂しいからだ」
「口寂しい?」

鸚鵡返しで繰り返せば「そうだ」とサンジは頷いた。

「可愛い恋人が四六時中側にいるんだぞ?キスしたくなるに決まってんだろ。それにキスしたら触りてえし、なんならなし崩しにセックスしちまいてえ」
「セッ?!!おまッ!!」
「仕方ねェだろ年頃なんだからよ。で、そこで煙草の出番だ」

煙草を吸ってれば口は煙草を咥えてるからキス出来ない。キスしたい気持ちを煙草を吸う事で我慢して、本当に我慢が効かなくなった時だけキスをする。そうすりゃ仕事の手も止めず、初心でスキンシップ慣れしてねェお前の心臓も安心だろ?と、サンジは得意満面でそう言った。

「今日だけで何回キスしたか覚えてるか?言っとくが、これでもまだ我慢した方なんだからな」
「ま、マジで?」

思わずどもっちまったおれ。だって今日一日で数えきれない程キスされた。これで我慢されてたなんて言われたら、こいつは一体どんだけおれとキスすりゃ気が済むんだろう。
まさか嫉妬の対象だった煙草こそがおれの身代わりだったなんて、とんだ嬉しい予想外だ。

「だからおれのメンタルの為にも、お前のメンタルの為にも煙草は必要だろ?」

ニヤッと勝ち誇ったように笑われるのが悔しいけど、確かにサンジの言う通り。キスしてもらえるのは嬉しいけど、あんまり頻繁に、しかもみんなの目を盗んでなんて、おれの小鳥の心臓が持ちそうにない。

「…っつーわけで、コレは返してもらうからな」

すいっとおれから離れていったサンジの手には、いつの間にやらおれが隠していた筈の煙草の箱が握られていた。

「え?あ!!いつの間にッ?!!って、あれ?おれが持ってたの、何で知ってんだ?!」
「あ!テメェ吸いやがったな!一本だって貴重だっつうのによォ」

おれの問いには答えずに、サンジはブツブツ言いながらライターを取り出すと、早速煙草に火をつける。そして美味そうに一本ふかして見せた。

「あー、クッソ落ち着くわ…で、なんだっけ?おれがお前のイタズラに気付いてた理由か?」

コクコクと赤い顔のまま頷くおれを見てサンジは何を思ったんだろう。フウッと煙草の煙をおれに吐きかけながらこう言った。

「そうだな。島に着いたら教えてやるよ、一晩かけてじっくりな」

色気たっぷりな微笑みを残してサンジは平然と船内に戻っていった。
一方のおれはというと、早く島に着いて欲しいような、でも着いてほしくないような、複雑な思いを抱えたまま暫く夜の海を眺めていたのだった。



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