愛してると言われた瞬間、まるで夢のように幸せだった。けれどずっと好きだと思っていた相手からの突然の告白にゃ流石のおれさまも混乱しちまったのさ、情けねェことに。
「な、なに言ってんだよサンジ。口説く相手間違えてんじゃねェか?」
しどろもどろで答えたおれに、ふっと小さく笑ったサンジは大丈夫だと口にする。なにが大丈夫なのかおれにはさっぱり分からねェよサンジ。
「そんなに困った顔しなくたって、別にお前をどうこうしたい訳じゃねェ。襲いたいのでもねェし、お前に無理に応えて欲しい訳でもない」
「え、いやちょっと」
「お前が優しいのなんか知ってるからなァ。おれがこんなことを言えばそりゃ例え無理にだって応えてくれようとするだろって思ってた。いいんだ。悪かった、ただ気持ちがクソ溢れちまっておさえきれなくってな」
言うだけ言って背中を向けるサンジ。待ってくれ。おれもずっとお前のことが好きだったんだ。言い掛けた所で、だけどもしおれが応えて、それでサンジの夢が醒めちまったら? 応えなければ、おれはこの夢を見たままで居られるんじゃないだろうかなんて。
我ながらずるい奴だと自分でも思うけどあらがえなかったんだ。その甘美な夢の誘惑に。
おれは応じることが出来ずに、サンジは気持ちを伝えた後は全くそれを感じさせない顔の日常に戻った。まるで愛していると言われたことが夢だったかのように。
「……なにが、夢だったのかなァ」
独り、真っ暗な空のしたで誰にともなく呟いた。船縁にもたれ掛かる両腕に、船は悲鳴を上げるかのようにぎしぎしと声を上げる。つぎはぎだらけの船の声に耳を傾けながら、目を閉じた。
「いっか。全部夢でも……、幸せだったのは本当なんだから」
愛していると言ってくれた男の言葉。隣で笑いあった日常。船に響いていた仲間達の足音や、笑い声。もぎたてのみかんの瑞々しさや、洗濯物を船いっぱいに干した時のかくれんぼ。なにもかもが例え夢であったとしてもおれは確かに幸せだった。楽しかった。
「なァ、メリー。楽しかったよな」
問いかけに返事は返らず、けれど応えのように船がぎしりと音を立てた。そう、楽しかった。本当に。
――愛していた。
船を下りるその瞬間でさえも、確かに。
「好きだったんだ」
「ァア?」
「今更だろうけどさ、お前のことずっと好きだった」
新しい木の香りが立ちこめる、傷のないキッチン。長い時間を掛けて、やっとおれは潔くそう応えた。
「お前に言われるよりも前から好きだった」
「がッ、て、っめェなに言って」
「お前に告白された時さ、夢みたいだって思っちまったんだ。応えたら夢が醒めちまいそうで、だからずっと先延ばしにしてた」
でも、諦めないとな。鼻の奥がツーンとするのをごまかすように小さく笑う。
「ちゃんと言わねェと、お前が前に進めないだろ。おれが未練がましくしちまうかもしれねェけど、しないように気をつけるから」
「おい!」
「おれの嫌なとこも弱いとこも全部さらけ出してお前らみんな巻き込んで、それでも不思議なくらいに後悔してねェんだ。辛い思いさせちまって、悪かった。ごめん。お前の気持ち聞くだけ聞いて、宙ぶらりんのまま船を下りちまって」
本当は全部決着をつけてから下りるべきだった。きっとその所為でお前を余計に苦しめちまった。こんな気持ちを伝えたら、もう完全に嫌われたって仕方ない。それだけのことをしたんだ、おれは。
「全部諦める。夢は醒めるもんだ。だから最後に一度だけで良い」
キス、してくれないか?
口にした瞬間、目の前の男から一切の表情が抜け落ちた。
え、っと驚く間もなくガッと唇になにかがぶち当たってくる。痛ェ! 一瞬殴られたかと思うくらいの痛さになにをされたのか確認しようと、衝撃で閉じちまっていた目をこじ開ける。すると目の前に燃えるような怒りに染まった青い瞳があった。
「え、んンぅ?!」
近い。なにをされたんだ? 殴られた? いいや、違う。警戒していなかった唇の間を強引に割って入り込んできた熱い舌におれの舌も絡め取られて頭の中は大混乱。もしかして、きすなのか、これ? と思い至った頃には荒々しい口づけに翻弄されてなにも考えられなくなっていく。
そのキスははじまりが突然なら終わりも突然だった。唇が離れた直後、乱暴に胸ぐらを掴まれてサンジの怒りに染まった碧眼がおれを睨む。
「…………」
「ご、ごめん。こんな怒るくらい嫌なことさせちまって、ありがとうなおれ諦め」
「諦める為のキスだ? 一度きりのキス? 夢から醒める? 黙って聞いてりゃクソ好き勝手なこと垂れ流しやがってふざけんなよてめェ!」
「え、サンジ」
「誰が諦めてやるか!! 誰が納得なんかしてやるか!! いいか夢なんかじゃねェし夢で終わりになんてさせてやる訳ねェだろうがクソっ鼻!」
一度きりのキスの筈が言い終わったサンジから再びキスされる。ファーストキスだけで諦める筈だったのに、こんなことをされたら諦めなくってもいいのかななんて思っちまうだろ。
「諦めろなんて誰が言った? 言ってねェだろ、そんなことを言うのはお前くらいだ。このクソネガティブ野郎が」
セカンドキスをして離れたサンジが、おれの顔を見て怒りに染まっていたその瞳を和らげた。バカだな。呟いた料理人の手がおれの頬を優しく撫でる。
「ばかだなァ、お前は。そんな泣きそうな顔するくらいなら、そんなこと考えてんじゃねェよ」
「……サンジ」
「ファーストキスがラストキスなんてそんなもん、おれは認めてやらねェからな」
夢から醒めたってその現実は変えてやらねェんで、精々覚悟しとけよウソップ。
サンジの声に、その言葉に、ああ夢から醒めてもこの人を諦めなくてもいいのかと、堪えていた涙がぽろりと溢れた。けれどこれは辛い時の涙じゃなくて、きっと幸せの――。