いい夫婦の日 「トールちん!昼ごはんまだー!?」
「おなかすいちゃったよ、トール」
「……もう少し、待て」
雪の降り積もる北国の、ある小さな家でまるでそこに当たり前にあったかのような温かさの日常を過ごす4人。
「てかてか、今日ってなんだっけ〜?」
「私はお肉がいいな」
「バルドルはいつもお肉しか食べないでショ!」
「あの、トールさん。私も手伝いましょうか?」
「……大丈夫だ、もう終わる」
「はい、わかりました」
大事だと、愛しいと思える相手と一緒に北欧神話の世界へやって来た人間代表のナマエ。彼らと過ごしているうちに自然と惹かれあい、恋に落ちた。様々な出来事があり、一度は元の世界へ帰ろうと思ったこともあったが、愛しい人と離れがたくついてきたのだ。
「……っ?」
そして数か月経ち、いつものように4人で昼食を食べようとテーブルを囲んで座っているときだった。ナマエに、唐突な眩暈と吐き気。
だがそれも一瞬のことで、気が付けば少しの怠さを残したまま跡形もなく消え去っていた。
「……出来たぞ」
ちょうど料理も運ばれ、特に気にすることもないとそう思い、意識は完全に逸らされていた。
「待ってましたー!……うっわァ☆今日もおいしそー!」
「本当においしそう。……いだたきます!」
「いただきます!」
可愛く盛られたおかずをフォークで刺し、口に運ぶ。普段はおいしくて感動するはずの場面だが、やってきたのは再び猛烈な吐き気。
「……っ!」
ガタっと席を立ち、トイレへ駆け込む。後ろから「ナマエ!」と叫び声が聞こえたが、今は気にしていられる余裕がない。
「っ、うぇ……げほっ、」
あまりきれいではない音を立て、ナマエは洗面所へ嘔吐した。……そして少し落ち着くと激しい頭痛に襲われ、立っていられず座り込む。外から「どうした!」「大丈夫か!」と気遣う言葉が聞こえてくるが、返答できる気力がなかった。
「ぅ、うっぷ、ぉぇえ……」
抑えられない吐き気と頭痛、そして気怠さから逃れるように、ナマエは意識を手放した。
◆
「ん……」
「……ナマエ!大丈夫か!」
「トール、さん……?」
意識が戻り、ゆっくりと目を開くとズキンと頭が痛む。だが、目の前にとても心配そうな彼が見え、自然と声をかけていた。私が声をかけたと同時に安堵の息を漏らすが、少し悲しげな表情だ。
「……料理に、なにか問題があったか?」
「い、いえ!!全然ないです!」
強く否定しすぎて、咽かえり頭にギィンとした痛みが響く。ぎゅ、と目を瞑ったときにガチャリと扉を開く音が聞こえた。
「……ナマエは大丈夫そう?」
「……いや、まだ顔色が悪い」
「ん。……ねェ、ナマエ、ちょっと喋れる?」
「はい、大丈夫です」
入ってきたのはロキのようだった。バルドルはいないのかと確認しようにも、身体が鉛のように重いのと、気怠いのとで動かすのが億劫で、声を出すのが精一杯だった。
「あのさ、今ある症状全部言ってくれる?」
「え?……えっと、吐き気と、頭痛と、気怠さ……でしょうか」
「フーン。……なァんだ、心配ないジャン☆」
「……ロキ?」
真剣な表情から一転、ぱぁっと煌めいた表情になる。
「オレ、知ってるヨ。それ、絶対「つわり」ってヤツだね!」
「つ、つわり……!?!?」
「……!」
あまりにも衝撃的な言葉すぎて、身体に出ていた症状が全部吹っ飛んだと錯覚するくらい驚いてしまった。それは、トールも同じようだ。
「んもー、習ったでショ?……まァ、ただの風邪っていう線もあるんだけどネ」
確かに、トールとそういう行為をしたことはある。が、数回だ。指を折って数えられる程度しかないのに。……恥ずかしさと照れを隠すために私は布団に深く潜り込むことにした。
「何週間も続くようだったら完全につわりだかんね!」
「……あ、ああ」
「んじゃま、オレたちは帰るよ。バイビー☆」
バタンと扉が閉じられた音が聞こえ、潜り込んでいた布団から顔を出す。……ふいに目が合ったかお互いに気恥ずかしさですぐに逸らし、なんとも言えない空気に陥っていた。
「……子供、か」
「!」
その沈黙を破ったのはトール。一応籍は入れてあるし(正式な結婚式が行えないため)、いつできてもおかしくはない状況ではあった。
「……きっと、かわいいんだろうな」
「ト、トールさん……!」
が、まだ風邪だ、という線も残っているのにトールは完全に、に、妊娠だと思い込んでいる。普段は顔色を変えない人のくせに、こういうときだけすごく嬉しそうに微笑むからずるい。
「……名前は何にするんだ?」
「き、気が早いですって!」
「……いずれはできるんだ、構わないだろう」
「!!!」
本当に、本当に本当にずるいと思う。……でも、こういうずるいところも好きになってしまった私が負けなのだと素直に認める。
「……なにかいるか?」
「あ、じゃあ……、お水を貰ってもいいですか?」
「……ああ。……もってくる、待っていろ」
パタン、と静かに閉じられた扉を見つめて、私は少し思案した。
「(……子供、か)」
やはり、実感はない。ただ、先ほどの症状は一概に風邪と言ってしまうにはひどすぎる症状だとも思った。……ただ、一度認識してしまうと、名前は何がいいだろうとか、どんな服を着せようだとかそういうことに意識がいってしまうのも確か。
「(……お母さんって、呼ばせよう)」
私は、これから成長してくれるであろう子供が授かった場所をなぞり、静かに呟いた。
「……早く、産まれてきてね」
いい夫婦の日
(なんて名前にしましょうか?)
(……強そうな名前がいいな)
(ばっか、趣味悪すぎでショ!)
(いいじゃない、二人に任せれば)