誰にも渡さない ぽつんと夜空に浮かぶ月。……ほんの数日前、私は現代へ帰る選択肢をチャーリーさんに託した。……後悔がないかと言えば、それは少し嘘になる。でも、思い出せないことの方が多く、明治には大切だと思える人も出来た。それを捨ててまで現代に帰りたいかと言えば、答えは「否」だった。だから、私は。この大切な人がいる「明治時代」に残った。
「みゃーお」
「あれ、あなたは……」
猫相手に、「あなた」と使うのもおかしい気がするけど、今は気にしないことにした。それよりも、あの猫は春草さんが口説き落としている猫だ。……のしんのしんとゆったりとこちらへと近寄ってくる。
「……ん」
気が付けば私の足元にすり、と顔を寄せて喉を鳴らしている。……なるほど、春草さんほどではないが美麗字句を並べるのもわかる。暗闇の中でも漆黒の毛並は妖艶に煌めき、琥珀色の瞳が妖しくこちらを見つめている。
「……ごめんね、何も持ってないの」
「にゃーん」
手を差し出せば、手にもすり、と艶めいた毛並を寄せる。そして離れ、構えた後。私が座る縁側の隣へと飛んで、腰を下ろした。
「…………」
……本当に春草さんがこの猫に惚れこむのもわかっちゃう気がするなあ。だってなんだか……、人の気持ちがわかるみたいなんだもの。
「……にゃあ」
「……ふふっ」
「みゃあ?」
「……ねえ、今夜は月が綺麗だね」
猫相手に何を言ってるんだか、と思いつつも月を見上げる。……途端ギシっと軋む音が聞こえ、私が振り向こうとしたとき。
「……君、猫相手になんで告白してるんだよ」
「しゅ、春草さん……!?」
「変わり者だとは思ってたけど、まさか猫に惚れこんでるの?」
「(しゅ、春草さんに変わり者って言われた……!)」
変わり者、とか猫に惚れこんでる、とかそれ全部春草さんじゃないですか、と言おうとして口を紡ぐ。口に出したが最後どんな言葉を言われるかわかったものじゃない。
「……なんで黙ってるの?まさか本当に、」
「ちっ、違いますよ!」
それはない、確実にない。……慌てて否定すると訝しげな視線が送られてくる。春草さんこそ、私が春草さんを想ってるってことちゃんとわかってるのかな……。
「君は俺のものだ。誰にも渡さないよ」
「えっ」
シンクロ、した。……それがなんだか嬉しくて、ふふっと笑みを零すと。
「余裕そうだね?」
「え、あの、ちがっ……んっ」
「んっ……」
唇が重なる。……優しく舐めるようなキスから、だんだんと情熱的に積極的になってくる。息が続かなくて、酸素を求めて口を開けば舌が入れられ余計に呼吸が迷子になっていく。でも、それも嫌なんかじゃなくて。
「しゅ、んそさっ……はぁっ」
「わかってる?俺は嫉妬深いんだよ」
「はっ……んっ、んぅっ!」
ニヒルに笑みを浮かべて再び唇を重ねる。息がしづらくなると唇を離して、また重なっての繰り返し。
「だから君が猫であろうと好きだなんていうのは面白くない」
「……ふぅ、はぁ……っ」
甘く痺れるせいで、ろくに返事もできないのに、頭だけやけに冷静で。この状況を嬉しく思ってみたり。
「…………なまえ」
「ひ、ひゃい……」
「好きだよ」
とろけそうな笑顔を作って、私にそう告げる。私も嬉しくなって、拙い発音で好きです、と伝える。そうしたら耳元で「知ってる」と囁かれ、再び、けど先程とは違って穏やかに唇を重ねられた。……くっきりとした満月が私たちを煌々と照らしていた。