仮巣
 


「あ」
「え?」
関東上空一〇〇〇メートル、夜、雨。
ウイングヒーローの名を冠するホークスでも躊躇するような環境の中、そいつは蹲るように浮いていた。警戒したホークスとは裏腹に、そいつは濡れてびしょびしょになった髪をかき上げて、へらりと眉を下げる。
「……見逃してくんない?」
「いやいや無理でしょ」
表情も状況も敵意はなかったが、頬に切り傷があった。事件性アリ、そもそも公共の場での個性使用は原則禁止、なにより雨の上空は身体を冷やす。
「アンタ、家は?」
「訳あってさっき帰れなくなった」
「訳」
「そ、迷子、家無し子」
「迷子は浮かないんじゃないすかね」
「ごもっとも」
癪なことに迷子の保護もヒーローの仕事だ。どこか適当な事務所にでも送り届けようと、不審者の首根っこに剛翼を数枚ひっかける。猫のように移動させようとすれば、若干の抵抗が挟まった。
「あ、ちょっとできればここ管轄のヒーローは勘弁して」
「は?」
「揉めてんのそこの関係者」
 ほらこれ、と人差し指がなぞった頬の傷から血が垂れる。
「……マジで?」
「はは、信じなくてもいいけどさ」
「ま、真偽はさておき。立場上無視もできないんすよねえ」
 幸運にも古巣から指示されたアパートはほぼ真下で、雨足はどんどん強まっていた。



「バーで働いてんだけどさ、常連の女の子に気に入られちゃったぽくてね。しかもよくわかんないけど妄想?空想?を後押しするタイプの個性らしくて。でその子まさかのヒーロー事務所の事務員だったぽくてさあ」
 あ、おじゃましますう、なんて間延びする挨拶をかました不審者は、なるほど明るいところで見ると随分清廉な見た目をしていた。優男、とでもいえばいいのだろうか。有体にいえば頼りなさげな、かといって芯はありそうな。メディアに多く出演して目が肥えているホークスでも、まあ厄介なのは寄ってくるだろうなと納得できる風体だ。「そりゃあたいへんだ」相槌を打ちつつ、目を引く派手さはないが、懐に入りやすそうだな、と分析する。
「いま自称恋人が家のキッチンで血肉じゃがつくってるんじゃないかな」
「……肉じゃがって肉とじゃがやないんですか。ケーサツ行きんさいよ」
「ヒーロー事務所所属のエリートと半グレのプーは信用度がダンチでしょうが」
「半グレ?」ヒーローとして一応流せない単語を聞き返せば、「いやグレっつっても迷惑かけてんの労基と税務署だけよ」と慌てた反論が返ってくる。まともな職に就いているのか怪しいところだが、まあこの限界多様性社会にはままあることなので深入りはしないでおく。
「俺いちおヒーローなんで、職場後で教えといてくださいねー」
「おっけすぐやめるから3日まってくんない?」
 自信満々な不審者にタオルを投げつけて部屋の暖房をONにする。剛翼を適当にバラしてタオルで水気を拭っていけば、タオルを頭にかぶったまま「へえ、おもろそれ」と小学生みたいな賛辞を頂いた。湿った羽を乾燥兼警戒で周囲に散らして、さて、と不審者に向き直る。
「で、本題なんですが。俺の仕事はここの管轄ヒーローのすっぱ抜きです」
「渡りに船すぎる」
「とりあえず詳しく話伺いたいんで。俺は着替えますけど、アンタどうします? 服なら支給品の貸しますが。下着とかも俺のサイズなら新品あるみたいなんで」
「あー……」
 なにやら口ごもった不審者は、「いちお言っとくんですけど、」と前置きして頬を掻いた。
「私、女っすね」
 ズザザザザッ 音を立てて、ホークスが平行移動で飛びずさった。

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