りんごはオンバットに取られていた
後ろからかかった声に振り向けば、見知った顔のおじさんが手を振っていた。彼は小さな食堂を営んでいる、気のいい人だ。
「こないだはありがとな。手伝ってくれてよ」
「いやいや。奥さんの風邪は大丈夫?」
「お前のおかげですっかりさ。悪かったな」
「いやいや悪くないよ。俺も楽しかったからさ。駄賃ももらえたし」
「はは、またお前に会いたいって客がいるんだ。機会があったら頼むよ」
「仕方ないなあ」
笑えば、おじさんは紙袋いっぱいのリンゴをくれた。うん。やっぱりいい人だ。お礼を言って受け取って、俺は歩を進める。
ここ──ナックルシティは古い街だ。かつての城塞を最大限活用した街並みは、厳かで美しい。
外側から見れば、の話だが。
一度裏道に入ってしまえば、そこは迷路だ。古く角が取れた石の階段に、何年も塞がれたままの扉、どう見たって開かない窓なんてものはザラで、枯れた水路や井戸も多い。不気味な雰囲気ではないし、特別治安が悪いわけでもないけれど、この街で生まれ育った大人だって、この街の半分の道も知らないだろう。
そんな入り組んだ小道に足を踏み入れて、薄暗い建物の影を進んでいく。一番高い塔─現在のジムの裏側近づくにつれて隠れ家的な店も減り、厳かな塀と塔のみが立ち並ぶ区域になる。
その中のひとつ、かつては小さな見張り台だったのだろう塔の2階部分。清潔なシーツがかかった干し草のベットと小さなタンスがあるそこが、俺のねぐらだ。
しゃくり、ベッドに腰掛けてリンゴを齧れば、みずみずしさが口いっぱいに広がった。寄ってきたジグザグマにも分けてやる。うまかろううまかろう。ところでガラルのジグザグマって白黒なんだね。おれがプレイしたルビサファだと茶色かったんだけどな。すげえや最近のポケモンは。
リンゴを一つ食べ切って、芯はタンスの上に置いておく。あとでベトベターとかにあげよ。
さて、どうしようかな。服の替えもまだあるから洗濯は大丈夫だし、体を洗うのは一昨日済ませた。試しに匂う?とジグザグマに嗅いでもらったら、リンゴの匂い、という評価をいただいた。大丈夫そうだ。
早めに休むか、久しぶりに探検にでも行こうか。そう考えていたら、後ろの石壁がべろりと頬を舐め上げた。ぞわわわわ
「びっくりするだろボス!」
声を張り上げれば、壁から顔を出したゲンガーがキシキシと笑う。毎度毎度、本当に勘弁してほしいがゴーストタイプは仕方がない。しかもこのゲンガー、この辺一帯で一番強いのだ。俺も世話になってるし。
「で、何?どうしたの?」
なになに?
はぐれモノズが城塞の奥に迷い込んだ?
うわあそれは大変だ。
こっちの話も聞かない?
ああ、狭いとこ入ってパニックになってるのかな
よりによってオンバーンの巣の近く?
夜になったら騒がしくなるじゃん。あいつら割と好戦的だよ。まずくね?なんとかしないと。
うむ、短い腕を組んで頷いたゲンガーは、オーライ、と腕を振って背を向けた。
「……同じあくタイプならなんとかしろって?」
それをいうならそこのジグザグマだってそうだろ。そう振り向いたら、いつのまにかそこにはりんごの芯しか残ってなかった。あいつ食い逃げしやがった!悪いやつだ!あくタイプだけに!
「わかったわかった。行くよ。案内してボス」
最悪りんごで釣るしかないかな。まだりんごが入ってる紙袋を抱えて、ボスを追いかけた。
◇
案内されたのは狭い路地、の奥にある元水路のような古いトンネル。アーチ状のそこは、階段とランプを乗せる窪みがあるのでもしかしたら通路なのかもしれない。ナックルの裏路地は詳しいつもりだったが、こんなところは知らなかった。少年心が燃えたぎってしまう。
「ボス、こんなとこよく知ってたな」
ケタケタ笑ったゲンガーは、誇らしげに壁に溶け込んで天井からバアと飛び出す。楽しそう。確かにそれがあればどこだっていけるだろう。
「いいなー。この辺で知らないところなさそう。何のための道なんだここ……」
え、実際ここ使ってる人も見たことある?
偉い人が薄着の女の人と通る道?
わあつまりそういう連れ込み的な裏道?
「ふは、すげー俗っぽいじゃん。つーかそれ何年前の、……お?」
冒険に似合わない笑いをこぼしながら歩いていると、少しひらけたスペースについた。大人がギリギリ立ち上がれるくらいの低い天井の、部屋にしては狭い場所。用途はいまいちわからないけれど、多分裏道的な場所なのだろう。
どこかに繋がっていそうな扉がいくつかあるが、ゲンガーはそれらをスルーしてさらにその奥のトンネルに向かった。確かにモノズに扉は開けられない。
「ここ?」
ギャ!と返事が返ってくる。なるほどこの奥。子供が屈めば通れるような高さだ。うーんこのままだと入れないか。よし。
「ボス。このりんご持っててくれる?……さんきゅ」
ふー、と息をついて、くるりと後ろに一回転。着地は四足で。もぞもぞと自分の服から這い出れば、ちいさなゾロアのお出ましだ。
そう。俺はゾロアである。ガラル本土には生息してない、あの黒いわるぎつねポケモンだ。生まれは近くの島だけれどハブられたり攫われたり云々かんぬんあって海を渡ったこのナックルに住み着いてはや数年。さらにその前は人間だったりもしたが、この辺は丸っと割愛する。
四つの足で穴を進む。
細いけれど、人間の姿でも四つん這いになればギリギリ通れそうだ。モノズを怖がらせかねないのでやらないが。
「おーいモノズー……っと」
おっととこれは人間語だ。がうと鳴き直せば、少し先からきゅーんと返事が返ってきた。壁で反響して、響いてから冷たい石の壁に吸い込まれていく。人間の時より色々聞こえる三角の耳がひくひく動いた。響き方からして、この先、おそらくは部屋になっているのだろう。それもかなり広い。
「なーんでこんなとこに……つか案外綺麗だな」
ポケモンたちの通り道にでもなってるのかも。そうやってノロノロ進んでいると、ゆるやかな上り坂のトンネルは案外すぐに終わった。
頭上にぽっかり空いた穴から外に這い出ればそこは真っ暗な倉庫のような場所だった。分厚い本やら壺やら、古めかしいものがたくさんあって、背筋が泡立つような落ち着かない匂いがする。振り返れば石のタイルと分厚いカーペットがズレていて、モノズが下から無理やり押し上げたのだとわかった。ぎゃー器物破損。
きゅうきゅう鳴いている犯人を探せば、錆びた鎧の隙間にモノズが挟まっていた。特徴的なお尻だけが見える。ほんとなんでこんなところに。ぐるると安心させるように喉を鳴らしながら近づいて、足の辺りをそっと噛む。
おーい出てこい。え、なに?抜けないの?
哀れな器物破損犯は挟まってしまってるらしい。少し引っ張っても抜ける様子がない。下手したらドンガラガッシャンだ。それはまずい。だってここ、割と人間が管理してそうだ。音で侵入がバレたら面倒なことになるだろう。不法侵入も罪状に追加。まあポケモンなんで知ったこっちゃねーけど。
仕方ない。モノズにおれが人間になっても怖くないか聞くと、しばらく間を開けたあとに、大きい人はやだ、との返答が。そうと決まれば話は早い。
いつもの青年の姿は怖がらせそうだと判断して、今度は少年の姿に化ける。奴隷服みたいな簡素な格好だけれど誰も見てないし構わないだろう。服ごと化けるのは容量食うから長くは持たないのだ。良くて数十分ってとこ。不器用なので。
「っしゃ、うごくなよ」
そろそろと積み上がった鎧を崩してモノズを掘り出していく。話を聞くに、他のドラゴンの気配に惹かれてこちらに来たものの、いざ近づくと怖くなってしまって隠れたそうな。へえ、ドラゴンの気配ね。そういえば人間になってから、あの背筋が微妙に泡立つような感覚はだいぶ和らいだ。あれがドラゴンの気配なのだろうか。
そうこうしてるうちに、モノズが動けるようになったらしい。慌てて抜け出したせいで、残っていた鎧の部品がカシャンと音を立てた。
「落ち着けってば。あーもう」
きゅん、と鳴いたモノズは申し訳なさそうに少し離れたところでこちらを伺っている。仕方ないなあ。
「俺片付けるから、そこの穴入って戻って、」
「……誰かいるのか?」
ガチャン、と積まれた鎧がまた音を立てた。逆光で、大きな男のシルエットが突然浮かぶ。ギャウン!と聞いたことない音は多分モノズの声だ。慌てて穴に入ったのだろう気配がする。あいつおれ置いて逃げたな!?いいけど!
「おーい、誰かいんなら出てこいよ」
部屋に入ってきた男が、ぱちんと電気をつけた音がした。電気あったのかよ!?そんなおれの混乱をよそに、急な明かりで目を瞬かせたおれと男の視線が、ゆっくりと交わった。
「……は?」
「こ、んにちは」
にへら、そんな擬音がつきそうな顔でとりあえず笑っておくと、男──思ったより派手なお兄さんはぎゅうと目を瞑って眉間を揉んだ。
「おれさま、疲れてんのか?」
「そうかも?」
「返事もしやがる……」
はあーとデカめのため息をついて、派手なお兄さんはこちらを向く。幻覚の類だと思われているらしい。これ上手くいけば不法侵入とか器物破損とか誤魔化せないか?
「ね、お兄さん。眩しいから電気消してくれない?」
「あ、ああ……」
パチン、とあたりが暗くなる。その隙にくるりと一回転してゾロアに戻った。よしよしお兄さん混乱してるな。あとはこっそり逃げるだけだ。
「なあ、なんでここに子供がいるんだ?」
「うーん、実はおれ、子供じゃないんだよね」
「じゃあおれさまの夢?」
「夢かもしれないし、そうじゃないかも」
適当に返事をしつつ、穴にそろそろと近づいていく。ズレた石のタイルとカーペットを音を立てないようなおしなおし。おれの分の隙間は残しておいて、後で閉めればいいだろう。目立たなそうな場所ではあるからなんとかなるか。
「ひょっとしてオマエ、人間じゃないのか?」
「へー、なかなか鋭いねお兄さん。難しいこと聞くじゃん」
「……ま、どっちでもいーか」
「え?」
投げやりな声色に視線をやれば、お兄さんがドア横に体を預けていた。人間の目には碌に見えないだろうに、ぼーっとこちらを眺めている。表情が抜け落ちた相貌は、何かを見ているのか疲れているのか。どちらにしても、逃げづらい。どうしたもんかと固まっていると、げぎゃ、と足元から声がした。
「……ボス?」
すりぬけてきたのだろう。床から半分だけ顔を出しているボスは、こちらを見て、お兄さんを見た。なるほど、とでも言うように目を細めて、姿を消してお兄さんの方へ飛んでいく。りぃんと微かに空気が震える、エスパー技の気配がした。
「ちょ、手荒なことは、」
「は?」
そのお兄さん疲れてるっぽいし、と止める間もなく、お兄さんの身体がゆらりと傾いた。 慌てて駆け寄って、青年の姿で身体を支える。ぎりぎりセーフ!!頭打ってないよな!?
慌てて確認すると、すぐにすーすーと穏やかな寝息が聞こえてきた。ボスが呆れたようにこちらを見ている。え、何この人そんなに頑丈なの?ヌメルゴン抱っこできる?化け物かよ。というか知り合い?有名人?
やれやれとでも言わんばかりに肩(?)を竦めて、ボスはこちらを指差した。言われた通り自分を見る。いつも通りの肌色の人間の手、肌色の腕と身体。
つまるところ、パンツしか履いていないおれ。
「ぎゃあ!」
慌てて離れたもんだから男の身体は分厚いカーペットに沈んだ。なるほどボス。おれが抱き止めなくても怪我しなかったわけね。さすが。言ってくれよ事前に。
「……さいみんじゅつ?すぐ解ける?」
ボスはにんまり笑って両手をぱっと広げた。10分、いや6分くらい?手加減した?器用だね……
「ありがと、ボス」
そうと決まれば撤退だ。ゾロアに戻ってぶるりと体を震わした。早々に引っ込んだボスを追いかけるように穴に入って、中からカーペットを慎重に戻す。
「お大事にね。お兄さん」
ニヒヒ、とあくタイプらしく笑って、おれはその場を後にした。
◆──◇──◆
ゾロア
名前はいっぱいあってな!
どこにでもいる普通よりだいぶ人間好きなゾロア。人間嫌いの群れのボスと気が合わないし人間以外に化けるのがあまり得意じゃなくて孤立気味だったらそのまま大量ゲットの対象になって本土に。
ボス
とても長生きらしいゲンガー。ナックルのことならなんでも知ってる。