184× in Japan
 

「不思議な方に、出会ったことがあります」

いえ、方々、といえばよいでしょうか。日本が懐かしむようにそう言った。ティーンにも見えかねない風貌の漆黒の目の奥に、底知れない暖かさが垣間見える。

数日続いた会議の後、誰かが言い出した食事会も、その後の二次会も落ち着き始めたころだった。ふわふわと気持ちよく酔っているらしい日本は、いつもより饒舌だ。こんな機会もないだろうし、とフランスは大人しく聞き手に回ることにした。幸い、まだ服も着ていたし。酔って脱いで騒ぐのも好きだけれど、こうして誰かの秘密に寄り添うのも嫌いではない。

「昔、わたしがまだ小さかった頃。その子も子供で、神に捧げられていました。生贄、とか、人身御供、とか。そういうものです」


おっと。想像していたよりも重い話になりそうだ。そう直感して、近づいてきた店員に水を頼む。
日本の表情はふわふわと楽しそうだ。この古い国が小さな頃だなんて、一体何世紀前の話をする気なんだろうか。



雨が降らなかった 
獣が居なくなった 
だから子供を捧げたらしい

ありふれていたそんな話を語る日本の顔は緩んでいて、どうしても違和感がぬぐえない。優しい国だ。もうすこし、神妙な顔をしそうなものなのに。
まあ酔っぱらいだし、そんなものかとグラスを傾けると、日本が特大の秘密を打ち明けるように囁いた。

「そしてね、再会したんですよ」

「…………ん?」


────

「薩摩の動きはどうなっておる」
「は、今のところ目立った動きは」

小難しいようでひと月前から変化のない会話が襖から漏れ出てくる。
食事の相手は我が上司様が情報源として大事にしている方だが、正直信用ならないと思うのだ。なんてったって先日、この男が田舎侍とコソコソしているのを目撃しているから。まあ伝えてはいないのだけれど。
だってこの上司様、腹立つことがあると従僕である俺に八つ当たりするのだ。とんだクソ上司である。べつに今更死ぬのは怖くないけれど、痛いのはそれなりに嫌だし。唯一、身内を人質にとられる心配がないのは幸いだと思う。独り身バンザイ。できれば縁談をうける前になんとかなって欲しいものだ。

だがしかし、我が上司様はそれなりに良い家系の人なので、偉い人ともコネがある。あくまでそれなりに、だが。

今回訪れているこの料亭は、まあ上等なところのはずだ。もっと奥まったところに行けば、こんな末端の金魚の糞ではなく、本物の金魚がごろごろいるはず。


だからだろうか。また、出会った。

御手洗にいった上司様を待っている時、向かいの廊下に漆黒の、闇のような色を持った彼がいた。

あ、音にならない声をあげると、それが聞こえたかのように、彼はこちらを向いた。

「あ、」

何か言ったのが、こちらにも聞こえた。彼は従僕に何か言伝て、1人でこちらに歩んでくる。

いや、いやいやいや、さすがにこちらの容姿も違うし、バレるわけがない。いくつかの生で幾度か見かけたことはあるけれど、直接声をかけたのははじめの1度だけだし、それこそ1000年は昔のことで。

「あ、あの」
「は、」
「……顔を上げては、いただけませんか?」


肯定の声をあげゆっくりと顔をあげる。目に入ったのは、1度目と同じ黒だった。真っ黒な瞳が僅かにゆるむ。

「名を、教えて欲しいのです」
「は、」
顔を上げたまま、上司様の名前と位、そして自分が一介の従僕であることを告げる。濡れ羽と濡れ羽の間に、少しだけ皺が寄った。
「そうではないのです。私は、あなたの名前が知りたくて」
「恐れながら、私が持っているのは先程申しあげた名のみになります」
「それは今生の話でしょう」

ぴしりと身体が固まった。この、このかみさまは一体、すました顔で何を言った?

「ふふ、初対面が衝撃的でしたので」

袖で口元を隠してクスクスと笑う彼は、どこか子供らしい無邪気さがあった。相手が悪い。勝てるわけがないのだ。一つため息をついて、目を合わせた。

「…………持ち合わせておりません」
「ほう」
「私が私足りえる名は、未だございません」
「名無しですか。それは……困りましたね」

下がった眉は本当に困っているようで、本当に人間らしい。

「次にあなたと出会った時、なんと声をかけましょうか」

ああなるほど。どうやらこのかみさまは、''次''でも私を見つける自信があるらしい。

「なんとでも。名無しでも権兵衛でも、好きにお呼びくだされば」

自嘲気味に笑って頭を下げると、「では権兵衛さんで」との言葉が降ってきた。は?思わず顔を上げると、濡れ羽の彼は満足げに微笑んでいた。

「貴方の次が女であっても、権兵衛さんと呼びましょう」

楽しみにしていますね。そう言い残して、彼は豪華な羽織を翻した。おかしな人だ。いや人ではないんだけれども。

廊下の向こうからドタドタと歩く上司の足音が聞こえてくる。さてはて。そろそろこの上司、見限るべきなんだろうな。そんな度胸もないけれど。


────

「と、いうことがあったんですよ」

日本は、まるで約束を楽しみにする子供のような顔をしていた。ふわふわと微笑む日本のために水をもう1杯頼んで、フランスは口を開く。

「不思議な話もあるものだねえ。えっと、その……ゴンベさん?」
「権兵衛です」
「そうそれ。会えたの?」
「まだですねえ」

フランスはうわあと声を漏らした。軽く100年は待っているのに、日本にとっては痛くも痒くもない時間らしい。約束をしているのならまだしも、会えるかも分からない、何者かもわからない相手であるのに。

「まあ、気長に待ちますよ」
まだまだ時間はあるでしょうし。

さすが爺を名乗るだけはある。微笑んだ日本に、フランスはそう思ったのだった。





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