勇者様と神官
 

耳を澄ますと聞こえる商人の呼び込み、子供の笑い声、鳥の鳴き声。
勇者だった青年は1人、自室で紅茶をすすっていた。

「この国も、随分と豊かになりましたね」

ドアをパタリと閉め、本を抱えて入ってきた神官が微笑む。
彼は旅をしていた時には決して着なかった、純白の長いマントに身を包んでいた。

「おお、久しぶりだな」

「そうでもないでしょう。…まあ、色々と、後処理に追われていたので」

神官がわざとらしく顔をしかめて首をコキリと鳴らすと、青年は笑いながら二つめのカップに紅茶を注ぐ。
紅茶の入れ方は、この神官に随分叩きこまれた。あの時よりも上質なティーセットと茶葉で、出来る限りいつも通りの味を。

「お疲れさん。手伝えなくて悪いな」

「貴方に手伝えることじゃないですよ。こっちは私の仕事です」

そんなことより、と神官はゆっくりと窓に目を向ける。

「ここからは、街がよく見えるのですね」

「ああ、特等席だろう?広すぎるのが玉に瑕だがな」

「なんといっても、“この国を救った勇者様”ですからね。…よくお似合いですよ?」

「んな見え見えの世辞なんていらねえよ。俺には安宿が似合ってるんだ。」

「まあ、それは否定しませんが」

「…相変わらずだなあ」

軽口を叩きながら本を起き、神官は青年と同じテーブルについて紅茶をゆっくりと含む。
香りを楽しむように目を閉じたあと、青年を見据えて言った。

「大変なのは、ここからです」

「まあな、上のジジイ共をなんとかしないことには何も変わらない。俺たちが傷は塞いだが、この国には膿が溜まってやがる」

「…驚きました。貴方、知っていたんですか。つい先日戻ったばかりだというのに」

「お前はどれだけ俺を馬鹿にしたいんだ?」

顔をしかめた青年に、神官は困ったように笑う。よく見たようでどこか違う表情に、青年はほんの少しの違和感を覚えた。

「馬鹿になんてしてませんよ。ただ、少し意外だっただけです。私は、貴方を甘く見ていたのかもしれませんね」

神官はふと立ち上がると、窓に向かって一歩一歩を踏みしめるように歩を進める。
逆光で影に包まれた神官は、振り向いて静かに言った。

「今まで…お疲れ様でした。勇者様」

「ん、ああ。そちらこそな、神官さんよ。だが、まだまだやることは山程ある。気を抜けない」

紅茶を飲み干した青年にゆるゆると首を振って、神官は綺麗に微笑んだ。

「いえ、貴方の役目はここまでですよ」

その瞬間、青年の周りに見覚えのある魔法陣が浮かび上がった。
見知らぬ土地で旅をすることになった、全ての始まり。その紋様は久しぶりだったが、青年が見分けるには充分だった。

「どういうことだ!?」

ガタリと立ち上がった振動でカップが落ちる。向き直った神官の目は冷たかった。初めて出会った日のような、氷の瞳。

「貴方は、もう用済みというわけです。役目を終えた勇者を帰す。ただ、それだけの事。」

感情が抜け落ちたように、冷静に、冷たく、神官は告げた。

「何故だ!?俺は、ここまでこの国を豊かにした!まだやるべきことだって、やりたいことだって山程ある!お前が一番分かっているだろう!?」

「いえ、貴方の役目は終わりですよ。ここから先はこの国の問題です。部外者は出て行きなさい」

「ふっざけんなよ!部外者だと?お前らが俺をここに呼んだんだろ!?こっちの都合も聞かず!強引に!部外者なんて随分な言い草だなぁ!?」

縫い付けられたように動かない両足を何とか動かそうと暴れるが、光の輪から出ることが叶わないことは身をもって知っていた。あの日、こんなふうに、無抵抗でここに連れてこられたのだ。

「だから言ったでしょう。今までお疲れ様でした、と。貴方には感謝しているんです」

光が青年を包み、声と姿が薄くなってゆく。懐かしい眩しさに神官は目を細めた。
ああ、いつかとは真逆な光景だ。
あの日、この光を作り上げたのは他でもなく神官だった。ただ、この国をなんとかせねばと、その一心だった。馬鹿けたことだ。信念を持っているつもりで、ただ上の命に従うだけの傀儡だったのだから。

青年の声は、もう聞き取れないほどに遠ざかっている。感覚もほとんど残っていないだろう。口元の動きから、青年が激怒していることはわかった。

「すみません」

神官が呟くと、もうぼんやりとしか見えない青年の目が見開く。どうやらまだ聴力は失われていなかったらしい。しまったと神官は眉をひそめた。

青年の形を保っていた光から、かろうじて見えていた口が開き、放った言葉は光に飲み込まれ、光の塊がはじけて消えた。

残されたカップの欠片が、カチャリと音を立てた。





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異世界から召喚された勇者様の末路

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