ピースが足りないな。そう思ったのは齢6つのころだった。生まれたときから漠然と感じていた「なにかのつづき」めいた感覚は、幼いつるつるの脳みそが社会にくちゃくちゃにされるに連れ形を帯びていき、歩き出したくらいでなんとなく理解した。あ、これ生まれ変わってるわ、と。
それが現実か文字通りのナチュラルボーン妄想かはさておいて、どちらにしろピースが足りない。50ピースくらいの規模感だった前世という名のパズルは、私の発達とともにどんどん細分化して広がっていく。その分穴も目立つしなんなら四隅が見つからないので全様すらわからない。覚えていないことも多くて、なんなら死因もよくわからない。詰みだ。
ただまあ、唯一の利点としては、ここは私の前世とほとんど同じ世界だということだ。強くてニューゲーム!目が覚めたら身体が縮んでしまっていた!わりと劣悪めな家庭環境も、二周目だと思えばドン引きこそすれ致命的ダメージにはならなかった。むしろ私で良かった、と思う。普通の小学生は1ヶ月放置されたらグレると思うので。

そんなこんなで晴れて高校生。
まともな部類の親類縁者の説得と国からの補助がどうこうで決定づけられた私の進学。私は初の電車登校(中学までは自転車でこと足りた)と行動範囲の広がりに浮かれていて、バイトをすればやっと色々賄えるだとかそんな事を考えていた。
入学初日に大した授業はなくて帰り時間も早い。だから電車内はそこまで混んでいないのに、ふと背後におじさんが立った。体が触れ合うくらいに距離が近い。おっと、これは。冷静な頭とは真逆に肩がこわばる。制服ブランドすげーと思考を放って、さり気なく場所移動するタイミングを見定めていると、
「なあ、そこのおっさん」
響く軽い調子の男の声が、頭の裏の方をくすぐった。脳天から背筋をたどってぞくりと肌が粟立つ。これは多分、恐怖とかではない。
「なんか近くね? 誤解される前に離れようぜ」
ゴニョゴニョ言って、背後の痴漢未満のおっさんがいなくなる。お礼をいわなればと思うのに、びび、としびれるような感覚で、振り向くのに時間がかかった。なんだ、これは。
「あー、……わるい、余計な世話だったら、」
「いえ、」
ようやく顔を上げることに成功して男性の顔を見る。私服は大学生だろうか、やや明るい長めの髪に、気だるげな瞳。視線が絡んで、彼の口の端が震えた。ヒュ、と息を呑むか細い音が不思議と聞き取れる。薄い唇がなにかを言おうとして閉じて、を繰り返していた。らしくないな。頭をよぎった不思議な声に我に返って、こちらから言葉をかける。
「ありがとう、ございました」
無理やり視線を引き剥がして下げた頭の裏っかわは相変わらずおかしな痺れ方をしている。身体の内側がどくどくと喚くけれど、どう記憶をたどったってこんな人間は知らない。私の前世は、普通に生きて、たぶん高校かその先くらいで事故かなんかで死んだ。良くはわからないけれど、こんな視線を浴びるような、こんな大きなピースが入るほどの穴はない。知らないし、知っているわけがない。何故か押し黙ってしまった男と、絶賛混乱中の私。気まずい空気を押し切るように、電車のアナウンスが停車駅を告げる。最寄りだ。
「あの、わたし、ここなので」
「まて」
見上げた目の淵が僅かに赤い。初めて見たかも。意味のわからない思考に、痺れるを通り越して麻痺したような頭の内がぐらぐらする。
「いや、あの、」
「………マッチポンプ、みたいなやつです?」
「は? ……いやまて。違う」
「ふは、分かってます。ありがとうございました」
「おい、」
停車音とともに開いたドアに逃げるように体を滑り込ませて、ぐつぐつ茹だる思考を冷まそうと息をついた途端、くらりと視界がぶれた。
「ユズ!」
何で名前知ってるんだろう。わずかに残った理性でそう思えたから、呼ばれた喜びに震える身体は無視した。




「ドリンクバー2つ」
「いや、あの、流石に申し訳」
「何か食べるか?」
「聞いて」
改札から出てすぐのファミレス。昼時で平日といえど人の目がある場所なので、多分悪い人ではないのだろう。少なくともそう考えたい自分がいるのは確かだ。
駅のホームでキャパオーバーしてくらりとよろけた身体を支えたのは紛れもなくこの人で、新品の制服を汚さなくて済んだことはとても感謝しているわけで。すぐに歩ける帰れると言い張った私を何かあったら寝覚めが悪いだとかでくるりと言いくるめた彼は、現在四人席の対角線に座っている。自分は前世がある分理性と常識は人一倍あると自負していたが、知らない年上の男にホイホイついてく時点で全くそんなことはないらしい。
「奢るから気にすんな。気分は?」
「いえ、今は……」
「よかった」
つい押し黙る。心の底からよかった、というふうに笑うから、いまいち反論ができない。何故か絆されそうになる気持ちを昨日まで信頼していた常識やらなんやらで抑え込んで、意識して訝しげな目を向けた。いや何故笑う。
「まず自己紹介か。オレは不知火ゲンマ」
「はあ……」
差し出された免許証は言われたとおりのそのままの名前が書いてある。ゴールド、住所はまあまあ近く、年齢は10歳上。大人だ。
「……きみは高校生?」
「え?」
「制服、新しい」
「え、ああ、そうです。今日から」
「今日から?そりゃあきみも運が悪かったな」
「嫌です。それ、きみ」
ん?と促す彼の口元がやや硬い。他ならぬ彼自身が違和感を覚えているのがわかるし、私だって嫌だ。よくわからないけれど、あんな視線を向けておいて、あんな声で呼んでおいて、今更距離を置こうとしないでほしかった。ぐらぐら揺れる衝動のまま、今日配られたばかりの学生証を出してテーブルの上をすべらせる。眉をひそめて止めようとする彼を真っ向からにらんだ。
「ユズです。さっき呼んだでしょ」
「馬鹿、見せなくていい」
「なんで」
「何かしらでオレが捕まるだろ」
「不知火さんと、同じことしてるだけです」
「し、」
敢えて強めた呼び方は少しは響いたらしい。やはりこっちではないのだ。確信めいた勘のままに動くことが正解なのだと信じてもいない魂が言っている気がした。瞳が揺れて、視線が絡む。きっと私も同じ目をしている。
「不知火さん」
「……ゲンマだ」
「ユズです」
「……頑固だな。ユズ」
子供をあやすような声色で呼ばれた名前は、欠けたピースみたいな色をしている。諦めたような、報われたような、そんな顔で彼が笑っている。ずるいと思ったので私も口に出した。
「ゲンマさん」
信頼しています、みたいな声が出て笑い出しそうになった。今世の親のことすらこんな声で呼んだことはない。疑問と納得が交互にぐるぐる蠢いて、それでも湧き上がるなにかに全部押し流されていった。
「ゲンマさん、」
耐えきれなくなったらしいゲンマさんが、くちもとをもにょもにょ動かして、泣く寸前みたいに目元を赤くする。なにもわからないけれどきっとこれが正解で、この人に会うためにまた生まれてきたのかなとさえ思ってしまう。
「ユズ」
「なんですか」
「……嬢ちゃん」
「…………嬢ちゃん?」
「はは、こっちはだめ?」
「……まあ、いいです。ゲンマさん」
「ん?」
「とりあえず、ドリンクバー行きませんか」







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