秋口くらいの話


着込んでも着込んでも一向に寒気は治らなくて、どんどん上がっていくだろう熱に笑いが込み上げる。ついに歯の根が合わなくなってきた。意図せずにガチガチと震える奥歯と痛む目の奥は、体調不良を露骨に訴えている。やばい楽しくなってきた。うける。
布団に倒れ込みたい衝動を理性とテンションで打ち負かして、まずは部屋の戸締まりだ。隙間風が入る立て付けの悪い窓や戸をできるだけ閉めて、作っていた札をがさっと避ける。ああ、これからも寒いだろうから火鉢に炭を足しておかないと。できれば枕元に水も用意したい。あと洗濯とか着替えとか作り置きとか。

「ふふ、忙しい……」

ぶつぶつと笑い混じりに言い聞かせて、浮つく身体を無理やり動かす。力の入らない手もふらつく足も情けなくて嫌になる。どうせ明日には動けないだろうし、今のうちに出来ることをやっておかないと死にかねないのだから仕方ない。一人暮らしのこういうところが嫌いだ。外の井戸で水を汲んで、少しだけ、と縁側に腰掛けたあたりから記憶がない。





目が覚めると、重い布団がかかっていた。暖かくてちょっと、いやかなり暑い。ガンガン痛む頭に、ああ熱が上がりきったんだろうなとぼんやり思う。それにしても暑い。もぞもぞと布団を蹴り飛ばそうと動いていると、頭上に人の気配がした。

「目が覚めましたか」

うっすらと目を開けると、ぼやけた視界の中に誰かいた。ぱちぱちと瞬きをして焦点を合わせて、立ったままこちらを見下ろす男の形を明らかにする。なんだ、ハヤテさんか。

「そうですよ」
「……こえにでてたか」

掠れた自分の声と声帯を震わすたびに引き攣る喉が面白い。そんなことを思っていると、ハヤテさんが眉間に皺を寄せた。どうやら機嫌が悪いらしい。それすらも面白く感じるのだからちょっとおかしくなっているようだ。

「楽しいですか?」
「ふ、しんどいです」
「……でしょうね」

呆れたような声を隠さずに、ハヤテさんが踵を返そうとする。え、という声は声にならなかったが、聞こえたのか振り向いて一言「すぐ戻ります」と言われた。なにか取ってきてくれるのだろうか。でもすぐっていつだろう。5分後?半日後? もっと長いかもしれない。ハヤテさんだって暇じゃないので、帰ってしまうかもしれないし、そのまま任務とかに行ってしまうかも。

「みおくり、」

暑いし、と布団を蹴って抜け出した。板の床はひんやりと冷たくて心地よいけれど、首の後ろはぞくぞくと寒気の名残が残っている。まだ熱は下がらなそうだ。

浮つく足でペタペタと歩きまわれば、台所に向かうハヤテさんの姿があった。よかった。まだここにいた。私服で立つ後ろ姿はなんだか珍しくて、すこし得した気分になる。

「起きちゃったんですか」

責めるような声色に、だって、と正当性のある反論を漏らす。

「すぐっていつですか」

喉の奥が詰まったみたいな顔をして、ハヤテさんはこちらをむいた。沸かしていたらしいお湯がしゅんしゅんと音を立てている。

「本当にすぐですよ。お湯とタオルを取りに来ただけです」
「ほんとうにすぐ、なら、ほんとうにすぐって言ってください」
「……すみません」

不服そうな顔をするから納得いかない。

「だってすぐ戻りますっていって、任務とかいくじゃないですか」
「……そうでした?」
「そんなきがします」
「気がするで怒られてるんですね……」

怒りたいのはこっちなんですが。ハヤテさんが小さくぼやいたのが聞こえたが、よくわからない。
あ、この柱冷たくて気持ちいい。もたれかかって、そのまま座り込む。床も冷たくて大変よろしい。合格。

「ちょっと、座らないで、布団戻って」
「もうちょっと……」

柱に頬を押しつけて目を閉じる。あーこのまま寝れる。タオルやらなんやらを置いた気配がして、「失礼しますよ」と声がかかった。乾いたような暖かさに包まれて、次いで浮遊感。両腕で抱かれているらしく、その安定感に感動する。ふふ、と漏らせば、わずかに腕に力が入った。

「……楽しいですか?」
「たのしいです」

数歩の距離はすぐに終わって、布団にゆっくりとおかれる。ぬくい腕の中とは違ってそこは冷たくなってしまっていた。不満だったが、「本当にすぐ、ですから」と言われたので仕方がない。
うめくように返事をして、おとなしく肩まで布団に潜り込んでいると、本当にすぐにハヤテさんが来た。熱で力の入らない頬が緩む。

「はやいですねえ」
「あなたがすぐにって言ったんでしょうに」
「りちぎー」

掠れる喉を震わせて笑っていると、少し間を開けたハヤテさんがなにか言いたげに目を彷徨わせた。

「貴女は、なんというか……」
「んー?」
「……寝てください」
「はあい」

じわりと痛む目の奥を宥めるように瞼を落とす。
まっくらな視界に、ほんの僅かに人の気配がして、すぐに意識が落ちた。



「─を飲み──かなり───」
「───風邪が────心配ね」

人の声で浮上する。ガンガン痛む頭に眉を顰めて目を開ければ、ハヤテさんともう1人。

「あ、起きたわね」
「しずね、さま?」

まだ呼び慣れていない名前を口に出す。ぼうっとする頭もあって現実味がわかない。テキパキと体を支えられ、額に柔らかい手が添えられた。

「熱は……うん、ちょっと下がったかな。お水飲める?」
「なんで……?」

困惑を隠さずにハヤテさんに助けを求めれば、彼は眉間に皺を寄せたまま、けほんと咳をした。なんだろう。回ってない頭では何もわからない。

「たまたま綱手様のお使いで近くにいたの。お医者さんの代わりよ」
「そ、うですか。あの、仕事は……」

シズネさまは目を合わせて「もう戻るわ」と微笑んだ。この人も、やさしいひとだ。

「……僕はもうすこしここにいますので」
「?」

突然言ったハヤテさんに首を傾げる。別にいいのに、と言おうとして、なんとなく、本当になんとなく口をつぐんだ。ふふ、と笑ったシズネさんが、わたしの頬をむにむに優しくと潰す。

「なんとなく分かったわ」
「分かりやすいでしょう」
「ええ…… 君は警戒心がないねえ」

むにむに。少し冷たい手が気持ちがいい。それに目を細めて、「だって」と口を開いた。

「みんな、やさしいし、だいすきなので」

「……ね?」
「た、確かに、忍びには向いてないかも……!」
「無条件の好意というものは、案外侮れなくて、ですね……」

なにやら私の話をしているのは分かるんだけど。
揺らぎ始めた視界に、身体を横たえて目を閉じる。「じゃあ、またね」と肩を叩かれて、はあいと出ているのか曖昧な声で返事をした。
少し間が空いてぼやけた意識の中で、先ほどとは違った乾いた手が、また頬を撫でる。

「回復したら、言いたいことが山ほどあります」

優しい手とは裏腹にわずかに怒りを滲ませた声に、ちょっと嬉しく思いつつ、起きたくないなあと思った、ような気がする。











偶然だった。
数日ぶりに待機所に顔を出せば、彼女の姿がなかった。周囲に聞けば「風邪っぽいらしい」とのことだ。
なるほどな、と大した暖房器具もない古い平屋に思いを馳せる。あの建物は、さぞや冷え込むだろう。明日仕事に行く前にでも様子を見てやってもいいかもしれない。

そんな気まぐれで顔を出したのが、深く冷え込んだ日の朝だった。目を凝らすとまだ息が白い。
彼女は案外遅起きだし、そもそも起きているだろうかと赴けば、いつも半出入り口として使っているところ、辛うじて日が差す縁側の端に、子供がひとり、縮こまるように横たわっていた。冷え切った手足とは反対に熱い息を漏らして、自らの身体を抱き抱えるようにして。

血の気が引いた。

抱き込んで、戸を蹴破るように家に押し入って、引かれっぱなしの布団に押し込んで、それから部屋の荒れ具合に気がついた。衣服は散乱し、かすかに血の香りをさせる札も端に寄せられている。
そういえば彼女は季節外れのコートを複数着込んでいたし、外には水を汲んだ桶があった。おおかた、ふらふらの身体でうごきまわったのだろう。もし自分が来なかったらどうするつもりだったのか。あのまま動けなくなっていたら、と考えてゾッとした。

こんなくだらない理由で死ぬなんて許せるはずがない。

薄く浅い呼吸を重ねる子どもを呆けたように眺める。狭い額に手を当てると、こちらが怯むほどに熱い。思い出したように傍にあった火鉢に炭を足して、火影邸に遅れる旨の鳥を飛ばした。一線を退いた今、ハヤテにしかできない仕事はそうなかった。遅れても多少の苦言で済む程度だ。人死には出ない。

無意識に左手に力が入った。女性である夕顔は任務中で、呼びつけられるような医者も思い当たらない。どうにも不甲斐ない自分に舌打ちをして、ひとまずは湯でも沸かそうと土間に向かった。










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