馴染みの漢方の店に手持ちの木の実を卸し、不知火ゲンマは裏路地を引き返していた。中忍以上の忍びにとって、別段珍しいことではない。里外での採集は本来CまたはDランク任務といったところだが、必要な植物の群生地が通り道であったり、それが素人目にも区別がつくようなものならば、任務に支障のない程度に直接引き受けることがある。卸す店が懇意であれば尚更だ。
買い叩かれることも無く、薬や兵糧丸を安く融通してもらうこともあるため、依頼を通さなくともトラブルになることはほとんどなかった。
ゲンマもその恩恵をうけている1人だ。里近くならば、ある程度の群生も把握している。


そうして帰路につこうとしたとき、ゲンマは視界の端に映った赤に足を止めた。いつもと違ってパーカーのフードを目深に被っていて、そのせいかトレードマークともいえる赤い布は手首にぐるぐると巻かれている。
それでも、間違いなく見知った少女だった。最近ようやく懐きはじめた、大人びているようで意地っ張りな彼女のことを、ゲンマは案外気に入っている。こんな町外れまでうろついているとは思わなかったが。
今日はなかなかに運がいい。

「よお嬢ちゃん」

いつも通り軽く頭に手を乗せると、少女──札屋はいつにも増して肩を震わせた。フード越しの頭がかちりと固まる。

「ゲ、ンマさん……どうも」

声は帰ってくるものの、顔は決してこちらを向かない。目も伏せたままだ。少女より随分背の高いゲンマからは、瞳を伺い見ることも出来ない。予想外の反応に、ゲンマは内心首を傾げた。

「どうかしたか?」

「………いや、大丈夫です。ちょっと用事があるので、失礼しみゃ」

早口で去ろうとした札屋に、ゲンマは反射で手を伸ばした。木の葉崩しの一件から、この少女の大丈夫は信用しないことにしている。こんなに挙動不審なら尚更。
触れた赤い布の端を掴むと、手を引っ張られた札屋が慌ててゲンマを振り返った。

「ちょ、は、はなしてくださ」

急な動きにフードがずり落ちる。そこからぴょこりと覗かせたのは、紛れもない三角の耳だった。

「………は?」

「……そういうわけで、あんまり、見られたくないので……離してくだ………わ、」

艶やかな黒いそれに釘付けになったゲンマは、そっと手を伸ばした。いつものように頭に手を載せて、黒い耳を掠めるように軽く撫でる。

「………………なんだ、これ」

「ちょ、やめ」

「お、っと 悪い。つい」

くぅ、と鼻を鳴らした少女に慌てて手を引っ込めると、誤魔化すように頬を掻いた。そこで、ふと違和感を感じる。屈んでマジマジと覗き込むとよくわかる。こちらを睨む少女の瞳、若干ながら焦点があっていないのではないだろうか。

「……体調わるいか?」

「大丈夫…ですから、ん」

疑いつつ低い位置にある頬に手を伸ばすと、軽く擦り寄られた。じわりと暖かさが掌に伝わる。体温は高め、挙句擦り寄ってくるなんて、完全に黒だ。この少女ははいい加減、自分の「大丈夫」に信憑性がないことを自覚するべきである。
はーーーと長く息を吐いてから、頬に当てていた手を少女の後頭部に回し、小さな身体を自分の腹に抱き込んだ。札屋は軽く抵抗するが、すぐに力が抜けたように大人しくなる。
よほど体調がわるいのか。それとも、この猫のような耳の副作用でも出ているのだろうか。内心舌打ちしつつ、ゲンマは空いている片手で印を結んだ。行先は、もちろんこの少女の家だ。





「………おーい ついたぞー」

古びた日本家屋の前に着いても、札屋はゲンマに頭をすり付けるばかりで動こうとしない。
とりあえず抱えあげて縁側から強引に上がり込むが、その間も札屋はピッタリとゲンマに擦り寄っていた。

伝わる熱が妙にあたたかい。やはり熱があるのだろうか。

見れば三角の耳はぺたりとねていて、パーカーの背中がもぞもぞと動いている。気になって動く背中に手を伸ばすと、ひ、という小さな悲鳴とともにひょこりと尻尾が飛び出した。

「…お、おお?」

そのまま腕に絡みつく尻尾を、おやゆびの腹でそっとなぞる。紛れもない尻尾である。固めで艶があり、ひんやりとした手触り。それが、この少女から。

思わず付け根に目をやろうとして、やめた。さすがにアウトだろう。一回り以上年下の女子をひん剥く訳にもいかない。幸いにもダボついた服の下に隠れているので、触れずにそっとしておこうと決心する。

ふと、離れる気配がない札屋の顔を見ようと顎に手をかけると、手のひらに生ぬるい感触がした。ぴちゃり、微かな水音が、静かな室内に響く。

「おっ…まえ……」

ゲンマは体を強ばらせた。なにがどうなったら手を舐めるという奇行をするのか。
熱があるにしろ、甘えているにしろ、流石に様子がおかしい。猫耳の女の子という絵面もかなりおかしいが。よりによって、この少女が。まさか

「おい、大丈夫か?」

べりっと引き剥がして瞳をのぞき込む。とろりと蕩けたそれは、ゆるりと弧を描いた。

「いーにおい、しますね」
「……は」

いつになく熱の篭った音が、一瞬思考を停止させた。
ぴちゃりぴちゃりと響く水音をどうにか振り払って、深く息を吸う。里外任務から帰ってきたばかりなので、残念ながら「いいにおい」に心当たりは皆無だ。せいぜい汗と土の匂いだろう。抱え込んだ木の実の香りくらいは多少付いているかもしれないが。………木の実?

「あ」

ゲンマは思わず声を漏らした。木の実、先程卸した木の実はたしか、木天寥という生薬になるはずだ。腰痛によく効くと、リウマチ持ちの店主が話してはいなかったか。猫に木天寥、つまり。

「マタタビか……」

そういえばどうせすり潰すのだからと雑に握りこんだ気がする。がくりと項垂れても、少女は特に気にしない。一通り舐めとったのか、今度は柔らかそうな耳のついた頭を埃まみれの服に擦りつけている。普段ならば近づいただけで眠そうな瞳でため息でも漏らしそうなものを。随分な効果だ。そもそもどうして猫になったのかは分からないのだが。
兎にも角にも、こうなったらじっとしているより他はない。粉末を浴びたわけでもないので、じきに匂いも薄れるはずだ。薄れないようならベストを囮にシャワーを浴びに走るしかない。

せめて、この意地っ張りな彼女の記憶に残りませんように。そう願って空を見上げるしかなかった。




(退屈だったので“猫”の札作ってみた札屋VS腰痛持ちのおじちゃんを心配しただけのゲンマ ファイッ)


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