スタンドバイミー


両手を広げて、満面の笑みで。ぱたぱたと走り寄って来れば、無邪気に笑っておれの足にしがみつく。ああ、子供の笑顔とは、魔法だ。つられるように笑顔になる。

「おじちゃん!」
「ははっ、だからおじちゃんじゃないって」

舌ったらずに、しかししっかりとおれを呼ぶ声。その声に、どうしようもない愛情を感じる。守ってやりたい。強く、そう思う。緩む口元を抑えられず、呼びかけに応えるようにその子の頭をわしわし撫でてやれば、にんまり破顔して照れ臭そうにおれの足に頭を押し付けてきた。まるで太陽のごとき向日葵の大輪。その笑顔が眩しくて、おれは目を細める。ああ、かわいいな。

「わーっ、何やってるの!ごっ、ごめんなさいサボくんっ!」
「あはは、良いよ良いよ。気にしないで」
「ほら、おじちゃんから離れなさい」
「やー!」
「やっじゃないでしょ、めっ」
「…って、なまえ」

はは、は。まさか彼女にまでおじちゃん呼ばわりされるとは、思わず渇いた笑いがこぼれる。しかしそんな心境のおれにはお構いなく、なまえは母親として真剣な面持ちで自身の娘に向き合っている。何よりも真っ直ぐな眼差しで、この世の善と悪、そして道徳を説く。人に迷惑をかけること勿れ。なんて、こんなこと、迷惑のうちにも入らないのに。なまえはもっと、人に頼っても良いと思う。

「だめじゃないの、おじちゃんに体当たりしちゃ…おじちゃんにごめんなさいは?」
「うーう」
「こおら、ごめんなさいでしょ」
「やー!」
「あっ、こら!」

おじちゃん…。がっくりと肩を落としたおれに気付かず見向きもせず、子供の目線まで身を屈めてなまえは言う。そっと娘の両肩に手を添え、おれから引き離して少しきつい口調で説教すると、その子は途端にいやいやと首を振り、再び逃げるようにおれの足にしがみついてきた。

「ぅえ、うわっ」

小さくとも思わぬ衝撃が足にぶつかれば、気を抜いていたせいで思わずよろけてしまう。そうしてうっかり声をあげてしまうと、すぐさま「こら!」と母からお叱りの声があがる。その様子に、おれはつい苦笑いしてしまった。

「だめじゃない、こらっ待ちなさい!」
「やーあーっ!」

眉をつりあげ、すっかりお叱りモードに入ってしまったなまえと逃げる娘。その二人に挟まれて、しかしそんなに悪い気もせずそのまま好きにさせていると、子供故のすばしっこさから、あっと言う間にぐるりと後ろに回られ、まるでおれを盾にするように背後から前に押し出された。体を捻って様子を見ると、おれの後ろからむっと頬を膨らませて、くりくりの目に不満そうな光をたたえながら、口を尖らせてその可愛い顔を覗かせていた。

「ママやだあーっ」
「もうっ、いい加減に」
「なまえ」
「でもサボくん」
「おれは良いから、なまえ」

ね。平行線を辿り、一向に終わりを見せないそのやりとりを見て、ヒートアップしてきたなまえの肩に手をおいて、落ち着かせるようそっと声をかける。そうして顔を覗き込んで念を押してあげると、瞬時にはっとしたなまえは、みるみるうちに申し訳なさそうに眉をさげた。そして若干、不満そうな光をその目にたたえれば、上目気味におれを見つめ小さく小さく口を尖らせた。あ、その顔、そっくり。おれは思わず笑ってしまった。

不満げななまえは、きっと彼女のことだ、自分の子供のことで他人に迷惑をかけたくないのだろう。今までずっと、一人でやってきたのだ。家庭では母として、職場では人として。それも全てはこの子のため、この子がずっと健やかに、清く、正しく、幸せに育っていってほしいから。

本心も過去も何も語らないなまえだが、それでもただただひたむきな彼女に惹かれていったことは、当然のことだったように思う。母親として、人として。そして一人の女性として、彼女はとても尊敬に値する人間で、いつからかひどく恋していた。いつからかだったのだろう、もう忘れてしまったほど。

今はただ、この子と共に、生涯を通して愛していくことを許してほしいと思う。強く思う。だからずっと、ずっと伝えたくて。ねえ、なまえ。

「謝るんなら、なまえもだよ」
「っ、え?」

おれの言葉に思わず目をまるくしたなまえが可愛くて、ちゅとこめかみにキスしてやれば、あっと言う間に耳まで赤くなる。そして困惑したようにおろおろしだすなまえが、子供までいるのに初々しい反応をみせるなまえが、もう可愛くて可愛くて唇に噛み付いてやろうかとも思ったが、もぞり、動いた足元の存在を思い出してやめた。君にはまだはやい、かな。

「ねえ、っと」
「きゃーっ、きゃははー!」
「あ、サボく」
「おれのこと、すき?」
「だいすっきー!」
「…おれも、好きだよ」

きゃあきゃあ、きゃっきゃ。足元のその存在を、手を伸ばして抱き上げる。同じ人間とは思えない程軽い、しかし命にしては重い、重い、愛しい、愛しい、命。柔らかい頬、小さな手、大輪の笑顔、暖かな体温。流れる血は、そして君の。

「なまえは」
「っえ」
「ママはおれのことすき?」
「だいしゅぎー!」
「あはは、ありがとー」

抱き上げれば首にぎゅうぎゅうと抱き着いてきて、そのままよじ登って頭を掴もうとする。さすがにそれは危ないと制止しながら、なまえにも同じ質問を投げ掛ける。未だに赤い頬はそのままに、口をもごもごと動かして何かを言おうとして俯いた。かわいいなあ。かわいい、本当にかわいいと思う。によによと口元が緩むのを抑えられず、そのまま言葉を待っていると、ふとなまえの姿に娘をみた。今抱き上げてるこの命に、彼女の命が重なった。ああ。

どちらも、大切な命。あなたの子ならば、尚さら。顔をあげた彼女を、気付けば空いている腕で抱き寄せていた。

「サボくん、わたし」
「謝ってよね」
「あ、え、ごっごめ、」
「おじちゃんって言ったこと」
「…え?」
「まずおれはおじちゃんなんて歳じゃないし」
「あッ、ごめん!」
「…あはは、その、今気付きましたって反応傷つくんだけど…」
「あああサボくんごめんごめん本当ごめんなさ…!」
「おじちゃーん!すきー!」
「…」
「あああああごめんねごめんねごめんねーっ!」

緩く俺に抱きしめられ、それでもあたふたと謝り続けるなまえ。本日三度目になる乾いた笑いをもらせば、それに気付いて本当に申し訳なさそうな顔をする。ちょっと笑ってしまった。

「おちちゃん」
「だからおじちゃんじゃなくって」
「おーじじちゃ?」
「歳が増えてる…」
「あああ…っ!こ、こらっ、サボくんはおじちゃんじゃなくって、おじいちゃんでもなくって、…えええっと」

小さな手の平で肩までよじ登ってきたこの子を落とさないようにしっかりと掴んで、咄嗟に口ごもってしまったなまえを見つめる。困ったようにちらと顔をあげたなまえに、ふとおれの横から小さな手が伸びた。ママ。そのままおれから両手を離し、移ろうとしてなまえへ両手を広げる。ママ。ああ、そうか。「パパは?」
「えっ」

おれから離れた小さな体を受け止めて、なまえは驚いたたようにこちらへ顔を向けた。パパ。おれはもう一度同じ言葉を連ねると、にっこりと笑いかける。するとまたみるみるうちに赤く染まりいく頬。

「そろそろ、パパって呼ばれても良いかなって」

そう、思ったんだけど。そう言って首を傾げてみせると、赤く染めた頬はそのままに、口をぱくぱくさせながら目を大きくさせるなまえ。その様子はまるで金魚のようで、思わず小さく笑ってしまった。そしてそのままおれは次の言葉を待って、黙しながらただなまえを見つめていた。

「そ、その」
「うん」
「それは、つまり」
「うん。…そういうこと」

言葉にしなくても伝わる程、一緒にいた時間は誰と比べれば長いと思うけど、やっとだとも思う。やっと、そう呼ばれても許されるところまで歩いてこれたんじゃないかな。そう、思うよ。だから。

「だからなまえ…」

なまえ。全てを言い終える前に、突然ぎゅうと我が子を抱きしめ俯いてしまった彼女。母の突然の行動に、ぽかんとする子の頭を撫でて、おれは窺うようにもう一度名前を呼んだ。そうして一瞬間を置くと、こちらもゆるりと窺うように顔をあげたなまえに、はっとして、思わず腕を伸ばした。もう、抱きしめるしかなかった。

腕の中にかけがえのない命二つ。この二つの命、未来を、おれは愛して愛して愛して生きたい。溢れんばかりの涙を湛え、子を抱き笑んだその存在を、おれは生涯守って生きたい。生きていきたい。生きていくから。だから。

だから、これからは、どんなときも一緒にいるから。辛いときも、悲しいときも、嬉しいときも、楽しいときも。ずっとずっと、そばにいるから。おれがそばにいて、守ってあげるから。だから、その分愛させてください。そして、あわよくば愛してください。だから、ずっと。

「そばにいるよ。」

そう伝えた瞬間のなまえの顔は見えなかったけれど、抱きしめた肩が震えていた。腕の中で何度も頷き、なんとかして応えようとしてくれているなまえの頭にキスをした。それだけで、おれは肯定されている。幸せを噛み締める。

「愛してる」

二人とも、二つとも、かけがえのない存在だから。命だから。おれが、君たちを守るよ。未来を守るよ。だから、ずっと一緒にいるよ。そばにいるよ。だいすきだよ。愛してる。愛してる。

二人まとめて抱きしめて、この幸せに、つられるようにおれも笑った。





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