太宰はビルの屋上で黒い外套を風になびかせ、腕を組んで仁王立ちしていた。中也が建物づたいに自分の目の前に降り立ったのを、頬を膨らませて見下ろしている。2人のかち合った視線からは火花が散っているようだ。

「遅いよ中也。10分で来いって言ったでしょ」
「うっせェ!俺に書類仕事押し付けた奴がよく言うぜ」
「じゃあ、君、ネット回線のセキュリティ解除できるの」
「俺も仕事が立て込ンでんだよ。さっさとやるぞ」
「はいはい。手短に説明するよ」

ポートマフィアの領域を荒らした有力商人5人が組織した組合に対する報復作戦である。建物を破壊し、高価な宝石類を埋没もしくは燃やして塵にするというものだ。建物は高度なセキュリティシステムで守られた彼等の保管庫である。レーザースキャナー、振動探知機、遠赤外線レーダーなど厄介だが、電気回線を破壊して侵入してしまえば、後は力押しでいけるようだ。同じ所有地には自前の火力発電所があり、電気系統の回線を遮断しても自家発電してセキュリティシステムが機能する設計らしい。その火力発電所には時限爆弾を仕込んだという。

「時限爆弾ねェ」
「そ!もうすぐ時間だ。せいぜい失敗しないようにね」
「オーケ。俺が力押しの作戦で失敗なんざ、するわけねェだろ」
「私はここの屋上からアクシデントがないか敷地全体を見張ってるから、汚濁はなしで」
「いいご身分だなァ?ま、足手まといがいなくて助かるぜ」
「あのねぇ、ここのネット環境に侵入して、作戦立案したのは誰だと思って…」

足元が揺れ、爆発音が轟いた。それを合図に、敷地内へとカチコミに向かった中也の姿はあっという間に見えなくなる。太宰は強風にはためく外套のポケットから、護身用に拳銃を取り出した。引き金に指をかける。

「死んじゃえばいいのに」

されど爆発で建物が崩壊し、いつ瓦礫の下敷きになるか分からない状況で、戦闘能力を遺憾無く発揮できるのは中也しかいない。幾度目か数え切れないほど繰り返している葛藤。肩を落とし、銃口を逸らした。



商人共の資産は粗方なくなった。財力さえなければ大した力のない組合は、これで壊滅するだろう。火力発電所を爆破し、ご丁寧に保管庫の細部に至るまで俺が徹底的に潰したのだから。

「早く帰ろうぜ、太宰。思ったより時間かかっちまった」
「何言ってんの。あっという間だったじゃない」

帽子を被りなおし、ビルの屋上へと降り立つ。高見の見物をしていた太宰はゲンナリとした呆れ顔をしている。

「天方に2時間後に戻るつったんだよ。もう3時間は経ってる」
「ふーん。そんなに氷彗ちゃんに会いたいんだ」
「ンなっ…、違う!1時間以内に150人倒せっつって黒服集めて出てきたンだよ。だから、どンくらい出来てるか、見てやらねェとだな、」

太宰は天方の名前を出した途端、人の揚げ足を取るような事を言ってくる。妙な言い回しをされ、慌てて正確に伝わるよう説明しようとすれば、機嫌を直したようだ。

「へぇ、ソレもうやってるの?私も見たいなぁ」
「手前は来るな!」
「行く」
「来るな!」
「行く」

太宰は頑固にも意見を曲げる様子はない。太宰を置き去りして本拠地に戻っても、後からやってくるに違いない。移動用の車に2人で乗り込んで、舌打ちをした。

「邪魔したら死なす」
「見るだけだって。私がどんな邪魔をするって言うのさ」
「天方をタラし込む気だろうが。知ってんだぜ。この女ったらし」

窓の外から目を逸らして太宰を見やれば、底知れないほどに暗い瞳が俺に刺さった。

「知ってる?君が?私の何を?笑わせないでくれよ」

冷めた声で淡々と問いを並べたて、黙り込む。貼り付けたような笑顔は偽物ですと言わんばかりの、この暗い顔が俺は大嫌いだ。それきり車内で会話はなかった。




タイマーは時間内に達成できていない事実を知らせて鳴り止んでいた。1時間以内に150人。中原さんの異能のおかげで身体は軽く、攻撃の速度も威力も上がっているというのに、現実は厳しい。150人倒すのに、2時間弱かかっている。だんだんと腕や脚、脇腹や肩の傷口から血が滲み、動きも鈍くなってきた。

「中也さんはまだ戻りませんが、今一度やりますか?」
「ちょっと…待って下さい…次は、一旦…休んでから」

黒服に訓練の催促をかけられる。1時間以内に150人倒すつもりで取り組んでみて、すっかり憔悴した身体でその場になし崩しにしゃがみ込んだ。息が上がり、身体は火照っている。動くのを止めた途端に疲労感にも見舞われ、座っているのも怠くなり、床に仰向けに転がった。目を瞑り、何のために強くならなければいけないかと、戦う理由を考える。今よりも強くなるためには、この辛い訓練に耐えるには、それなりの理由が欲しい。

私の傍から離れずにいた黒服は不意に動き出し、エレベーターへと移動する。中原さんが到着したのだろうか。何人か担架で運ばれて行ったが、床一面に黒服が倒れているなか、こちらに歩み寄る気配があった。

「うーわー、氷彗ちゃん強いな」
「ったりめェだろ!俺の異能でこの程度は、むしろ弱ェぜ」

聞こえてきた会話から中原さんと太宰さんが揃って来たのが分かり、重い瞼を開いた。中原さんは衣服が汚れて破けている箇所もある。上着を肩にかけ、腰を折って私を覗き込んでいた。太宰さんも中原さんの対面側から私を覗き込んでいる。包帯を頭に巻き、頬に絆創膏をつけているものの衣服には傷一つない。私は慌てて上体を起こした。

「お疲れさまです!」
「タイムは?」
「2時間弱でした」
「こりゃあ、まだまだだな」

中原さんに経過を白状している間、太宰さんは私の怪我を見ていた。脇腹や肩の傷口を指でつつかれる。

「痛い?」
「少し」

中原さんは手にしているお弁当を掲げ、負傷した私を見た。

「昼飯どうする?先に医務室行くか」
「食べてから行きます」
「なんだ訓練しないんだ」

差し出されたお弁当を受け取り、広げる。太宰さんは残念そうに脱力し、私の隣に腰を下ろした。中原さんも私の隣に胡座をかいて座った。私を挟んでも2人は言い合いをやめない。

「用がないなら、仕事に戻れよ」
「私だって休憩したいのだよ」
「太宰さん、お腹すきませんか?」
「すいた〜」
「私の唐揚げお一つどうぞ」

太宰さんには食事がないのが気になった。お弁当箱から唐揚げをお箸で掴んで太宰さんへと差し出そうとする。それを中原さんに阻止された。

「やるな!俺は天方に作ったんだぜ」
「中也のケチ」
「ケチじゃねェ」

歪み合う2人に挟まれながらも、私はお箸を進めていた。卵焼きも唐揚げも小揚げに味がたっぷり染み込んだ野菜炒めも、味付き昆布がかけられたご飯もどれも美味しい。

「ま、私は非常食の蟹缶を持ってるし、飼い犬から餌付けされる筋合いはないかな」
「だ・れ・が!飼い犬だよクソ鯖野郎」

一通り言い合ったあと、太宰さんは懐から蟹缶を取り出した。彼等の会話が途切れ、やっと中原さんに話しかけられる。

「中原さんが怪我をするなんて、どんな任務だったんですか?」
「火力発電所と組合の保管庫の爆破」
「爆破…!?」
「火力発電所に時限爆弾を仕掛けたのは私だよ」
「保管庫に潜入して崩壊させたのは俺だ」

中原さんと睨み合う太宰さんを見て、捕らえられた日の怪しく黒光りする太宰さんの隻眼を思い出した。あの日の任務はあのビルにいる従業員の殲滅とビルの倒壊、だろうか。ポートマフィアの仕事内容は不穏で哀しいものがほとんどなのかしれない。しかし、仕事内容はどうでも良かった。

「私も太宰さんとお仕事できますか」
「そうなるかもな!俺の異能をコピーしてこいつと組めば、汚濁を使って死ぬかもしれねェぞ」
「中也はね。けど氷彗ちゃんは…たとえ森さんの命令だったとしても、死なせない」

太宰さんは私の髪を指先で掬い、引っ張って私と目を合わせて微笑んだ。こんなに柔らかい表情が出来る人だったのかと、その貌に魅せられる。綺麗な顔立ちが一層、柔らかさを神秘的な美しさにまで魅せていた。

「いいえ、首領の命令を優先して下さい。私はあなたの為なら死ねます」
「え」

首を振って、否定の言葉を並べると、私の髪を優しく引いて弄ぶ指先が離れた。薄く開いた唇を閉じられず、虚をつかれた瞳から目を逸らす。私が戦う理由は今はこれで十分だと思えた。

「この訓練場はあのビルの地下に似てます。窓もなく、時計も何もない。あそこにいた頃、私は毎日のように死にたいと思ってました。そんな場所にいた私を見つけて、外に出られる機会をくれたのは太宰さんです。ありがとうございます」

最後はお礼を述べて、頭を下げた。太宰さんが何も言わないので顔を上げて伺う。太宰さんは俯いていて、表情は見えなかった。中原さんに頭をはたかれる。

「放っとけ」
「いいんですか?」
「いいんだよ」

中原さんに無視するよう言われていると、吹き出して苦笑している太宰さんが顔を上げた。中原さんは舌打ちをした。

「ごめん、氷彗ちゃん、あんまり面と向かってお礼を言われ慣れてなくて」
「…そうだったんですか」
「うん。ちゃんと言ってくれて、ありがとう。嬉しいよ」

太宰さんに買い物に行った日のような無邪気さが戻っている。それだけで本心では感謝されていなかったとしても、言って良かったと思った。食べ終わったお弁当箱を閉まい、中原さんの服の袖を引く。

「ご飯を食べてだいぶ体力が回復しました。また手合わせお願いできますか」
「上等だ。怪我を負った状態での戦闘は任務では当然あるしな。後悔すんじゃねェぞ」

医務室に行かずとも、血の滲む身体に鞭を打って動いてみようと今では思える。蟹缶をチマチマと再びつまみ始めた太宰さんに声をかけた。

「私きっと強くなりますから、それまで見てて下さいね。…いえ、待ってて下さい」

中原さんが黒服の人達を引き払って、私を呼んでいる。蟹缶を口に含んでいる太宰さんが何か言う前に、その場を離れた。