カランカランと小気味の良い音を鳴らし、喫茶店の扉を開いた。路地裏にある小洒落た店内は陽当たりが悪く、昼間だろうと夕刻だろうと各席のランプは灯っている。昼間から深夜帯に営業しているこの喫茶店は仕事柄、立ち寄りやすく、よく来店する。店主に今日は何にしますかと問われ、濃いめでと返せば希望通りの物が出てきた。

氷彗ちゃんは買った物を中也と同棲をはじめたマンションに置いてくると、一時帰宅していた。落ち合う場所にこの喫茶店を指定し、3分ほど前に別れている。氷彗ちゃんに付けていた発信機を今は私が身に付けており、この発信機を探知できる対の機械を彼女に託した。慣れない土地でもこれなら迷子にはなりずらい。

いつもは包帯を頭に巻いていて、片目の視界が今日は彼女に包帯を解かれ、ひらけている。買い物をしている間はふざけて楽しんでいられたが、一人になると鬱屈が首をもたげた。

最初に、彼女を見つけたのは私だ。麻薬組織を調べていて、その存在に至った。彼女をポートマフィアにスカウトしに行ったのも私だ。あのとき彼女の瞳に、声に、言葉遣いに、どことなく惹かれた。話してみれば友人に似た雰囲気で心許せたし、出かけると楽しくてついふざけてしまう。自分以外の男と同棲をはじめるための買い物に付き合うのはきつかったが、そんな苦渋を舐めてさえ、彼女と中也の間に自分が入る余地を探している。
最初に、彼女を見つけたのは私だ。それなのに仕事上とはいえ中也と彼女が同棲するよう仕組まれた。彼女はともかく、きっと中也は彼女を気に入るだろう。それが分かる。このままでは自分から彼女が遠ざかっていく。

自身の鼓動が耳に障る。カサリと腕が紙袋に当たった。彼女が帰宅する直前に、手袋の入った小さな紙袋だけスっておいた。万が一、彼女の気が変わってカジノに興味が失せても、手袋を探しに戻ってくるはずだ。

昨晩と今日の彼女を振り返りながら、自身の気持ちを整理していると時間はあっという間に過ぎていたようだ。入口から彼女が入店したのを認めた。私が手を振ると、こちらに進んで来て向かいの席に落ち着く。彼女から機械を受け取り、マイクロチップは外した。

「すみません、やっぱり手袋だけ忘れてましたね」

私の脇にある紙袋を見て、彼女が申し訳なさそうにするので、肩を竦めてみせる。

「いや?これ、私が君からスったの」
「え」
「君に必ず戻って来て欲しくて。プレーヤーには邪魔だから、カジノを出るまで私が持つよ」
「はあ…」

彼女は訝しげに曖昧な返事をする。私は胸ポケットからトランプを取り出して微笑んだ。

「さて。氷彗ちゃん、ポーカーって知ってる?」





ポートマフィア系列のカジノへ太宰さんと向かっている。彼はポートマフィア管轄のカジノであれば入店できるという。未成年だろうと関係ないそうだ。それだけポートマフィア内で彼は顔が割れているらしい。先代の最後を看取り、首領と共に遺言を聞き届けた少年だと。これは先刻までいた喫茶店でポーカーを教えてもらったついでに聞いた話だ。

トランプは子供の頃よく遊んでいたため馴染み深いものだし、ルールはそんなに難しく感じなかった。しかし心理戦とはいえ、経験値が0では相手の手持ちを予想するのは難しい。そう言うと、太宰さんはフフッと可笑しそうに短く笑った。

「相手の手持ちが分からなくても、勝機は十分にあるよ。氷彗ちゃんは元々、顔立ちから年齢を推測されにくい。感情が表情にも声にも出ない。初めて会ったとき、奇襲に動揺していたはずなのに瞳さえ揺れてなかった。ポーカーで君と対峙する相手が可哀想だな」

彼は年に似合わない妖艶な笑みを浮かべ、一息にそう言ってのけたのだった。私から見れば、喫茶店の卓上ランプに照らされ、頬杖をつきながら妖艶に微笑む綺麗な相貌は、それこそ年齢不詳に見えた。


喫茶店を出てからは、太宰さんと早足で歩いている。なんでも今日はカジノでポーカーのトーナメントがあるらしい。そのトーナメントに私も出られる事になった。首領から彼に着信があったのだ。私とカジノに行くならやって欲しい仕事があると。彼は仕事を受けるからと首領に私がトーナメントに出られるよう口利きしてくれた。

「はあ、どうしてこう、私の行く先々に仕事が転がっているかなあ」
「森さんて人使い荒いから、氷彗ちゃんも覚悟しといた方がいい」

目的地へと急ぎながらも、彼の減らず口は健在だった。このトーナメントはカジノで監視カメラの目を欺いて、スリをしている者を釣るために仕組まれたという。といっても正式なものだから、勝てば賞金はもらえる。カジノへと到着すると、太宰さんは小型の盗聴器だと言って、私のシャツの襟の裏に薄っぺらい機械を忍ばせた。

「ここから私達は別行動だ。君の試合動向は盗聴器から聞いてていいよね」
「かまいませんが…汚濁、になった場合はどうしましょう」
「それも盗聴器からの音でわかるよ」
「私の手袋は?」
「私のポケットに入ってる。返すから、また後でね」
「今、返してくれないんですね」
「ダメだよ。本当は仕事抜きで、君と二人でカジノに来たかったんだから」

彼は無邪気に微笑み、関係者以外立ち入り禁止という立札のある薄暗い通路へと歩んで行った。お小遣い稼ぎのためと気楽にカジノに来たのだが、どうも風向きが変わってきた。煌びやかなエントランスホールから彼の後姿を見送り、私は目に痛いくらい鮮やかな光の点滅を繰り返すカジノへと足を踏み出した。




「フルハウス」

手応えがない。対戦相手は私の手札の読みが外れると苛々するのか、どんどん感情的になり私は相手の手札を読みやすくなる。この繰り返しで、強いカードが揃っていない時でも勝てた。カジノの中でこの部屋だけが、重苦しいほどに静かだった。
このカジノのトーナメントでルーキーが優勝するのは初めての事だったらしい。大きな大会でないとはいえ、プロも何人か参加していた大会で優勝し、予想外に目立ってしまった。歯軋りでも聞こえてきそうなほど悔しげな顔や、おぞましい物でも見るような視線を掻い潜り、ポーカールームを後にする。


チップは換金所で交換した。大金が入り胸を撫で下ろしながら、太宰さんを探しに関係者以外立ち入り禁止の立て札のかかった通路を進む。黒スーツで重装備の体格の良い男性が2人、見張りをしていたが、私を確認すると通してくれた。私の顔までいつの間に割れたのだろう。疑問に思っていると奥の方で、微かに銃声が鳴るのが聞こえた。精神的にも肉体的にも疲弊しているのを忘れ、銃声のした方へと走る。

通路の奥の一ヶ所に、まるで金庫のように重厚な円形の扉が半開きになっている部屋があった。そっと中へ入ると、深紅の血が照明を反射させて黒光りしているのが見えた。床には血溜まりが広がり、何人かの死体が転がっている。部屋の壁際に追い詰めた人間を、今まさに撃ち殺したであろう銃を手にして、太宰さんは入口から動けずにいる私に気付いた。

冷酷な眼差しで事切れた死体を見ていたのと同じ顔が、嬉しそうに破顔している。

「優勝おめでとう、氷彗ちゃん」

見た目に優しそうな人達の、死体が転がる部屋の中には場違いなアットホームで温かみのある声音だった。私の皮膚を熱い何かが這い巡る違和感を覚える。太宰さんは私の傍にきて、頬に手を添えた。

「人間失格」

皮膚を這っていた熱は冷めた。太宰さんが頬に添えていた手は私の後頭部へと回され、彼の胸板に頭を抱き寄せられる。

「やっぱり、中也の異能は厄介だろ?」
「太宰さん…この人達は?」
「例のスリ。カメラの目は欺けていたけど、私の目には止まったね。簡単に捕まえられて、処分したところだ」
「スリなら、警察は?」
「ポートマフィアが管理する全ての場所において、制裁を下しているのは私達さ。大抵は警察より残酷で、殺処分だ」
「これが私達の仕事なんですね」

私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれる彼の声と、早鐘のように脈打つ彼の心拍を聞いていると、不思議と動揺は引いていった。むしろ仕事に対する覚悟が決まった。血溜まりが黒光りし、死体が転がる部屋の中で抱き寄せられたまま、太宰さんも私もしばらく沈黙を貫いていた。

携帯の着信音が部屋に響いた。太宰さんから離れ、振動している携帯を手に取って耳に当てる。

「はい」
「手前こんな時間までどこうろついてんだ?」
「カジノです」
「カジノォ!?まだ太宰といンのかよ。とっとと帰って来い!」

居場所を伝えると怒り出した中原さんを何と言って静めようかと考える間も無く、携帯を太宰さんに取られた。

「中也、声が大きいよ。丸聞こえ」
「アん?手前、天方を帰せ。そいつは明日から俺が特訓するんだぜ」
「氷彗ちゃんはポーカーの大会に出てたんだよ。ちなみに、首領が許可したの。で、優勝!すごいだろ?ポーカーを彼女に教えたのは、私だよ」

太宰さんは中原さんに楽しそうに私の話をしていたが、途中で通話を切られてしまったようだ。携帯を耳から離し、舌を出した。

「切れちゃった」

中原さんは感情と携帯のどちらを先に切らしたのだろう。太宰さんから携帯を取り返し、かけ直した。

「クソ太宰だったら今すぐ切る」
「私です」
「おう。今そっちに向かってるから待ってろよ」
「ありがとうございます。実は…帰り道があやふやで」
「んなこったろーと思ったぜ。ったく、世話がやけるな」
「すみません」
「謝らなくていいっつったろーが。じゃあな」

私に対しての怒りは、太宰さんと話して切れた事で忘れているようだ。太宰さんは見張りの黒服の人を連れて来て、部屋を片付けるよう指示を出していた。邪魔になるだろうし、長居するのも憚られるため、血溜まりと死体が転がる部屋から出る。太宰さんも後からやって来た。

「太宰さん、賞金はどうしましょう?」
「ん?振り込み方わからない?」
「そうではなくて!…あの、太宰さんに教えてもらって、優勝した賞金ですから」
「いいよ。私はいらない。それは君の実力で勝ち取ったものでしょ」
「でも…」
「お金以外のお礼なら欲しいかな」
「何でしょう?」

太宰さんが歩みを止めたので、私も立ち止まって彼を見上げる。さきほどと同じように頬に手を添えられ、彼は私の頬に口付けを落とした。蓬髪が肌をくすぐって、耳の後ろからうなじにも軽めのキスを二、三度されて身体が跳ねる。

「んっ、」
「はい。これがお礼って事で。またね、氷彗ちゃん」

クスリと微笑を零し、太宰さんは黒い外套を揺らめかせ、夜の闇へと溶けるように去って行った。ポケットが膨らんでいたので中を探れば、買ったばかりの手袋があった。今の行為は私を好きでしたのか、人を揶揄う趣味があってしたのか、判然としない。今朝、中原さんには好きな人としかしない行為と言われたが、太宰さんにその法則が当てはまるとは思えなかった。







夜の繁華街を行く当てもなく歩く。そうすれば大体、声をかけられるものだ。私も黙っていれば見た目はただの未成年。ほどよく肌を見せ、ニットや透け感のある身体のラインを強調する服装、唇に真っ赤なルージュ、ほんのり甘やかな香りを漂わせ、女を持て余していそうな人を待てばいい。

男女問わず、夜の街では大人が未成年を捕食している。ちょっとだけ楽しみたい、遊びが終われば日常に戻るから。シガラミに見放されずに、自由に外の世界を楽しみたい、それが賢い生き方だから。そんな考えの人間は夜の街を好む。実際は、それらはただの甘えだ。日常は別の方法でもっと効率良く回るし、賢く生きたいなら欲に振り回されるはずはない。

「喘ぎ声聴かせてくれるの?」この一言で濡れるぐらい都合の良い身体がいい。ただ快楽を与い合うだけの、そんな夜でこの気持ちを押し潰そう。