しけた仕事だった。手柄はほぼ太宰のもの。俺は燃えて脆くなったビルを異能力と打拳で破壊したのみ。つまりは処理班まがいの仕事だった。

ここのビルの連中は親会社から独立したのち、麻薬の販売で資金調達をしながら人体実験をしていたらしい。同じ年に親に産み捨てられた赤子を何十人も引き取り、実験体にしたという。行われていたのは投薬実験。ある物質の組み合わせを溶液に溶かし、0〜5才までの期間に毎日投与すれば、他人の異能力をコピーできる身体になるのではないか。そんな仮説を立証するべく何十年も実験を続けていたという。といっても成功例はただ一人だったため、研究は行き詰まっていた。この薬品の開発に人生をかけていた連中は資金繰りのため麻薬の販売に精を入れ、そこでポートマフィアと衝突し一悶着あり、こうして始末されたという訳だ。

胸ポケットの携帯が鳴る。首領からの招集だ。異能力をコピーできる実験体はポートマフィアに入るようだ。新入りの面を拝むとしよう。燃え尽きたビルの煤が衣服の端についているのを手で叩き落とし、踵を返した。



首領の部屋にはまだ新入りは来ていなかった。先に自分が呼び出された事実に疑問を抱きつつ、帽子を脱ぎ恭しく頭を下げる。首領が腰掛ける椅子の脇の小机には、懐かしくもいつだったか蘭堂さんの私物である資料が置いてあったように本が積み重なっていた。

「中也くん、君に新しい子の面倒を見てもらいたい」
「はっ。…俺がですか?」
「ああ。戦力になるからね。あの子には、まず君の異能力を使えるようになって欲しいんだ」
「戦闘要員にするんですね」

ポートマフィアに加入してすぐ、姐さんが自分の指導をしてくれたのが思い出される。幹部候補として随分はじめから色んな事を経験させてもらったものだ。自分もあんな風に後輩を育てられるだろうか。

「うん。予想はしていたけどね、あの子が受けた人体実験は生物化学の分野のものだった。私は医師としてそれなりに医学は勉強してきたが、生物化学には明るくない。医学と生物化学は似て非なるものだよ。そしてこの研究は何百人も赤子や幼児や子供を犠牲にしておきながら、成功しているのはあの子だけなんだ。しかも、研究を続けるための費用はうちでも負担するには荷が重い。費用対効果が期待できないんだ。この研究をしていた者は発見した物質の組み合わせとその化学反応の成果を、自分の偉業として社会に認められたかったのだろうね。」

首領は椅子から立ち上がり、眼下のヨコハマの夜景に目をやった。物憂げなその雰囲気はこれから始まる長話を物語っているようだ。

「他者の異能力をコピーできるのはヨコハマにはあの子しかいないだろう。そんな事が出来る人間は私達の仲間でなければ、敵になるなら始末しなければ脅威にすらなる。この意味が分かるかい?中也くん。強制されたにせよ、人と違う道を歩んできた者に逃げ道はない。誰もが歩んだ安全な道という逃げ道が。私達が外に連れ出すまでビルに閉じ込められていたような人間が、社会に出てやっていけるほどこの世界は甘くない。特別な力を持っているからこその危険を、君は身を持って知っているだろう。あの子の指導者に君以上の適任はいないよ」

首領は俺の肩に手を乗せ、こちらを信頼しきっている様子で話しを締めくくった。それから再び椅子に落ち着いた。これで長話は終わったようだ。俺は首領の信頼に答えなければならない重圧を感じたと同時に、指導を任された後輩に興味が湧いた。

「名前は何て言うんですか?」
「天方氷彗くんだ。もうすぐここへ来るが、今は太宰くんとお着替え中だそうだ」
「は?太宰!?お着替え?」
「ふふっ、君達は本当に仲が良いね」
「首領、それだけは、否定させて下さい。誰があんな野郎と!」

帽子を被りなおし、腕を組んで苦虫を噛み潰したような酷い顔を首領から隠した。太宰という名前を聞くだけで、腹わたが煮えくり返りそうだ。首領は穏やかに笑っている。

「分かっているよ。話が逸れてしまったね。天方くんの体質についての詳細は、資料と相違ないか芥川くんが人質に尋問して精査している。情報を特定次第すぐ連絡しよう」
「わかりました」
「できれば天方くんの日常生活の指導も君にお願いしたいんだが…同棲に抵抗があるなら、生活は太宰くんに任せようか」

首領は顎に手を添えて、判断しかねるのか見定めるような視線を注いでくる。今は悠々自適な一人暮らしだが、羊にいた頃は集団生活が日常だった。同棲している方が訓練もしやすい。何より太宰からの助太刀などお断りだ。

「そのような二度手間は必要ありません。全てお任せ下さい」
「そうかい?天方くんは女性なのだけど」
「お、お!?女!?って…」

首領が同棲を勧めてくるものだから、てっきり男かと思い込んでいた。確かに異性と同棲するのには抵抗がある。太宰は女には目がないから、同棲となれば尻尾振って食いつくだろうな。異性に対する苦手意識と、太宰の女を追いかける際の生き生きとした様子を天秤にかけている間にも首領との会話は続く。

「ほらね?君は異性に奥手だからなー。特に同年代の」
「まさか、年が近い?」
「うん。君達の2つ下だよ」

更に厳しい条件が追加された。姐さんと俺くらいの年の差があれば、異性だろうと子供扱い出来たのに。内心では自分好みの女であれば、同棲するのも悪くはないと思う。しかし、世の中そんな上手い話しがあるだろうか。いや、ないだろ。

首領は軽い口調で悩ましげである。こちらは生活と仕事がかかっているため真剣に考え込む。揃って頭を傾げて迷っているとき、後方で扉を軽快に叩く音がした。

「森さーん、連れて来たよ!」

憎たらしい声が背後から聴こえた。今日はやけに張りのある明るい声をしてやがる。

「遅かったじゃないか」
「仕方ないでしょ。氷彗ちゃん、病院服しか着たことないって言うんだもん。服装について、一から教えてたんだ」
「ああ。似合ってるじゃないか。君が天方氷彗くんだね」
「お初にお目にかかります。首領」

女性らしい落ち着いた声がした。振り返ると、太宰の隣には白黒のマフィアらしい服装にニーハイブーツが印象的な女が立っている。太宰と手を繋いでいる。何故。

「君達はもう仲良くなったのかい」
「え?」
「とっても仲良しだよ。車を降りたときから、手を取って歩いていたくらい」

顔の前まで繋いでいる手を持ち上げ、太宰は満面の笑みで天方を自分の方へと引き寄せる。太宰の方へと引き寄せられた彼女は初対面でも分かるほど困った顔をしており、このとき初めて俺と目が合った。助けを求められている気がする。

「手前が強引に繋いでるんじゃねぇか」
「何だい中也。藪から棒に。男のヤキモチはみっともないよ」
「うるせぇな!この女ったらし!首領の御前だぞ。いいから、その手を放しやがれ!」

太宰の上半身に打掌をいれようとしたが、動きを読んだ奴はひらりとかわした。天方と繋いでいた手は放したようだ。

「怖いな〜。そんなドスの効いた低い声してたら、女性が逃げるよ。中也、首領の御前だ。無闇矢鱈と争うのは控えようじゃないか」
「ちっ。わーってるよ」

盛大に舌打ちしたが、それでも腹の虫はおさまらねぇ。こいつとは一生かけても分かり合える気がしねぇな。首領は椅子に肘をつき、顔の前で両手を組んで遠い目をしていたが、室内に静けさが戻り我に返ったようだ。

「む。終わったかい?全く君達は…顔を合わせるたびに口論になるね」
「…すみません、首領」
「中也が悪い」
「ンだとぉ!」
「それぐらいにしておきなさい。天方くん、ここにいる中原中也は君の先輩になる。今日から彼と行動を共にし、彼の命令には私の次に絶対服従だ。いいね」

首領は部下達のやり取りに疲れたのか有無を言わせぬ口調に切り替え、天方を鋭い目で見据えている。彼女は一目ではわからない程度に僅かに腰を折り、伏し目がちに頷いた。そして俺の方へやや斜めに身体を傾ける。

「天方氷彗と申します。よろしくお願いします。中原さん」
「…おう」

優美な女性特有の声の響きが、どうにも耳に慣れない。天方は表情に乏しく整った顔立ちをしていて、何を考えているか相貌を見ても分からなかった。見た目も年齢不詳というか、年上か年下か判別しにくい。これはマフィア向きの見てくれである。首領は満足気に微笑んでいた。

「さて天方くん、君が生活する場所だけれどね。太宰くんの所と中也くんの所、どちらがいいかね」

無。首領の問いかけに対し、天方は僅かに首を傾げていた。一瞬だが、室内は水を打ったように静かになった。最初に口を開いたのは太宰だ。

「森さん、中也が女性と同棲すると思う?彼女は私の家で生活するんじゃなかったの」
「勝手に決めつけやがって。俺は構わねぇぜ」
「…ふーん。中也は天方くんと同棲したいのかい」
「ンなっ…!だから、したいとか、したくないとか、そういう問題じゃねぇだろうが!」

頭に血が上っているのか、顔に熱が集中していくのが自分でも分かる。だが嫌がっている素ぶりもある天方を、この女好きと生活させる気にはどうしてもならないのだ。腕を組んで太宰を睨みあげると、太宰は片手を腰にあてて睨み返してきた。

「だったら譲ったらどうだい。天方くん、彼はこんな風にドスの効いた声で、君に飯だ風呂だと要求し、家政婦代わりにするつもりなんだ。うちに来た方がいい」
「はっ。首領から飯も風呂も生活面は指導がいると既に聞いてる。俺が面倒見るぜ」

天方に適当な事を吹き込むのを鼻で笑って一蹴した。太宰が予想外の展開に翻弄されるのを初めて見たため、胸の内がスカッとする。
太宰は片目を覆う眼帯と包帯を器用にほどき、腕から肩にかけての包帯と隠していた十八番の鉄装備もはずした。

「そこのドチビと違って私は背が高いし、顔立ちも劣ってはいないよ」
「胡散臭い女泣かせと暮らしたら、後で後悔するだろうぜ」

火花を散らして睨み合っていれば、額に片手をあてて頭を支えていた首領が割って入ってきた。

「2人とも、やめなさい。天方くん、どうするか決めたかい?」

首領に再び問いかけられた天方は今度は答えが決まっていたらしく、しっかりと頷いて俺の方へと寄ってきた。

「…中原さんのところが、いいです」

その解答に勝ち誇って太宰を見上げれば、彼は小声で呟いた。

「中也は単純すぎるね」

太宰の小さな呟きに被せるように首領は太宰に声をかける。

「天方くんを勧誘したのは太宰くんだ。通例通り、身に付ける物をあげなさい」
「うん。そうだね…氷彗ちゃんには私のネクタイをあげるよ」

太宰は天方と正面から向かい合い、自分の襟からとったネクタイを身を屈めて丁寧な手つきで彼女の白シャツの襟にしめた。

「いいね。今の服装に合ってる。結び方は中也から教えてもらうといい」
「ありがとうございます」

そう言って太宰が天方に微笑みかける姿は悔しいが見栄えがいい。身長差があれば、こんな風に振る舞えるのだというのを見せつけてくれる。俺はそんな2人から顔を逸らした。