緊急警報が鳴り響いた。

ビル内の地下からは、上階に通じる廊下に出る鉄扉を開かなければ、脱出は不可能。鉄扉の前まで駆けつけ、固唾を飲む。

廊下を蹴るようにして駆ける無数の足音。廊下を吹き抜ける轟音。コンクリートの破片などが吹き飛ばされ、散らばる音。物が破壊される音、ガラス類の割れる音。

鉄扉の向こう側からは、非日常を連想させる音が次々と連鎖するように響いている。非日常だが、いつかこうなる予感はあった。きっと私達がさせられていたのは、異常な事だったのだ。ここで亡くなってしまった人達の記憶が、走馬灯のように頭を駆け巡っていく。

轟音と重なって足音が近付いてきた。鉄扉から飛び退いて、その扉から何者がやってくるか警戒する。

重々しく、堅く、施錠されていたはずの鉄扉は、鍵穴に何か差し込まれたのち其れが軽快なリズムの音を立て、あっさりと、ゆっくりと、軋みながら開いた。

開いた扉から吹き込んできた生ぬるい風は焦げ臭さと血生臭さを含んでいた。鼻腔いっぱいに広がったその臭いに思わず顔を顰める。扉に目を凝らす暇もなく、一本の黒く長い刃が矢のごとく迅速に伸びてきて、扉から十分に距離をとっていた私の喉元に突き付けられた。

「芥川くん、刃を引きたまえ」
「しかし、」
「命令だ。刃をしまえ」

そんな押し問答を何者かがしている。黒いコートをはためかせる二人組が見えた。真っ暗な部屋の中からオレンジ色の灯りが廊下から差し込み、その逆光は二人組のシルエットだけを扉の枠を額縁のようにして際立たせている。

抑揚のないどこか余裕のある暗い声で、片方が私に質問を投げかけた。

「君は天方氷彗かい?」
「…そう。私が天方氷彗」

下手に誤魔化しはしない。きっとこの人は分かっている。このビルの地下1〜3階には既に私しかいない。答えを聞くやいなや先程の刃が鞭のようにしなり、私の身体を縛り上げ空中へと掲げた。

「ターゲットの捕縛を完了しました」
「君には今、2つ選択肢がある。1つはここで殺される、もう一つはポートマフィアの一員になる」

ポートマフィア?一員になる、というのはこの人達の仲間になるという事だろうか。殺されるくらいなら、その方がいいか。

「あなた達は何してるの」
「見たら分かるだろう。武力制圧さ」

溜息が出た。上からだと私を見上げる二人組の顔が薄っすらと伺える。相貌こそ違うが、どちらも冷めた目をしていて表情に狂気を潜ませている。眼帯をしている方は、隻眼の瞳が闇の中で怪しく黒光りしていた。私を縛り上げている方の異能は強力なものだ。これだけで、なぜ私をターゲットにしたのか察しはつく。

「ポートマフィアの一員、というのは、外に自由に出られる?」
「仕事がない日は、ね」

2つ返事で了解の意を伝えると、縛り上げられていた身体を下された。血の流れが止まりそうなほどキツく縛られていたため、手足に痺れが残っている。私に話しかけていた背の高い方は、携帯を取り出して誰かと通話しはじめた。背の低い方は身を翻し「ついて来い」と言って私を一瞥してから歩き出した。その背中を追って一歩を踏み出す。

廊下およびビル内は、そこかしこが破損し、床に、壁に、天井に血痕が飛び散っていた。血を流して倒れている人が、数え切れないほど無造作にそこら中に転がっていた。芥川と呼ばれた人は酷く咳き込んでいて、ビル内を私を従えて足早に通り抜けた。外に出たときに視界の端に捉えたビルは、上階の半分が燃焼。私は何処へ連れて行かれるのだろう。むせ込んで肩を揺らす黒い背中を急いで追いかけながら、疑問に思った。今まで居た場所より良い暮らしが出来れば何でもいいのだけれど。

外に出られたのはこれが初めてだ。元いたビルにいた頃から、外に出たくて仕方なかった。その夢がもうすぐ叶う。私と芥川さんを乗せて走る"車"というものの窓から景色を眺める。"夜の街"は宝石のように煌びやかな輝きを放っていた。"車"が走る道も、人の歩く道も、灯りで照らされている。勝手に動けば隣で静かに腰掛けている少年の黒いコートが容赦なく私を縛り上げるのは容易く想定出来たため、微動だにせず、ただただ窓の景色をしかと瞳に焼き付けた。



「さあ、どうぞ。ポートマフィアへようこそ」

瞬きをした。さきほど私を捕らえに来た隻眼の人は一足先にビルに着いていた。人が変わったような無邪気な笑みを浮かべ、丁寧に扉を開いた手を私に差し出している。何かが、愉快で仕方がないという様子なのは気のせいだろうか。不本意ながら失礼にならないよう、恐る恐るその手を取って車を降りた。

「地下の拷問部屋に人質がいる。わかってるね」
「はい。僕が向かいます」

芥川さんとすれ違うとき、彼が早口で囁いた台詞にビルの惨状を思い出した。やはり間違いなく、あれをやってのけた人と同一人物なのだ。私が顔色を伺えば、ニコリと微笑みかけてくるこの人は。

「ん〜〜〜、君を病院服のまま森さんのところへ連れて行くには悪目立ちするなあ」
「…はあ。病院服?」
「うむ。君が着てるものは、まさに病院服のお手本のようなものだ」
「これ以外の服は…着たことがないんですが」
「ええ!?そうなのかい?なんという事だ!まずは着替えなければね!」

この人はスキップでもし兼ねないほど、浮足だってはいないだろうか。何故。あまりに謎めいた人ではあるが、もしかして普段はこんな調子なのだろうか。私の手を引いて意気揚々と、彼はビルの中へと進んで行こうとする。
破壊され、燃やされてしまった在り来たりな出で立ちのビルとは対照的な、高度な技術で建てられたであろう高く聳える洗練されたビル。磨き上げられたガラスの自動ドアの向こう側には豪奢なエントランスホールが広がっている。目眩がした。



「え〜〜〜…それで、いいのかい?」
「お手本の通りでは?」
「綺麗な着物は?」
「動きにくくて重いです」
「スカートは?」
「風通しが良すぎて落ち着きません」
「レース生地は?」
「破けそうです」
「柄物は?」
「幼く見えます」
「ピンク色は?」
「幼く見えます」

砕けて話している様子は私と年が近そうだ。唇を尖らせ、不満そうに肩を竦める彼は椅子の背をだき抱えるようにして座り、頬を膨らませて頬杖をついた。それから真面目な顔をして、大きな鳶色の瞳を細める。

「うーん…白シャツ、短パン、ニーハイブーツ、色気はあるよね」
「色気ない方がいいですか」
「とぉんでもない!もっと女性らしい格好でも良かったくらいさ」

おどけてみせる彼は名前を太宰治と言うらしい。彼とビル内を少し歩いただけで、自分の服が周りから浮いているのを痛感した。ここで働く人が着ているような服がたくさん用意されている部屋で着替え、やっと太宰さんの隣にいても不自然ではない格好が出来たと思ったけれど。このビルに来てから女性には遭遇しなかったため、確かにどこか男性風の服装になっている。鏡に映る姿は、第1ボタンの付いていない白シャツに黒の短パン、ニーハイと黒く長い革製のブーツを着用している。白黒で統一したのは太宰さん含めビル内の人々がそういった格好をしているからだ。

「男性風の格好をすると、かえって女性らしい体型が強調されるようだ」
「…すみません、長ズボンに着替えます」
「おっと!時間がないんだ。首領を待たせるのはご法度だよ」

試着室に戻ろうとする私の肩は、颯爽と椅子から立ち上がった太宰さんにしっかりと掴まれていた。



エレベーターに乗り、長い廊下を歩いてたどり着いた部屋は何もかもが上質な物で出来ていた。一目で特別な人が座るのだというのが分かる椅子には理知的な瞳の中年の男性が腰掛けている。その傍には、オレンジ色の髪の小柄な男性がこちらに背中を向けて立っていた。