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「なあ、ホンマにやるん?」
「なんや治もやれる言うたやん」
「"やれる"言うただけやで。"できる"とは言うてへん」

夜遅くに眠気と葛藤しながら聞いた話を、朝になって冴えた頭で思い出して慌てている。侑はほんまに上手くいくんかいなっちゅーこともやる。出来れば美味しい話やけども。躓きポイントが多過ぎる計画を実行できると思える自信はどっからくんねん。頭悪いんちゃうか。あ、俺も同じDNAの頭やったわ。

「なんや〜怖気づいたんか」
「ちゃうわ。いや、そうでもないか?ツムは自分がやれ言われて出来るんか」

肩透かしを食らったようにつまらなさそうにしていた侑は口をへの字にして眉を寄せた。子供の頃から我儘言いよるときはこの顔や。成長してへんくてビックリするわ。

「俺まだ好きな人おらんもん。強いて言うなら巨乳の子はみんな好きや」
「巨乳なら俺かて好きやわ」
「せやねん!お前と将来取り合いになる未来だけは避けたいねん!」
「だったらもうちょい実現可能な範囲の計画立てえや!」
「可能な範囲やろが!」

突然イキって人のこと指差しよるから、その指を反対方向に握り上げて胸ぐらに掴みかかる。押し合い圧し合いすれば気は済んで、乱れとった髪を更に掻き乱して溜息をついた。

「…少しでも上手くいかんかったら、その時点でやめるからな」
「それでええやん!」
「つまり、やらんっちゅーことやな」
「何やと!?俺らならドラマ展開も少女漫画展開も作れるて!設定がそっち系やもん」
「アホか。もうええわ」

侑に背を向けて足早に歩き出す。侑に振り回されてる自分に腹立つわ。


昼休み。勝ち誇った顔で双子の片割れは1組にやってきた。侑は他の休み時間に北さんとこへ質問しに行って、ついでに菊地先輩のLINE訊くのに成功したらしい。俺にも教えていいか許可も取得済みやと。他学年教室まで赴いて、自分の教室まで戻る時間を確保するのを、規則に厳しい北さんに叱られずにやってのけた侑には舌を巻いた。無理やろ思たもん。やりよる。

「はよLINEしいや」
「ちょお待て。最初の一言を送るんやぞ」
「それが何やの」
「ええとこやねん。ティッシュで鼻かむの何躊躇ってんのみたいに急かすなや」

お洒落してる菊地先輩の顔が写っている丸いアイコンが可愛くて頭を抱える。制服の袖で不細工になっとるかもしらん口元を隠しながら片手で携帯を持った。

「アホらし。待ってられへんわ〜クラス戻る。放課後までに送ったらなあかんで?」
「それまでには送るわ。人を指差すんやめえや」

人差し指を下ろした侑は教室を出て行った。角名は焼きそばパンを頬張りながら向かいの席に陣取っている。

「侑、いやに協力的じゃん」
「変なスイッチ入れてもた」



"部活はじまる直前まで部室で教えてもらうって出来ますか"
"出来るよ。部室に入ってもええの?"
"北さんに確認済みです"

まさかや。呼んだら来てくれるって脈あるんちゃう?期待してまうわ。侑が立てた計画が上手くいくなんて逆に怖なってくる。この提案をする勇気が出るほど、菊地先輩とのやり取りは上手くいっていた。菊地先輩の返信の感覚も内容も俺にはちょうど良くて、難なくテンポのいいやり取りが続く。

「先輩と俺は相性がええなーと…思いません?」
「ええと思う!」

勇気を出して訊いた俺に、満面の笑みで肯定してくれたときの菊地先輩を思い出す。菊地先輩の色んな部分をこれから知ったとしても、俺が1番好きやなって思う顔はあの笑顔なんだと確信するほど可愛かった。けど、なんやろな。彼女の北さんを見る目、北さんを意識する姿も可愛い。あれが俺に向けられたものだったらええのにって思う。これは我儘なんやろか。嫉妬なんやろか。どっちでもええか。我儘やったとしても、嫉妬やったとしても、俺が彼女を好きやから生じる感情に大差ない。

周囲から表情を隠すため午後はほとんど袖で口元を覆っていたら制服は伸びた。"今、何してはったんですか"という一言にさえ、きちんと返信がくるのだ。悶絶してまうやろ。

「治、相手に好きな人いても諦めない派?」
「いきなりやなー、角名」
「そう?午後から休み時間ほぼ携帯いじってんじゃん。没収されるよ」
「警戒はしとる」
「…そういう風に見えないけど」



今日は北さんが儀式に一段と時間をかける日。北さんが定期的に清掃や備品管理や整理整頓をしてくれるので、稲荷崎バレー部の部室や用具の使用状況は顧問のお墨付きだ。顧問の都合によりいつもより部活開始時間が遅い日は部員は既に着替えてアップをとったり自主練をする事が多い。そのため練習直前まで部室は一時的にスッカラカンになる。その時間に部室で勉強を教えてもらいたがるのは不自然な流れではない。大会出場を懸けた赤点回避のためなら。

「〜〜〜で、この反応になる。便利でしょ?」

部室の中のベンチに並んで座り、2人で一つの問題集を見ている。近付いても拒否されないか試したくなって、なるべく菊地先輩に寄って座ったんやけど嫌がる素振りがない。むしろ近付き過ぎてこっちの心臓が持たんかも。菊地先輩は涼しい顔をしていて、北さんに対する時とは大違いや。膨らんでいた都合のいい期待は、針で刺されて割れた風船のように消えた。菊地先輩にとっては至近距離におる事は勉強教えるため、2人きりの空間にいても緊張すらしてへん。

「治くん?」
「はい?」

思い詰めていると当の本人から優しく気遣わしげに名前を呼ばれて、心配顔で覗き込まれた。あんまり近くに顔があって、理性がおかしくなりそうや。

「顔が暗くなってるで。どうしたん?」
「…腹、減りました」
「部活前やん!なんか食べる?」
「いや、運動前は消化されてるくらいが丁度ええんで」

携帯が振動したので画面を確認する。侑からやった。問題集をしまって、ベンチから立ち上がる。

「そろそろ部活の時間なんで、終わってええですか?」
「ええよ!区切り良かったやん」

菊地先輩も俺に倣って立ち上がる。侑が部室に到着するまで、この立ったまま向かい合う距離感をキープせなあかん。なるべく目線も合わせてた方が自然やな。

「今日もありがとうございました」
「感謝するんはテストが返ってきてからにしてや」
「何事も"今"やねん、て、うちのチームのコンセプト知ってます?」
「知らんかった!そうなんや〜頑張ってな!」

そう言って菊地先輩はスクールバックを手に取って肩にかけた。もう帰ってまう。ここまで来たらやるしかあらへん。自分から切り上げといてアレやけど引き留めんと。

「先輩、ちょっと待って」

向かい合って瞳を不思議そうに瞬かせている彼女の制服の袖を掴んだ。この時は「何?」と素朴な疑問を投げかける彼女の声より、足音と話し声が近付いてくる方のがよく聞こえた。

「サム!練習時間や!はよ来いやー!」

バン!と部室の扉を開けた侑が俺にタックルしてくる。計画通りや。ドン!という衝撃が思ってたより強くて、いい具合にふらついた。二の脚で踏ん張って倒れ込みはせず、上半身だけ前のめりになる。わざと。驚いて目を見開いていた彼女はキスしそうな距離になっても、最後までその瞳に嫌悪感を宿す事はなかった。

「…事故チューした?」

唇をゆっくりと離すとき、後ろで侑が確認する声が聞こえた。菊地先輩は心なしか顔が赤くなってるような照れてるような可愛い顔しとった。やっぱ期待してええんかな。

「菊地さん、そこにおるん?」

俺が何か言う前に2人目に話しかけられた。今度は侑やなくて、北さんや。北さんの声が聞こえた途端、菊地先輩の瞳から涙がこぼれた。おもわず謝罪の言葉が漏れるが、それを聞くか聞かない内に菊地先輩は走って部室から出て行った。

「侑、治」

背後から静かな、それでいて背筋も凍るほど恐ろしい低音が聞こえる。

「わざとやろ」

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