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北信介は優等生だ。試験の成績は1年時から学年上位トップ10から外れず、3年になって部活動の主将にもなった。無遅刻、無欠席、提出物の期限もきちんと守る。何かで1番になるだとか、秀でた才能があるだとか、そういう類ではない模範的な優等生。

コンビニで傘を貸してもらった晩は一睡もできなかった。明日も試験だから寝なくてはと分かっていても、心臓の脈拍と連動するように身体が興奮して眠れなかった。布団に入っても寝返りばかりで、しまいには心臓が痛くて布団の中で足を抱えてうつ伏せで蹲っていた。

朝を迎えてからはいつも通り身支度しながら、一睡も出来なかった癖にこんなに柔らかく清々しい朝があったかなと不思議なくらい何もかもが明るく見えた。鬱陶しい両親の会話も、会話している姿だけが視界に入り、声が聞こえてこないような感覚。そもそも試験当日に緊張したり憂鬱にならなかった朝は一度もないのに、いつも身の回りにあるごく普通が眩しく見える。

玄関から一歩踏み出して、胸いっぱいに吸った外の空気さえマイナスイオンがたっぷり含まれていそうなくらい新鮮だった。登校しながら、駅の階段で電車の中で校門に入る直前で、深呼吸を繰り返した。部屋干しした傘と洗濯したジャージの上着を今日中に本人に直接返す方が今日の試験よりよっぽど緊張する。部屋干ししている傘をチラ見していて寝る前にやっつけようとしていた公式は未攻略だった。


教室に着くと北くんはもう席についていた。次の時間の試験科目の教科書に淀みなく目を通している。緊張しているのもあるけれど、真剣に勉強している同級生に話しかける勇気はとてもなかった。試験中も解けそうな問題を一通りやっつけた後はどうやって返そうか考えたが、直接返すのは諦めようという結論に至った。返すときに緊張してどもってしまったら印象が悪いし、変な人だと思われるのを避けたい。何より普段から北くんと話す機会なんてない。それが昨日から今日にかけて何も変わっていない事が分かった。

今日は試験最終日だった。試験が終わり、みんなが開放的な気分になる教室でメモ紙にできるだけ丁寧に手書きでお礼を書いた。それを北くんの上着も入っている紙袋に傘と一緒にいれて、彼が席を外している間に彼の机のフックに掛けておいた。

帰りのホームルームがはじまる前、席に戻ってきた北くんはすぐに私が掛けた袋に気が付いた。中身は見なくても分かったのか、私の席の方を振り向いた彼と目が合う。彼は頭を軽く下げていて、私はどうしていいか分からなくて素直に笑顔で答えた。

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