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下校時間はとっくに過ぎていた。テスト期間中のため閑散としている校内で廊下の窓から外を眺めて立ちすくむ。降り出した雨はやむ気配がない。通り雨であって欲しいと願った雨は、どんどん雨足を強くした。テストに気を取られて天気予報を見ていなかった事を、今になって反省しても遅い。意を決して鞄を持ち直し、下駄箱へと向かった。


稲荷崎高校には校門から信号を渡った先にコンビニがある。朝は登校ついでにご飯や飲み物を買って行く生徒も多い。購買よりもラインナップが豊富な上に、ポイントが貯まるので人気がある。そして雨の日には必ず傘を販売しているのもコンビニの強みだ。学校から走って制服を濡らしてコンビニに駆け込み、傘の値段を見て絶望した。税抜き600円は高い。100均で買える物がコンビニだと6倍の値段で売られているなんて。お小遣い日前の学生には厳しい価格設定だった。すっかり気落ちして、買物せずに自動ドアを抜ける。外は薄暗く、雨は叩きつけるような土砂降りにまで勢いを増していた。一旦、コンビニの軒下で雨宿りを決め込み、携帯を開く。時間はかかるだろうし、迷惑もかけるけれど親に迎えに来てもらえるか聞いてみようと思った。

「もしもしお母さん?傘を忘れて…暗いし土砂降りやし、迎えに来て欲しいんやけど…」
「なんでや!傘忘れた!?いつも忘れ物ばっかりして!お母さん夕飯の支度で忙しいし、自分が悪いんやから何とかしなさい!」

まくし立てるような早口で責められ、終わりには口を挟む隙もなく一方的に電話を切られてしまった。これは試験期間にも関わらず帰宅時間が遅い事にも怒っているに違いない。けれども私は家にいれば無視をしても両親に何かと不出来な事をなじられるのが嫌で、勉強しなきゃいけないと危機感を抱いた時は大抵は図書館か学校の図書室で勉強する。今日も本音を言えば、自宅に帰る足は重かった。雨で濡れた制服は冷たい外気に晒されて容赦なく冷やされ、携帯を操作する手が震える。

「菊地さん?」

男性特有の低い声で苗字を呼ばれた。携帯から顔を上げれば、クラスメイトの北くんが傘を閉じて軒下に入ってくるのが見えた。

「北くん」
「ここで何してん」
「傘を買いに来たんやけど、高くて買われへんかった」

暗澹たる気分を隠すように笑って、頬を指でかく。北くんはちょっと待ってなと言って、大きな肩掛けスポーツバックの中から色々と取り出してくれた。

「これ、貸したるわ」
「折り畳み傘!?すごい…!!ありがとう!ええの!?」
「この傘持っとるし、ええよ。感心するくらいなら自分も今度から持ち歩きい」
「そうします」

自分の両親と同様に、間違っている所を指摘される。寒くて凍えている身体に、淡々としたその声は不思議と温かく染みた。

「これも、貸したるわ」
「これは…」
「少し臭うかもしれへんけど、堪忍な」
「ちゃうくて、こんなん流石に悪いよ!部活で使てるんやろ?」
「ええから。身体ふるえとるで、着て帰りや。帰ったら温かくするんやで」

きちんと畳まれたジャージの上着を私に手渡し、北くんはサッサと歩いてコンビニの自動ドアを潜って行ってしまう。あっという間の出来事に、口がポカンと開いてしまっていた。寒さが肌を刺すのに耐えられず、ゆっくりと上着を羽織る。大き過ぎて袖口は指先を覆い尽くしても余りあった。丈はお尻を通り越すほど長かった。不恰好さを緩和するためチャックは閉めない。そして折り畳み傘を開いてコンビニの軒下から駅へと出発した。

雨の日はコンクリートが濡れた独特の臭いがする。それに混じって、着ている上着からさしている傘から北くんの匂いがした。そんな風に歩きながら、彼と初めてした会話を噛みしめる。人様から借りている物を扱っている緊張感を抜きにしても、心臓が強く脈打っている胸を押さえる。嗚呼、こんな不出来な私にはもったいない、優等生を好きになるなんて。

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