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コンビニから体育館へと向かう。暑さにやられお互い手に汗をかいていたが、約束通りその手は繋がれている。着いたところは、体育館という名称に疑問符がつくぐらい広い場所だった。敷地内にはいくつか会場が建っているようだ。ここまで来れば試合会場は分かるはずだし、万が一わからなかったら連絡してくれればいいと彼は言った。

「試合、頑張ってね!」
「…もし、勝てたら」
「うん?」

太陽の日差しが眩しい。彼は何か言いかけて一つ間をあけた。彼の瞳は私を捉えていない。彼の視線が後方へ逸れて、私達は背後から声をかけられた。

「おーす、赤葦。彼女?」
「…ちわす。デート中の人に声かけられるの、凄いですね」
「うっわ、嫌味!俺ロードワーク中なんだよね」
「そうですか。では、気にせず続けて下さい」
「ねえ、体良く俺を追い払おうとしてません?君、どう思う?」
「私ですか?」
「そうそう。赤葦の彼女さん」

黒髪で独特な髪型の彼は詐欺師まがいの笑顔を私に向けている。赤葦君は知り合いと遭遇しても私の手を離さない。しかし彼が苛々している様子なのは暑さのせいではなく、目の前にいる得体の知れない男性と接しているからではないか。さきほどした約束に罪悪感がわいてきた。

「そんな事ないですよ?ねえ、赤葦くん」
「へえ、付き合ってるのに苗字で君付け呼びなんだ」

軟派な口調だが、胡散臭い人だ。貼り付けたような笑顔も私を責めているように見える。腹に一物ありそうな。

「その事で凛さんに話しがあったのに、黒尾さんに邪魔されたんですが」

暗い気分に落ちかけたところで、話しを振られた赤葦くんはサラリと反撃に出た。黒尾さんは意外そうに驚いた。

「あー、そうだったの?そいじゃ、邪魔者は退散するか。またな、赤葦」

面白そうな好奇の視線を私に寄越し、赤葦くんに手を振って彼はいなくなった。突発性の嵐のように、あっという間に小さくなる背中を見送る。私は胸を撫でおろして首を傾ぐ。

「何がしたかったのかな…」
「あの先輩は、今のが通常運転です」
「そうなんだ…梟谷の人じゃないよね?」
「他校ですよ。音駒高校」

人の行き交う道の中で赤いジャージに黒Tシャツを目で追う。その後ろ姿は小さくなり、人の流れに紛れて消えた。そこで赤葦くんが黒尾さんに話の腰を折られていたのを思い出し、繋いでいる彼の手を握り直すように引いた。

「さっき何か言いかけてなかった?」

すると彼は僅かに目を見張り、一息おいてから微笑んだ。

「…はい。もし試合に勝てたら、俺のこと名前で呼んでくれませんか」
「名前でって、さっき黒尾さんに言われたから気にして?」
「いえ、違います。下見に行く約束をしたときから思ってました」

私は口に手を当てて記憶を手繰り寄せた。試合を見て欲しいと言っていたけれど、それだけじゃなかったという事か。恋人同士は名前で呼び合うものだろうし、断る理由はどこにもない。

「試合で勝てたら、赤葦くんのこと京治って呼ぶね」
「お願いしますね」
「ねぇ、赤葦くん」
「はい」
「赤葦くんのこと名前で呼ぶハードル上がっちゃった」

気まずい気持ちで見上げると彼は爽やかに吹き出して笑っていた。私はなぜ笑われるのか判らずたじろいでしまう。

「ちょ、ちょっと!笑い事なの!?」
「すみませんっ、名前で呼んでもらえそうだと思ってなかったので…それなのに凛さんは真剣に考えてくれていて、おかしくなって」

赤葦くんは笑いが止まらなくなっている。不思議なもので、傍にいる人間の感情の振れ幅が大きくなると、こちらは途端に冷静になる。

「それは、名前で呼んでもらおうと悩んでた自分がおかしくなった、ってこと?」
「はい。馬鹿ですよね」

喉を鳴らして笑い終え、赤葦くんは心なしか清々しそうだ。私はやっと理解が追いつき、溜息をついた。心外だが、事態は複雑化している。

「馬鹿な人は自分のこと馬鹿って言わないよ、たぶん」
「そうですか?」
「梟谷がこの大会で優勝しないと、私は赤葦くんを名前で呼べなくなったよ」
「ふっ」
「あのねえ!笑い事じゃないから!」

私が名前で呼べないと困る話をすると、赤葦くんは笑いが込み上げてくるようだ。感情の起伏が分かりにくいのか変なのか。こんなに笑っている赤葦くんは初めて見た。笑われるのには辟易するが、彼が私と二人で楽しそうに笑っている姿を見られた嬉しさが勝る。茹だるような暑い日でも、知り合いからの茶々が入っても、私達は2人でいれば楽しいと思えた。


そうやって彼は可笑しそうに笑いながら、私はその事に憤慨しながら駅までの道を戻ってきた。楽しくお喋りしていたとはいえ外の暑さにあてられ、喉は渇き身体は熱い。駅構内のアイスクリーム屋さんの電光掲示版がそんな私達を魅了するように光っている。

「アイス食べましょうか」
「そうしよう!あのレインボーソフトクリーム食べたい」
「大き過ぎませんか?値段も他の2倍はしますよ」
「だから、半分こしよう?」
「レインボーソフトクリームにしましょう」

アイスクリーム屋さんの列に並び、メニューを選んで2人で分け合って食べる。身長差があるため想像していたよりも食べにくかったけれど、それも楽しかった。

「今日はもう用事ないよね」
「そうですね」
「帰ろうか」
「え」

ゴミ箱にゴミを捨て、私は帰ろうと口にした。赤葦くんは躊躇している。気持ちは私も同じだけれど、私達は帰らなければいけない。

「休日に連れ回したのが、赤葦くんの部活動に支障きたしたらマズイ」
「ああ、そうですね」
「"ああ、そうですね"って、他人事じゃないんだよ!?自分の事でしょ?」

違うの?と問いただすように見上げると、わかってますよと可笑しそうな声が答えた。まだ日も沈んでいない明るい時間帯だからと、家まで送るという彼の申し出を断って手を離す。

「電車もうすぐ来るから、また明日、学校でね」

そう言って急いで改札へと向かった。この電車を逃したら、暗くなるまで次々と電車を見送ってしまいそうだった。

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