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部活の先輩達にキスシーンを目撃されたのは恥ずかしかった。幸い、ネタにされたり揶揄われたりしそうになるたび、無言の威圧をかけているとその日のうちに"キス"は禁句になったが。強引にされた事も、人前でされた事も、納得はしていない。

キスをされたのは良かったし、柔らかい唇の感触が甦るのも悪くないのだ。問題はそれと一緒に部活の先輩達が柵から次々と姿を現わすのが思い出される事だ。想像の中ではキスはゆっくりとした触れ合いの過程でするものだと思っていた。今までだって二人きりでいる時間はあったし、そういう時にいつでも出来た。まだ付き合ったばかりで、嫌われないようにと踏み止まっていただけで。

現実は厳しい。相手にネクタイを引っ張られ、部活の先輩の目の前で見せつけるように初めてのキスをしたのだから。だいたいの大人に聞けば、初めてのキスはどんなだったか?覚えてないなー、などと半笑いで答えるだろうが、自分はあの衝撃的なファーストキスを忘れられるだろうか。難しいだろうな。

"友達にこんな事しない。し、私が木兎くんを好きなら、木兎くんの目の前で赤葦くんとキスしたりしない"

キスをした後に吐息混じりに彼女が言い放った台詞も忘れられそうにない。それだけ強烈だった。どうすればあの事態を避けられただろう。凛さんが木兎さんを好いていると疑わずに問いたださなければ良かったのか。今まで何度もあったキスできるタイミングで済ませていれば良かったのか。凛さんと二人で話すのに部室の近くを選ばなければ良かったのか。

"凛さんは木兎さんのことが好きなんじゃないですか。俺と付き合ってて良いんですか"

"…絶好調の木兎さんは見ていてとても気持ちがいいですから"

ふと自分が言ったことを思い出した。同時に凛さんに可愛いと言われたことを気にして、カッコイイと認識してもらうために試行錯誤していた事も。

"もっと自分のこと知ってもらえれば、自然と男らしい部分もわかってくれるよ〜"

自分のことを知ってもらう。それは自分の気持ちを隠したり、相手にどう思われているかを気にして遠慮していては叶わないのだろう。たとえ交際中の相手の気持ちを疑うのが失礼なことだったとしても、付き合いたてで相手の全てを信じられる人間は少数派だ。ならば自分の意見を真っ向から言えたのは問題ないのではないか。彼女が感情的になると攻撃型になる事もあるのを知っていて、それを考慮できなかった。これまでに木兎さんとは友達だと何度も同じ事を言わせていた。自分自身と相手に向き合っていれば、こんな事にはならなかった。


部活帰りに凛さんに電話したが繋がらなかった。昼休みにいつも通りクラスに迎えに行っても姿は見あたらず。LINEで"どこにいるんですか"と聞けば"探さないで下さい"と返ってきた。どうやら自分は避けられている。彼女に嫌われたのではないし、気まずくて避けられているのだろうか。昼休みは3年生の先輩達と過ごし、次の休み時間に"避けないで下さい"と送った。



「あれ?赤葦くんだっけ、何してるの?」
「…人を待ってます」
「木兎待ち?」
「いえ、鈴木さんを」
「あの子か!バイバイ〜」

3年生の下駄箱前で待っていると、木兎さんのクラスメイトに絡まれた。よく教室に行くし、失礼にならない程度に言葉を交わして頭を下げる。階段から凛さんが友達とこちらに向かって来るのが見えた。目が合っても、避けられる気配はない。彼女達は進行方向を変えず真っ直ぐ来た。

「赤葦くん、どうしたの?」
「凛さんが帰る前に、話したくて」
「そしたら、私達は先に帰ってるね!」
「お邪魔はしないから」

友人二人はお互いに目配せし合って頷き、そそくさと下駄箱の靴を取って帰って行った。凛さんは一緒に帰りたそうに手を振りながら友人二人を目で追っていたが、唇を一文字に引き結びスクールバッグの柄を握りしめて見上げてきた。

「まだ、怒ってるんですね」
「わかるの?」
「まあ、何となく。場所変えませんか」

彼女は頷いて付いてきた。"避けないで下さい"と送ったのは無視されていなくて一先ず安心する。人で賑わう玄関を人並みに逆らって進み、空き教室へと向かった。

凛さんは空き教室の中に入っても、俺に背を向けている。昨日の今日でまだ腹の虫がおさまらないのだろうか。向き直ろうとしない背中に呼びかけた。

「凛さん」

くるりと振り返った彼女は浮かない顔をしている。目は合ったが、すぐ逸らされた。後ろで手を組み、今すぐにでも逃げ出しそうな空気が出ている。この感じ、孤爪にすごく似ている。同学年で同じポジションの他校のバレー仲間を思い浮かべれば、取っつきにくくはなかった。ありがとう、孤爪。

「昨日の…あの、疑ってすみません。考え過ぎました」

素直に謝ると瞳を見開いて、いつもの相貌に戻った彼女はしかと品定めするように見据えてくる。そして神妙に口を開いた。

「…赤葦くんはさ、」
「はい」
「好きでもない人にお弁当作ったりする?」
「…時と場合によりますね」
「特別な人以外に大好きだって言う?」
「言いませんね」
「付き合ってもないのに女の子を抱きしめたりする?」
「しませんね」
「それで、どうして私が赤葦くんより木兎くんが好きだって考えたの?」
「…スミマセン」
「謝るのは一回でいいよ。何で、疑ったりしたの、って、理由を聞いてる」

さっきまで孤爪のような消えてなくなりそうな弱々しい雰囲気だったのに、その言葉と口調と眼差しで投げかけられる詰問は昨日よりは幾らかマシといえど鋭利だ。彼女がこうして怒る事にさえ、彼女の芯が垣間見えるようで惚れ込んでいる自分はどうかしている。いつから、どこから疑っていたのか瞬時に遡って順を追って話した。

「付き合う前から、遊園地で木兎さんと食べ物を共有したり木兎さんの隣には気付いたら凛さんがいて、その仲の良さに嫉妬してました」
「…うん」
「凛さんの周囲の人達から聞く話では、木兎さんと凛さんはお似合いでいつ付き合っても誰も驚かないような空気があって嫌でした」
「…そうだったんだ」
「付き合ってからも凛さんは俺に好きだって言う割に、木兎さんを試合で見るときと同じようにカッコイイとは言いませんよね。俺だって男だと認識して欲しいのに、可愛いとしか言われなくて悔しかったです」

凛さんは怪訝そうにしていたが、徐々に頬を染めて俺の話しを聞いていた。その恥じらいがこっちにまで伝染してきそうだったが、自分を知ってもらうためには必要だと腹を割って話す心つもりで嫉妬したこと、嫌だったこと、悔しかったことは言えた。彼女は怒りが引いたようで、俺の胸に飛び込んできた。

「私も、ごめんね」
「え」
「部活の先輩の目の前で無理矢理キスしたりして、ごめんね」
「…今後は、しないで下さいよ」
「しないよ!あと、赤葦くんに嫌われたんじゃないかと思ってて…避けてて、ごめんね」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない…赤葦くんに自分の気持ち疑われて、自分がした事ぜんぶ軽く見られてたって思い込んで…無理矢理キスしたり避けたり、私が意地張ったせいで酷い目に合ったでしょ。ごめんね」

俺の胸板には凛さんの額が押し付けられている。腰から腕を回してしがみつき、何度も謝る彼女の頭に手を置いて髪をすくように撫でた。昨日も泣きそうになっていたし泣き出すかもしれないと想定していたが、頭を撫でられている内に彼女は落ち着いてきたようだ。

「凛さん、鞄の角が当たって痛いです」
「ごめん!」
「机に置いときましょう」
「うん。あ、部活の時間は?」
「まだ時間あります」

俺から離れて近くの椅子に鞄を置いた凛さんを後ろから抱きしめた。首に回された腕に手を添えて、彼女は苦笑する。

「そういえば告白された時もこの教室だったね」
「あのときの凛さんは少し触っただけで、俺のこと凄い警戒してましたね」
「え、そうだった?」

素っ頓狂な声を上げ、凛さんは思い出せずにいるようだ。首に回している腕で彼女を自分側に引き寄せて、彼女の頬に頬ずりした。

「ちょ、ちょっと!近い」
「こっち向いて下さい」
「でも、」
「キスしたいです」
「え」
「俺だって男ですよ」

告白した後にした会話の中で使ったフレーズを繰り返してみた。どうやら覚えていたようで、ピクリと彼女の肩が揺れる。凛さんが振り返るや否や、彼女の柔らかい唇に口付けた。



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