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春。セッターとして木兎さんとチームを組めるようになってから、気持ちを新たに練習に励んでいた。そんな新学期がはじまって、1週間も経たないうちに一人の女性が体育館にやってきた。

「木兎ー!ちょっと来てー!」

マネージャーが木兎さんを呼んだので、木兎さんにトスを上げていた手を止めた。何だー?と木兎さんは体育館の入り口に駆けて行く。何やら受け取りながら、短いやり取りをしているようだ。木兎さんが邪魔で見え難かったが、彼女の表情の一つ一つが柔らかくて愛らしいため、つい見入ってしまう。木兎さんは元気いっぱいですぐに戻ってきた。

「あかーーーし!!トス!」
「あの、今の人は?」
「ん?」
「今、話してた人は何だったんですか」

木兎さんの彼女だったら嫌だな。そう疑ってしまって、意図せずにキツイ聞き方をしてしまった。しかし木兎さんは気にしていないようで笑っている。

「俺の健康診断書を持ってきてくれた!」
「健康診断書を?」

随分プライベートなものを持って来るな。木兎さんの彼女ではないことを願う。決めつけるのは良くない。聞けばいいのかもしれないが、木兎さんが鈍感とはいえ他人に何かしらの感情を悟られるのは嫌いな方だ。

「隣の机の引き出しに間違って入れたみたいでな〜〜」
「どんな間違え方ですか、それ」

とんでもない失態をしている。おもわず細く長い溜息が漏れた。彼女についてはもう少し遠回しに勘繰りを入れたい。とても気になる。

「自分のカバンに俺の健康診断書が入ってたのに驚いて、帰り道を引き返して届けてくれたみたいだ!!」
「…親切な人で良かったですね」
「なーー!!じゃ、あかーーーし!!トス上げて!」
「はい」

木兎さんの生態は未だによく分からない。"親切な"という部分を否定されなかったが、木兎さんの隣の席のクラスメイトの彼女のことはもっと分からない。分からないが、とりあえず冷静さは取り戻せそうだ。今は、もう、指先がボールを捉えているから。



。。。



彼女が体育館にやってきた翌日から、昼休みは木兎さんとご飯を食べている。今までも大会が近くなれば昼休みも木兎さんといることが多かった。けれど今回は、木兎さんは口実だ。木兎さんの隣の席の彼女に会うための。最初が大事なのではないかと踏んで、体育館に来たことで彼女を知っている旨を伝えた。そして木兎さんのことを教えて欲しいと願って会話をするようになった。大体は彼女と木兎さんが話していることが多いけれど。


「鈴木〜、次の時間の数学の問題やってきた!?」

教室に着くと、木兎さんが彼女に問いかけている大きな声が聞こえる。

「うん」
「俺、今日あたるのに出来なかったんだよ!頼む!見せて」
「いいけど…合ってるかは微妙だよ?」
「いーって!いーって!間違ってるより解けなくてやってない方がヤバイだろ」
「他の人の見せてもらわないの」
「頼むよ!見せてくれる人がいなかったの」
「はいはい」

こんな会話が週に2〜3回もある。何かある度に木兎さんが騒ぎ、周囲の人間が冷たい対応をすると彼女に甘えているようだ。彼女の方は慣れているのか快く木兎さんの要求に応えている。どんなに面倒くさいことでも、完全に否定はしない。

健康診断書の一件以来、そんな彼女から木兎さんのクラス内での様子を教えてもらっている。木兎さんの性格はやはりクラスでも浮いているようで、彼女から聞くエピソードにはバレー中に不調になった原因と似ている部分がある。木兎さんの生態解析のため部活中は傍で観察しているが、気持ち良くスパイクを決めている姿ばかりを見ていても仕方がないと思うようになった。目立つ人を理解するには私生活を知る方がはやい。


「あかーし、これ、本当に聞く意味あるの??」
「まあ、セッターですからね」

木兎さんは自分に都合の悪い話が展開されているときだけ、不満そうに唇を尖らせている。しかし彼女には俺からセッターの役割を説明した上で、何かあった日はできるだけ昼休みのときに教えて下さいとお願いした。彼女は表情や話し方や仕草、むしろ存在そのものが温かく柔らかく接しやすい人だ。彼女から話しかけてもらえる日は明るい気持ちでいられるし、話せない日でも木兎さんと話しながら目では彼女を追っている。たぶん、俺は、彼女のことが好きだ。まだ定かではないけれど。

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