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"今日は木兎さんのスパイク練に9時まで付き合ってました"

これが22:17に送られてきた。そして寝不足気味で目覚めた私の眠気覚ましになったのは、05:50に"おはようございます"と赤葦くんからLINEがきていたこと。私のお父さんより早起きとは、強豪校の部活の過酷さが慮られる。バレー部のスタメンと休みの日に遊園地に行ったりして、私は大きな思い違いをしていたのかもしれない。


「バレー部のお休みって週1回?」
「え…と、あ、はい。そうですね」
「赤葦くん、毎日ちゃんと眠ってる?」
「寝てますよ。部活で疲れるので、布団に入って5分以内には寝落ちます」

昼休み。ご飯を食べ終わって、飲み物を嗜みながら赤葦くんの身を心配して尋ねてみた。彼は何を今更という風で質問に応え、私に流し目を寄越す。

「…凛さんこそ、ちゃんと寝てますか」
「うっ、やー…このところ寝付きが悪くて」
「やっぱり。目の下にクマが出来てます」
「コンシーラーで隠さなきゃっ」

慌てて制服のポケットを探ろうとするが、赤葦くんの手が私の頭に回され引き寄せられた。

「 眠ったらどうですか」
「こっ、こ、ここで?こうやって?」
「はい。寝不足はメンタルやられますよ」

私の頭を自分の肩に乗せて、赤葦くんは私の頭に自分の頭を預けた。赤葦くんと身体が密着していて、鼓動が激しく脈打つ。人目を避けて誰も来ないような校庭の隅の木に背を預けて、芝生にハンカチを敷いて座っている。静かな場所で自分にだけ聞こえる心拍。赤葦くんは緊張したり、心拍数が上がったりしないのかな。彼との距離が物理的に0センチになっても、心の距離までは分からない。ほどなくして、安らかな寝息が聞こえてきた。赤葦くんが眠ったと思うと、なぜだか緊張がほぐれて私も重たい瞼をゆっくりと閉じた。


先に目を覚ましたのは私だった。しっかりと眠った気がして、慌てて携帯で時間を見ると授業開始から20分が経過している。昼休み終了の鐘も、始業の鐘も何もかも聞き逃していたらしい。私が起きてバランスを崩した赤葦くんも目を覚ました。

「ん…凛さん?」
「赤葦くんっ、もう授業はじまって20分も経っちゃってる!」
「うわ…マジですか」
「どうしよう…!先生に怒られるよ」

動揺している私とは対称的に赤葦くんは冷静だった。この展開を想定済みだったそうで、部活の先輩達から遅くまで練習している部活動は保健室でごく稀になら仮眠を許してもらえるらしいから保健室に行こうと提案してきた。私に関してはやはりクマは抜け切れていないし、顔色も良くないので保健室に行って診てもらった方がいいと勧められた。

「でも、2人で一緒に行くのはマズイんじゃ…」
「はい。なので5〜6分、時間をずらして行きましょう。俺達の接点は他人には分かりようがありません」



先に保健室へと着くと、保健の先生に具合を聞かれ体温計を渡された。保健室内のベンチに腰掛け、少し着崩して体温計を脇へと差し込む。まだ体温計が反応しないうちに赤葦くんも来た。

「すいません、少しだけ、仮眠とらせてもらえませんか」
「仮眠?何年生?何か部活してる?」
「バレー部、2年です」
「はー…全く!いつでも来ていいわけじゃありませんからね!それから運動はあくまで適度に。運動習慣があるのはいいけど、過酷な部活動はかえってストレッサーになるの。気を付けなさい。わかったら真ん中のベッド使って。次の授業には戻ってもらいますからね」

きびきびと指示を出す保健の先生に頭を下げて、赤葦くんは真ん中のベッドにカーテンを閉めて入って行った。それを確認するかしないうちに、保健の先生は私へと向き直る。

「その体温計ちょっと調子悪くて音が鳴らないのよ。まだ測れてない?」
「そうだったんですか…あ、37.2です」
「微熱ね。早退するほどじゃない…風邪薬だすから、窓際のベッドで寝てて。薬が効くまで30分はかかるから、あなたは次の授業も休んだ方がいいわ」

保健の先生はすぐに棚から風邪薬を持ってきて、水道水を注いだ紙コップを手渡してきた。ベッドへ移動してカーテンを閉めて横になる。目をつぶった途端に、隣からシーツの擦れる音とスプリングの軋む音が耳に入り、心臓が跳ね上がった。清潔できびきびとした保健の先生らしい張りがあり皺一つなく整えられた真っ白なベッドだったけれど、やはり自宅のベッドのようには気が休まらない。もうすぐ授業が終わるかと思われる頃、校内回線の電話の音が保健室に響き、3コールもしないうちに受話器は取られた。

「はい、はい、あら、事務に?先生、いつもなら余裕ある時間ですけどね、わたし今日は忙しい日で。生徒が2人も来てるのよ。ええ、ええ、ああ、そう?それなら…すぐ済ませられるんでしょ?はいっ、承りましたっ」

後半になるにつれ多少の苛つきと呆れを含む口調になり、受話器は放り出されるように元の位置に戻されたようだ。早い足取りがこちらに近付き、カーテンが素早く引かれる音におもわず身構えたが、隣のベッドのカーテンだった。

「さっきも言ったけど、あなた次の授業には戻るのよ。私はこれから事務と職員室を梯子してきます。しばらくここを空けるけど、戻ってきたときにまだいたら…分かってるでしょうね」
「教室に帰りますよ」

明らかに何がしかの機嫌を損ねた雰囲気のまま、ピシャンッと大きな音をたてて引戸をしめ保健の先生はいなくなった。すぐに隣のベッドからこちらのカーテンが捲られる。

「保健の先生、不機嫌でしたね」
「うちの先生、怖いね〜」
「…風邪、引いてたんですね」
「みたいだね。いつから気付いてたの?」
「教室の前で会ったときには、少し顔が赤くなってたので。もしかしたらと」

上半身を起き上がらせて話しを聞いて、ベッド脇に佇む赤葦くんの制服の袖を掴んだ。私が心配している側だと思い込んでいたけれど、彼は最初から私の体調に気が付いて昼休みから今までずっと傍についててくれたのだ。

「顔が赤かったのは違う理由かもよ」
「え…」

そのまま力任せに赤葦くんの腕を引っ張って、私の肩に彼の硬い胸板がぶつかる。ぶつかったのを受け止めて抱きしめていると、胸板が当たっている肩越しに赤葦くんの心臓がドクドクと脈打っているのが伝わってきた。

「えっと…凛さん?」
「赤葦くんもドキドキするんだね」
「それは、そうですよ」
「…今日、ありがとう」

赤葦くんは私に覆い被さるような姿勢で立居姿勢をキープしていたが、首に回していた腕を離して私がそっと胸板を押しやると困ったような顔で微笑んだ。

「もう戻りますね」
「ん、じゃあね」

踵を返してベッドから離れて行く彼の背中を見納めて、布団へと身体を沈めた。風邪というより知恵熱だと思う。間違いない。

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