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白けた光が差し込む部屋に携帯のアラームが鳴り響いた。なんとか身体を動かして布団から起き上がり、機械的に制服に着替えエプロンを手に取る。エプロンを着ながら部屋から台所へと早足で到着した。

「よしっ…!手料理勝負!」

声に出して気合いを入れてから包丁を握りしめた私は、極めて真剣な眼差しで野菜を見据えた。


。。。。


昼休み前の授業中は自分の鼓動の速いリズムを聞きながら受けた。頭の中はお弁当を渡したときの赤葦くんの反応予想と、今日お弁当を作るまでの自分の行動の反省で大忙しだ。

料理の本を立ち読みしてみたけれど、ほとんど台所に立っていない私には調理手順を読んで理解する力もなかった。なので料理動画を見られるアプリを片っ端からダウンロードし、作りたい料理の動画を何件か調べ、より易しく美味しそうな作り方だと思えたものを何十回も繰り返し見た。

お弁当の材料もスーパーまで自分で買いに行った。野菜の相場なんて知らなかったけれど、自炊は安いと思い込んでいて想定していた金額より高くついた。

唯一の救いは家のお手伝いがてら、調理器具は大体どこにあるか把握していた事くらい。

終業の鐘が鳴り響く。考え事のせいで頬が熱くなってきた。もうすぐ赤葦くんが迎えに来てくれるのに、こんな顔は見られたくない。一度クールダウンするため隣の席の木兎くんに話しかけた。


。。。。



「その手、どうしたんですか」

屋上へ向かって二人で歩いていると、赤葦くんに尋ねられた。両手の指先に二、三箇所、絆創膏を貼っているのに当たり前のように気付く。彼のこういうところ心臓に悪い。


「あー、えっと、今日は、自分でお弁当作ったから!」
「それは…お疲れさまです」
「うん。料理しないから、大変だった〜」


どうしよう。だんだん手作りのお弁当を赤葦くんに食べてもらうの不安になってきた。男子に聞き込んで立てたサプライズ計画だけど、そもそも料理初心者の手料理を食べるってハードル高いのに今さら思い当たる。



「いただきます」

悶々と迷っている間に並んでご飯を食べる時間になっていた。一口、自分が作ったお弁当を食べてみる。失敗してもいないのに渡せないなんて、ここまでの労力を思い出して悲しくなった。悲しい気持ちで咀嚼していて、けっして美味しそうに食べていたわけではないのに、隣の赤葦くんは私のお弁当に興味を示す。

「それ、何ですか?」
「おにぎらず。中身は、マヨネーズと豚の生姜焼きとスクランブルエッグ」
「美味しそうですね」
「!」

聞き間違い、ではない。顔を上げると赤葦くんの目線は私のお弁当に向けられていた。お弁当のオカズには菜の花の辛子和えも入っているし、マヨネーズ豚の生姜焼き卵をオニギリの具にしたのも彼が美味しそうに食べていたものを組み合わせた結果だ。

「食べる?」
「いいんですか」
「うん」
「じゃあ、菜の花の辛子和えを」
「作ってきたよ」

赤葦くんが好物を選びはじめたので、お弁当袋からもう一つのお弁当箱を取り出した。目を見開いて驚いている赤葦くんにお弁当箱を差し出す。

「初めてお弁当作ったし、味の保証はできなくて…口に合わなかったら、残していいから」
「いえ、そんな、全部くいます」

差し出されたお弁当を掴んで赤葦くんはさっそく広げはじめた。その動作に、再び鼓動は速いリズムを刻む。自分のお弁当を食べるのをやめ、赤葦くんが最初の一口目を食べるのを見届けた。

「美味しいですよ」
「ほ、本当に!?良かった〜」

安堵の吐息と一緒に良かったと声に出して、やっと肩の力が抜けた。赤葦くんはふっと息をついて笑みを溢していた。

「おかしい?」
「いえ、可愛いなと思って」

オニギリを頬張りながら、私に可愛いと言った赤葦くんは美味しそうにお弁当を食べている。簡単なものでも手作りで胃袋をつかむのはいい作戦かもしれない。赤葦くんで胸がいっぱいで今までの経験にないくらい私は食事が喉を通らなかった。

「私も同じこと思ってる」
「同じことですか」
「可愛いね、赤葦くん」

赤葦くんは何を言われたかキョトンとしてから小難しげに眉に僅かな皺をよせた。男子に可愛いと言っても喜ばれないのは分かっていたけど、同じ事を感じていた事実が嬉しくてつい口に出してしまった。あっという間に食べ終えたらしい赤葦くんは手を合わせてご馳走様でしたと唱え、お弁当を脇にやって立ち上がった。

「飲み物、買ってきます。何がいいですか?」
「え、い、いいよ!いらないから」
「お弁当のお礼です。何がいいですか」
「だから、いらないの」
「あの…買ってくる、って、言ってるじゃないですか」

赤葦くんの口調は怒っている。上から見下ろす形で長身の彼が怒ると迫力があった。怒っている訳ではなかったとしても。呆れているだけだとしても。ますます気持ちは焦るが、お弁当のお礼というのは阻止しなければ。

「このお弁当が"お礼"だから」
「?…ちょっと意味がわかりません」
「赤葦くん、告白してくれたでしょ」
「はい」
「告白してもらったの嬉しくて。何かサプライズしたい!って…木兎くんとかに相談したら、手作りのお弁当が良さそうだったから」


最初から説明していればスマートだったけれど、成り行きで白状する事になってしまった。立ち上がっていた赤葦くんは急にその場にしゃがみ込んで、膝の上に腕を組んで顔を埋めている。今度は私が赤葦くんを見下ろしていた。

「うーんと…赤葦くん?」

呼びかけると、膝で組んでいた腕はそのままに私を気まずそうに見上げてきた。普段は静謐な瞳は動揺して微かに揺れていた。

「凛さん…何でそんなに可愛いんですか」
「えー…可愛いかな」
「可愛いです。俺カッコつかないじゃないですか」

また顔を伏せてしまった目の前の彼氏に、なんて声をかければいいのか。可愛いと言えば機嫌を損ねてしまう。けれど今の彼のように淡々と交際相手を褒め続けるなんてまだ無理。そんな思考を巡らせながら見つめていると、不意に指先を絡め取られた。

「料理して絆創膏だらけになってる手だって、可愛いです」
「あー…可愛いってそういう事」
「それに告白のお礼ならいりません。あのとき凛さんも俺が好きだって言ってくれたじゃないですか」
「言ってくれたって、あれは言わされたに近いよ」
「でも、告白のお礼を用意してくれるって事は、嘘でも社交辞令でもなかったんですよね」

絡め取った指先を緩く撫でて、射抜くような瞳が私を見つめてくる。黙って頷くと、その瞳に宿っていた鋭さは消えた。

「それならいいです。俺はそれが聞ければ、充分なんです」

嗚呼、分かってしまった。手作りのお弁当だとか、そんな小細工はいらなかった。無駄なんかではなくて、この答えを出すために寄り道したようなものだ。必要ならばいつだって、何度だって、伝えよう。いや、伝えたい。

「大好きだよ、赤葦くん」






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