その日はよく雨が降っていた。 この異世界というものには天気なんてほぼないに等しいようなものなのに(何故ならいつだってフィールドには曇り空しか見えない)、雨が降るというのはいささか不自然に思えた。 クリスタルを全員が所持し、確実にカオスの元へ一歩ずつ近づいてる中、クラウドが俺やジタンやバッツが居るテントへとやって来た。心なしか、神妙な顔つきで。 「ティーダが居なくなった」 どこに行ったか知らないか?クラウドがジタンとバッツにそう尋ね、二人は揃えて首を横に振る。とにかく探すのを手伝ってくれとクラウドに云われた二人は俺に一瞬視線を寄越した後頷いて、テントを出て行った。 俺は一つ息を吐いて、テントから外へ出る。 (…何もこんな悪天候に外へ出なくとも良いだろうに) 心の中で誰にも聞こえない悪態を吐きながら、俺もティーダを探しにある場所へと向かって行った。 * * * * (…居た) 以前も似たようなことがあった。ティーダが突然パーティから姿を消しみんなが野営地で慌てふためく中、たまたま素材探しに出ていた俺はばったり川辺でティーダと遭遇した。 今回もきっと同じだろうと思い、一人川辺にやってきた訳だが。 …やはりやって来たのは俺ひとりのようで、水面にティーダの泳ぐ影がちらりと見えた。雨がひどい。強く水面を打ちつけ、ティーダの影が見え隠れする。傘なんてものはないから、もちろん自分だってずぶ濡れだ。邪魔な前髪を掻き揚げ、ティーダの名前を叫ぼうと思ったその瞬間。 バシャッ、とティーダが水面から顔を出した。 そうして、しばらくの間雨が打ち付けるのも構わず器用に浮かびながら空を見上げている。 こちらに気づくことなく、ふよふよと、泳いでいて。 また、息を吸ってちゃぷん、と水の中へと潜る。 またティーダの影が、見えなくなる。 打ち付けられた水面の奥底に、ものすごいスピードで、まるで魚のように泳いでいく。 「…っ」 何となく、息をするのを忘れてしまいそうになるくらい。 水面から顔を出したティーダの横顔が、普段とはひどく対照的で、儚く見えた。 何か悩み事があると、自然と水辺へと足を運ぶらしい。以前、彼を探しに来た時に、自身でそう云っていたのを思い出す。 「ティーダ」 名前を呼ぶ。だがもちろんそれに対しての返事はなく、雨音が響くだけ。この雨音に自分の声がかき消されたことへの苛立ちを覚え、今度は水面ギリギリまで近づき、先より大きく叫んだ。 「ティーダッ!」 が、それでもやはり返事はない。ひとり勝手にふらついて、皆にも迷惑をかけて、本当に何を考えているのだか。更に苛立ちが募り踵をかえそうとすると、すぐ近くの所でティーダが顔を出した。 「あれ、スコール?どうしたんスか?ずぶ濡れっスね」 (いっそ殴ってやりたい…) 心の声で呟きながら思い切り睨(ね)めつけると、わかっていないティーダは呑気に泳ぎながらこちらへと近づいてくる。 「クラウドたちに頼まれたんだ。お前が居なくなったから探すのを手伝ってくれと」 「ああ、そっか。俺何も言わないで出てきちゃったもんなぁ…悪かったっス、サンキュ」 「…そう思うならさっさと上がれ。イミテーションがいつ襲ってくるかもわからない、早く陣地に戻るぞ」 「んー…もうちょい泳ぎたいんスけど、…だめ?」 上目にそう訊いてくる態は、心なしか捨てられた子犬を連想させた。ここで無理やり連れて帰るのが正しいのかもしれないが、けれども先ほどのティーダの横顔が一瞬よぎり、結局折れたのは俺の方だった。これ以上濡れたらさすがに風邪を引きそうなんだが、見渡す限り雨宿りできそうにない場所にひとり残された俺への責任をお前はとれるのかと、とくと問い詰めたい(そんな面倒なこと実際にはしないが)。 するとティーダが、再度無言で立ちつくす俺へと近づいてくる。 「スコール、」 「…何だ」 「ちょっとしゃがむっス」 「?」 「いいからっ!」 言われた通り仕方なくしゃがむと、突然ティーダが俺を引っ張り出した。 「っ!?」 情けなくも対応に遅れた俺は前のめりに川の中へと倒れ、冷たい水の中へと落ちる。慌てて水面に顔を出すと、隣でティーダがケラケラ笑っていた。 「あはは、引っかかった」 「……もういいだろ、帰るぞ」 いい加減腹が立ってきて、ティーダに背を向けて上がろうとすると、またばしゃん、と水中へと逆戻り。一体何がどうなっているのか状況が把握できないでいたが、ティーダが俺の左手を握り無理やり水中へと引っ張ったのだ。 (何がしたいんだ、お前は…!) 訳がわからない行動に腹が立つものの、水中でのティーダの勢いはすごかった。何も抵抗ができない。ぐんぐんと、水の奥底に潜っていくのだ。ほんとうに、魚のように。あまりに滑らかな泳ぎに、正直驚いた。 そしてふと気づくと、水中のはずなのに息苦しさを感じず、しかも川の割には海のように底が深かった。 (一体どこまで潜る気だ…?) これ以上潜ったら上に帰れないのではと一瞬不安がよぎるが、辺り一帯が淡い光で包み込まれていく。 (幻光虫…?) それはティーダの世界に現れる、死者の魂のようなものらしい。それがこのほの暗い水の底をきれいに照らしており、漂う姿は、まさに幻想的だった。 ティーダの動きが止まった。そして俺の手を離し、その光の中をゆっくりと泳ぎ始めた。 その顔は、やはり先ほど見た儚げな表情だった。 ツキリ、と胸が痛む。何故、そんな顔をするんだ?お前は馬鹿で、楽天的で、計画性なんかまるでなくて、無鉄砲で、でもいつだって笑顔を絶やさない。そんな、奴だろう? この世界に来てからどれくらいの日数が経ったかなんて、わからない。けれども、月日なんか関係なく、互いを信頼し合うくらいには分かり合っていると思っていた。…それは、俺の驕りだったのかもしれない。今のティーダの顔を見ていたら、強くそう思った自分が居た。 ティーダの海のような瞳が、こちらを一瞥した。そして、ゆっくりこう言った。 ご め ん 。 (何が…?) 謝る必要なんか、どこにあるのだろう。何に対しての謝罪なのだろう。相変わらず、話を自分の中で完結させる奴だ。相手にわかるように、ちゃんと云ってほしい(俺がいえた義理じゃないが)。 俺もゆっくりとティーダへと近づいて、立ち泳ぎする彼の顔をじっと見る。時の流れが止まっているのではないかというほど、ここはあまりに非現実的な場所に思えて。哀しげに笑うティーダが、再度俺の手を握った。 ゆらゆら、ゆらゆら。 染めたであろう彼の金色の髪の毛が、まるで魚の尾鰭のように揺らめく。淡い幻光虫の光に照らされた蒼碧の色が、彼のいたるところを照らしていく。まるでそのまま消えてしまうのではないかという錯覚に陥り、俺もティーダの両肩を強く掴み、気づけば抱き寄せていた。 ティーダは、抵抗も何もしない。男同士何をしているのだと、俺自身唖然としているのに、ティーダは黙って受け入れ、抱きしめられたままだ。 (何で、ごめんなんだ…?何が、ごめんなんだ…?) さっぱりわからない。だがわかるのは、ティーダはこれから起こることがわかったか、あるいは元の世界での悲しいことを思い出したのかもしれないということ。そんな稚拙な予想しかできなくて、でもそれ以上ティーダの中へ踏み込む勇気もなくて。 ただ互いに、魚のように揺らめき合う。 ティーダが少し身体を離して、俺の顔を覗きこんだ。哀しそうな、けれどもいつものティーダの笑顔の色をかすかに混ぜながら、ティーダは笑っていた。 そうして、額をコツンと合わせてくる。 額や、触れ合っている箇所から、水中でも伝ってくるほのかな温かさに目を閉じれば、ティーダを全身で感じた。俺の周りにも幻光虫が漂い始める。その淡い光は、とても暖かかった。 ここが水の中というのを忘れそうだった。それくらい心地がよくて、戦いの最中だという現実が遠く感じた。 あれだけ普段喋るティーダは、もうずっと何も云わない。云おうと、しない。だから俺も、言葉を発しようとしなかった。何かを云うべきではないと思った。 こんなティーダはティーダじゃないと決めつけるのもやめた。普段の軽い調子しか知らなかったから違和感はあれど、ティーダはティーダなりに何か深く感じたことがあったから、こんな顔をしたり行動をしているのだろうと思った。…そう、思いたかった。 「あー、さっぱりしたっス!ありがとなスコール、付き合わせちゃって」 「…いや、」 そんなことは別に良いんだ。岸に上がればティーダはいつも通りのティーダで、元に戻っていた。だが、その作った笑顔が、逆に違和感だった。 「スコール…?」 今度は、俺がティーダの手を握り、引き止めていた。もうお互いずぶ濡れで、早く身体を温めなければ風邪を引くのはわかっている。けれどもこんな煮え切らない想いを抱いているのは、俺だけなんだろうか。 「スコール、ほら、戻ろうぜ?」 「お前は…、」 「ん?」 「……いや、何でもない」 笑顔なのが、少し怖かった。まるで、それ以上訊いてくれるなと言われたようで、口を噤む。 「クラウドたちに怒られっかな?」 「…当たり前だ」 リーダーに怒られんのだけは勘弁だなー、とやはり呑気に言いながら、ティーダは俺よりも先に歩く。先ほど俺が握った手をあっさりと振り解いて、その温もりは雨の冷たさにあっさりとかき消された。 (何をそんなに、哀しんでいるんだ…?) ティーダの背中を見て、強くそう思った。 まるで魚のよう、ではなく、彼そのものが、魚だった。 あの時、確かに掴めたはずの手は、するりと俺の中から抜け落ちていって。 こちらを顧みることをせず、ただただ水の流れに乗りながら泳いでいく。 なんて、残酷なんだ、お前は。 そうして変な想いを抱き取り残された俺は、どうしたら良いんだ。 ――――どうすれば、良いんだ? (泣くなよ…) 雨は、相変わらず強い。一体いつまで降るのだろう。 天気がこんなだから、魚はますます先へ先へと泳いで行ってしまうんだ。 だから、早く晴れてほしい。 これ以上先へ行ってしまわないように、きちんと捕まえておかなければ。 でなければお前はもっと、泣いてしまうかもしれないから。 きっと、お前にとっては知ったことではないのだろうが。 強く降りつける雨と曇天を、俺は強く睨む。 そして前を泳ぐ魚の背を見て、俺もゆっくり、後ろからついていった。 たゆたう (流れ着く先は俺の腕の中であってほしいだなんて、そんな身勝手なこといえるはずがない) illustration by きあさん |