空が綺麗。どこまでも広がる青い青い空は、自分の心を喜ばせもするし、悲しませもする。 でも空を初めてこの目にした時に、純粋に綺麗で、大きくて、広くて。 もう何年も前に抱きついた広い背中を思い出して、やっぱり少しだけ、泣きたくなった。 ふう、と息を吐いて、星が見え隠れする夜空を見上げた。ぱちりと爆ぜた火の粉が天へと昇る。初めて足を踏み入れた、森に覆われたゴンガガという土地はどうやら初恋のソルジャーの故郷であったらしい。明らかな動揺を露わにしてしまって、思わず自嘲を浮かべた。 (何だか…らしくない、な…) 膝を立てて額を埋める。まるで怒られた子供のように身体を縮こませて、エアリスはそっと溜め息を吐いた。夜の森は静かで、耳を澄ませればいろんな音が聞こえる。 獣たちの草を踏むときの音、虫の鳴き声、息づかいひとつひとつ、川のせせらぎですら、聞こえる。この森にはたくさんの命が溢れていて、昼間は綺麗に輝く緑も夜になれば重く暗い。奥に見える暗闇を一瞥して、エアリスは一瞬ふるりと身を震わせた。 ぱちり。また火が爆ぜた。ざ、と背後から足音が聞こえて、そっと振り返る。 「…クラウド、」 「…隣、良いか?」 「どうぞ」 ぽん、と隣の地面を叩いて、エアリスは笑った。クラウドが隣に腰掛け、すぐ隣から僅かな温もりが伝わってくる。それに何だか安堵してしまって、エアリスは膝を抱え直した。 「…眠れないのか?」 「…うん」 ちょっと、ね。バツが悪そうに語尾が小さくなり、垂れた前髪を耳の脇に掛ける。 「クラウドは?」 「?」 「クラウドも、眠れない?」 「…ああ、まぁ…」 「?」 今ひとつ歯切れ悪い彼の返事に、エアリスは小首を傾げる。温もりが増したものの会話はどこかテンポが悪くて、けれども金色の彼はいつもこんな調子だから、別段気にすることはない。 ――――そう、いつもなら、気にならない。 でも、今の彼は何かを堪え、何かをしようとしているようにも見えて。それが何かは解らないが、それが少しでも解消されるならと(余計なお節介かもしれないが)、彼の白い手に自身をそっと重ねた。 びく、と彼の身体が強ばるのが伝わってくる。大人のように見えて、意外と初なのだなと、エアリスは内心ほくそ笑む。 「何か、あった…?」 「…………」 「眠れない、んでしょ?」 じっ、と。火に灯された魔晄の瞳。かつて恋した彼とは違う、でも同じ眸(め)。その双眸が、エアリスをそっと射抜く。 「クラウド…?」 「アンタが、」 「私…?」 「アンタ昼間から、というかゴンガガに来てから、元気、…ないだろ」 ああ、そっか。 納得して、エアリスは目を瞬かせつつも笑みに変えていく。疑問系ではなく断定的に云われた言葉の意味が嬉しくて、エアリスはふるふると首を左右に振った。 「ごめん、ね。大丈夫」 何が大丈夫か自分でもよく解らないが自然と口がそう紡いでいた。ぐ、と重ねられた手の下でクラウドが拳を作る。細く白い指は、触ればちゃんと逞しい。剣を握る手なのだなと、漠然とそう感じた。 「…無理して笑って、疲れないか?」 クラウドが、じつとエアリスを見つめる。蒼碧の瞳。きれいなきれいな、ガラス玉のよう。 「そう言うクラウドは、いつもここに眉を寄せて、疲れない?」 純粋な彼の気持ちに、逆に笑みながら眉間を指差しながらそう言ってやる。 「…性分なんだから仕様がないだろ」 「じゃあ私のも性分、だよ?」 「…アンタなぁ、」 「ふふっ」 解っている。言葉少ない彼は自身の心の内で葛藤していることくらい、お見通しだ。初な反応も可愛いくて、ついからかってしまいたくなるのは自分の悪い癖なのかもしれない。 膝を抱え直して、夜空を見上げる。 この辺りは空気が澄んでいるのだろう、ミッドガルでは見たことないような満天の星々が、キラキラと煌めいていた。 「きれい、だね」 「ああ」 「私、初めて見たよ」 声が、少し震えた。初めて見た空は、純粋に綺麗で、大きくて、広くて。もう何年も前に抱きついた広い背中を思い出して、やっぱり少しだけ、泣きたくなって。 (今も、泣きたい、かも…) 星空も、確かにきれいだ。けれどもやはり、胸がしめつけられる。 大自然が、ここまで人の心を揺れ動かすなんて、そう思いながら目尻からぽろりと、自身の意志とは反対に、自然とこぼれ落ちた。 「エアリス、」 「ん?ごめん、ね…本当に大丈っ…!?」 とん、と。 そっと肩を抱き寄せられる。とくん、と伝わるねつと鼓動。 その逞しい筋肉と、筋張った指先に、頬が一瞬にして熱くなるのを感じて。 「クラウド…?」 「黙ってろ」 低い声で制されて、エアリスは尚も少し混乱する。別に何か言われるでもなく、ただそのまま、抱き寄せる指に力がこもり、クラウドはエアリスの頭に自分の顔を乗せた。 すん、とエアリスの髪の毛を鼻で吸い込むように匂いを感じ、まるで犬猫の子供が母親に甘えるように頬を擦り寄せるその態には普段の彼からはあまり想像できないような子供っぽさが滲み出ていた。 (身体だけ大きな子犬、みたい…) それで思い浮かべるのはやはり脳裏に浮かぶ黒髪のソルジャー。大きな目に、くるくると表情が変わって、子供のように無邪気に笑っていた。 ――――今、どうしているのだろう。 もう連絡が途絶えて、幾年も経つというのに。 今目の前にいる彼は、あの彼とは違う人間なのに。 駄目だとわかっていても比べて重ねてしまう、そんな未練がましい自分の弱さが、どうしようもなく嫌で。 「怖い、よな…」 弱くなる焚き火に語りかけるように、クラウドは小さく紡いだ。 「ソルジャーでも怖いこと、あるの?」 「そりゃあ、あるさ」 「例えば?」 「そうだな…。セフィロスが怒ることは滅多になかったが、そうでなくとも存在自体に威圧感があって、怖かったな。ニブルの山に母親に黙って登りに行って崖から落ちて助かった時叱られたのも怖かったし、あとは…」 クラウドの口が、ぴたりと止まる。ぱち、と音を立てて地面に崩れる炭。何かを思案するように、言葉を思い出すように、クラウドが続きを云う。 「セフィロスに故郷を焼かれ、ティファが血まみれになって倒れていたのを見つけた時、足元から何かが崩れ落ちそうだった」 「ごめん…」 思わず、エアリスが謝る。一度カームの宿で聞いた、クラウドの過去。セフィロスに全てを奪われ、幼なじみだったティファがセフィロスに斬られた事実。 きっと、彼にとってはあまり思い出したくない、きつく蓋を閉めておきたいくらい、痛い思い出の筈だと、わかって、いたのに。 「…でも、」 ぎゅ、と今度は正面から優しく抱き締めるように、クラウドはエアリスを抱き締める。ふわり、と。 普段意識しないから気付かなかったが、彼の服から土や森の木々の匂いを感じて、それに目を細めた。 「でも…?」 「…何でもない」 拗ねたように、クラウドは口を閉ざす。たまに出る、彼の子供っぽい癖。 「言いかけて言わないのは卑怯、だよ?」 「…いつか、」 「?」 ぐい、と。肩をそっと掴みクラウドがエアリスを離す。焚き火の明かりに浮かび上がるように揺らめく魔晄の瞳は、いつもより蒼が濃くなっていて。 そのガラス玉が本物の宝石のように思えて、きれい、と内心見惚れてしまった。 クラウドが、指先をエアリスの頬にそっと持っていく。す、と優しく撫でて、クラウドが目を細める。 「いつか、言える時がきたら、その時に…言わせて欲しい」 「クラウド?」 先ほどの子供っぽさはどこへやら、もういつもの、クールなクラウドのその熱視線に。 ――――目が、逸らせない。 「それから、」 「え?」 また、馨る。森の木々と、土の匂い。 ふわり、と。彼は、まるで獣のようだと。 戦っている時の後姿を見て、そんなことを、思った。 ちゅ、と何かがエアリスの額を掠った。 それを理解したのは、クラウドが改めて顔を覗きこんできた、その数秒後で。 「顔、赤いぞ?」 「え、え…?」 云われて、一気に熱が上るのを感じる。先ほどの濃かった蒼は、今はいつもの蒼碧に戻っていたのを見て、エアリスは珍しく狼狽した。 「アンタも、意外と初だな」 「クラウドに云われたくありません!」 「エアリス、」 「なに!?」 「…あまり、無理はするなよ。おやすみ」 「…っ!」 すくりと立ち上がり、テントへ戻っていくクラウドを見て、エアリスは大きく息を吸い込み、そして吐き出す。 恋に憧れる。女に生まれたなら、きっと誰もが抱く感情。 その初めての対象が、ソルジャーだった。黒い髪の毛に、何よりも綺麗な蒼の目に、ころころと表情を変える豊かさに、浅黒い肌に逞しい筋肉。 そんな人が、エアリスの初恋。 けれども、先ほどまで近くに居た彼は、同じソルジャーでも、全然違う。寧ろ、初恋の彼とは正反対かもしれない。 無愛想で、言葉も少なくて、色素が薄い金髪はそこらにいる女性よりも綺麗で、色も白く、筋肉はついてはいるが彼と比べたら少し頼りなさそうに見える。 それでも掴んでくる掌の熱は確かで、瞳の奥には意思の強さを感じさせる光を持っていて。 何よりも、心地よいテノールの声が、耳に届くとじんわりと身体の奥底まで染み渡るようで。 抱き寄せられた肩に残る、彼の掌の感触。そこから広がっていく、何か。 (もう、参っちゃう、なあ…) ふう、と溜息を吐いて、もう一度夜空を見上げた。 綺麗な星空はやっぱり泣きそうなほど綺麗過ぎて、どう受け止めて良いのか解らない。 この雄大な自然の中で自分の抱くこの感情も存在もちっぽけなものにしか過ぎないけれど。 それでも、愛しいとは思う。 仄かに胸の奥が暖まったようなそんな感触に、エアリスもその場から立ち上がる。もう夜もだいぶ遅い。 明日にはゴンガガエリアを抜けて、更に西へ向かうと言っていた。 焚き火の小さい火を最後に消して、慣れない夜目でテントへと戻る。ユフィもティファも、既に熟睡中のようだ。 こぢんまりと身体を丸めて、目を閉じた。 『あまり、無理はするなよ』 (うん、そう、だね…) 思い出される彼の言葉に、エアリスは素直に頷く。 少し驚いたが、彼の気持ちが、純粋に嬉しい。 (ありがとう、クラウド…) 明日起きたら、まず言葉に出してみようか。 彼の素直じゃない無愛想なあの顔を思い返して、エアリスは思考を止めた。 あなたの熱が、私を惑わす (その熱に私がどれだけ翻弄されているか、あなた解ってる?) |