さあ行こう、君と。 「クラウド、明日から一週間休みってとれるか?」 仕事も終わって夜に伝票の整理をしていた時のこと。伝票整理の際は階下のバーのカウンターの端の席か自室で行っているのだが、シルバーのトレイを脇に抱えながら、ザックスがふと尋ねてきた。 休みがとれるか、なんて愚問だ。一応、オーナーは俺自身だから。 「とって欲しいならとっておくが、一週間もどうするんだ?」 一度電卓を叩くのを止めて、顔を上げてザックスと向き合う。左頬を掻きながら、申し訳なさそうにザックスは小声で告げた。 「ほら、前言ってたろ?今度二人で、旅行行こうぜって」 「……ああ、あの時の…」 そういえば先日。ザックスと再会した記念日に情事に縺れ合った時のことだったか。そんなことを言いながら互いにくすくす笑っていたっけ。 幸い、明日からは仕事もまだ入っていない。元々俺の気まぐれも左右する仕事なので、調節することは幾らでも可能だ。ただ問題があるとすれば、バーを普段手伝っているザックスが抜けてしまうのは、ティファにとって痛いのではないか。 それを心配して俯けば、「ティファには俺から話しておくよ。それでオッケー貰えたら、行こうぜ、旅行」と笑顔で言われ、ぽん、と肩を叩かれる。 それに頷けば、ふと疑問点が一つ。 「なあ、」 「うん?」 「行くとしたら、どこまで行くんだ?旅行」 「ああ、それな」 トレイをカウンターの上に置きながら、に、とザックスは笑った。 「バノーラまで、行こうぜ」 休日でこんなに早い時間に起きるのは久しぶりかもしれない。まだ陽が昇らない暗い外を窓から見ながら、俺は荷物を抱えて足音を立てないように階下へ下りた。 カウンターキッチンではザックスが弁当をせっせと作っている。最後のおかずを詰め終わったのか、よし、と聞こえた。美味しそうな匂いに、思わず鼻を澄ませる。 「朝飯用に軽くつまめるようにサンドウィッチ作っておいた。運転交代しながら食おうぜ」 さすが準備が良い。ティファに書置きを残し、行って来ます、と寝ている家族に小さく告げてドアをそっと閉めた。 まだ春というには寒く、冬というには僅かに暖かい。季節の変わり目は中途半端な気温故に、時々何を着ていいのか解らなくなる。 だが人為的にソルジャーになったこの肉体は寒さだとか暑さだとかにはあまり影響されなかった。けれども基本的に暑い気温は苦手である。逆にザックスは寒いのが苦手だと言っていたから、今のこの気温は彼には少しきついのかもしれない。 「行きは俺が運転する」 ザックスが自らフェンリルに跨り、エンジンをかける。地図を広げ、まあ大丈夫だろ、と呟き弁当を俺に託して俺も彼の後ろに乗った。 大型バイクにも程があるでかさにカスタムしてあるので、大の大人男二人でも割と余裕だった。 「最初は飛ばすからな。しっかり掴まっていろよ」 解った、とエンジン音に負けないよう返事をすると、ザックスの運転でフェンリルは発進した。 どれくらい走ったか、地図を出発の段階で見た限りではバノーラ村はニブルヘイムと同じくらい田舎のようで、地図のこじんまりした小さな所にあった。しかしバノーラ村という表示が地図にはなかった。 恐らく、ニブルよりも酷い相当な田舎なんだろうと俺は想像していた。見渡す限りは地平線と青い空に蒼い海。地図にも表示されていないほどの小さな村を目指して、フェンリル一つで、武器も荷物も最小限に、一週間の気まぐれな旅。 少しだけ、わくわくした。こんなに心がおどるのは、いつ以来だろう。 初めて新羅の制服に袖を通した時。初めて英雄セフィロスの顔を間近で見れた時。ザックスと知り合えて初めて一緒にミッションに行けた時。 幼い頃の俺は何をするんでもわくわくしていた。引っ込み思案で友達と呼べる人間は少なかったから、いつだって相手は自然だとか動物だとか、そんなものだったけれど。 ニブルの薄暗い山や森に一人で入って行って、帰ってきた頃には陽も暮れて母さんに叱られた。それでも懲りずに、山へ登った。 子供だったから範囲は限られていたけれど、それでも一人で山の空気を吸い、空を眺めているのが好きだった。 子供の頃に抱いた、そんなワクワク感に、今正に駆られている。 ザックスの広い背中に顔を寄せて、ゴーグルの隙間から見える空をもう一度見渡す。見事なまでに快晴だった。潮風が気持ち良い。 少し肌寒いが、まだ我慢できる範囲だ。白い砂浜がようやく土色の大地に変わった。崖を勢いよく下り、風に乗ってザックスは更にフェンリルのエンジンを噴かす。 「クラウド、しっかり掴まってろよっ!」 ああ!とこちらも大声で頷き、ぎゅ、と振り落とされないように抱きつく。 派手な音を立ててフェンリルが唸る。ギャギャギャギャ、と地面とタイヤが擦れてグォン、とスピードがまた上がった。どうや平地に無事に辿り付いたらしい、緩めることなくザックスのワイルドな運転は暫く続いた。 「いよっし、そろそろ休憩でもすっか」 さすがに長時間の運転は視力や体力共に響く。座りすぎて尻が少し痛いのと、ずっと同じ体勢で抱きついていたものだから、腕や膝も伸ばせばぱきりと音を立てた。 携帯で時間を見れば、既に昼はとっくに過ぎていたようだ。ぐるる、と腹が互いに派手に鳴って、思わず笑った。 「弁当、食おうぜ」 見渡す限りは草原。少し歩けば崖があるし森もある。日差し避けをしなければいけないほど陽光も強くない。丁寧にシートまで持参したようで、敷かれたシートの上に腰掛、ザックス手製の弁当の蓋を次々と開けていく。 「相変わらず、器用だなアンタ…」 普段、俺達家族分の食事の用意をしてくれるのはティファだ。ザックスが仕事以外でキッチンに立つことはほとんどない。 昔からこの男は器用で容量が良いことを俺は知っている。なのにそれを疑問に思って訊けば 「だってせっかく俺よりも美味い料理を作ってくれるティファの腕を無碍しちゃいけないだろ」 と、きっと女であれば誰もが惚れるような台詞をあっさりと言いのけた。ザックスは手をお手拭で拭きながら、早速ウータイショップで買い揃えたであろう箸で俺に小分けにして配ってくれていた。 鼻歌を歌いながら、俺に手渡してくる。配られたものの量を見て、思わず眉を顰めた。こんもりと、今にも溢れそうだ。 「こんなに食えないぞ?」 「こんな時くらい食え!旅はちゃんと飯食って栄養つけて何ぼだ!!」 「…何だか言うことが母親みたいだな」 「全てはクラウドを心配して言ってんだ。良いから食えよ?お残し厳禁」 二十歳をとっくに超えた良い年した男二人がこんな大平原で何をしているのやら。冷静に考えればおかしくて、俺は苦笑しながら配られたから揚げを一つ咀嚼する。 よく味が染みこまれている。唐揚げの上にかけられたレモンと、ネギと何かを混ぜたタレがまた絶妙で。食欲を湧かせるには十分な味付けに、俺は野菜や他のものを次々と食べていった。 「そういやさ。クラウドとこうして休みにのんびり過ごすのって、すっげえ久しぶりだよな」 ずず、と水筒に入れた茶を飲みながら、ザックスは穏やかに笑う。 「…そうだな。二人っきりで、っていうのは、本当に久しぶりかもしれない」 「なあ、クラウドは考えたことあるか?」 「何を?」 おにぎりと一口食べて、ザックスの顔を見つめる。入っている梅干がまた甘酸っぱくて、美味い。 「ミッドガルはさ、無機物のカタマリだったろ?俺もゴンガガっていうちょうド田舎で育ってきたからさ、最初ミッドガルに住み始めた時は緊張もしたしそれなりに怖かったんだよ」 「…怖いもの知らずなアンタでも怖いものはあるんだな」 「失礼だな、これでも幼い頃は今よりもっと純真だったと言ってくれ」 「…突っ込んでいるときりがないから続きを話してくれ」 「ああ、そうだな。んで、そうそう、ミッドガルは、空が見れない。それが俺にとっては結構ショックだったんだよな。ゴンガガじゃ当たり前のように見えていた空が、ミッドガルじゃ常に灰色の雲に覆われていて、お天道さんが見えねぇんだ。何だかそれだけで不安がいっぱいだった。新羅ビルからも、ソルジャー専用僚から見える窓の風景も、全て偽者に見えたんだ」 それは、何となく解るかもしれない。無機物だらけに囲まれていたミッドガルは、自然が兎に角少なかった。そこまで自分は信仰家な訳ではないが、都会に出て肉や魚や自然のものたちに感謝するという念も全くないようであったし、目に見えるものをすべて当たり前とし、何かに感謝するという概念が欠けているいるように見えた。 だから、ザックスの言う窓から見える風景全てが偽者というのも、少し解る気がした。 「…それでも、俺はその偽者の風景の中でたった一つ、綺麗なものを見つけた」 茶を飲み干し、水筒の蓋をきゅ、と閉めながら、ザックスは俺の瞳をじっと見つめる。 「お前だよ、クラウド」 「………ッ!」 相変わらず、くさい奴だ。平気でそんなことを言ってのけるんだから、タチが悪い。顔が赤くなってきた。 詰まっていたおにぎりを全て飲み込み、思わず顔を背ける。 「夕陽や朝陽に透けたお前の髪の毛ってさ、何よりも綺麗なんだよな。あと、今は魔恍色に染まっちまっているけど、空を見る度に、俺、お前の青い目を思い出すんだ。過酷なミッション中でも、それを思い出すだけで、俺は耐えられたよ。それだけさ、」 そっと、ザックスの無骨な指が俺の頬に触れる。触れられた先から熱が伝ってきて、僅かに鼓動が高鳴った。 「お前って、今も昔も、俺にとって、探し続けて追い求めてきたものなんじゃないかって、思うんだよな」 そっと、触れるだけのキスを瞼に落とされる。 優しい、優しい、ザックス。 俺もだよ。 俺も、アンタをずっと探して、求めていたような、そんな感覚さえ、時々するんだ。 元々二つのピースが一つに欠けてしまったような。 そんな、関係。求め合うように、一つに溶けていく。 どちらかが欠けちゃいけない。欠けたら、息ができなくなる。 沈んでいく、奈落の底へ。 「お前の持つ心の美しさは、無機物だらけのミッドガルの中で、唯一の本物、だったんだな」 そっと髪を撫で梳かれる。そして抱き締められた。俺達を祝福するかのように、風が吹いていく。 北に向かっている筈なのに、酷く穏やかな風だった。 「俺も、知っている」 「?」 「アンタの心も、綺麗だよ。何者にも屈しない強い心と、誰よりも人を慈しみその人の為に流す涙を持っているアンタは、誰よりも綺麗だよ、ザックス…」 「…また、そうやって人を泣かせるようなこと言いやがって」 それはこっちの台詞だ。心の中で言い返して、また力をこめて抱き締めてくる大型犬をそっと撫でてやる。 啄ばむように、キスをされた。それがくすぐったくて逃げていると、捕まった。 ぺろりと、頬を舐める舌。それにぞくりと、肌が粟立つ。だがそれ以前にどこかくすぐったくて、くすくすと笑った。 嗚呼、こんなに穏やかに笑ったのは、本当に久しぶりで。 「或いはさ、俺には翼があって、お前に会う為に、羽ばたいたのかもしれないな」 「同じことを言ってやるよ。俺に翼があるんだとしたら、きっとアンタに会う為に羽ばたいたんだと」 白い羽は、夢を追う為に、誇りを掴み続けている為に在る。 そうして最後にアンタに会う為に。 その為なら何処までも行こう、今すぐにこの翼で、光の中を突き進むように! ツバサ (I just started myself!) song by N.Y.@より子。 to be continued... |