あかいあかいあかい、ちだらけのうみのなかでただひとりむせびなくことすらできなくて




















































吐き気が収まらなくて、思わずテントを出た。辺りはすっかり夜も更けていて生き物の気配すら感じない。というより、この気分の悪さに負けて感じることができないと言った方が正しいのか。
何とか吐き気を堪えてテントの近くでうなだれていると、ふとずいぶん明かりが強いことに気がついた。星と月が綺麗に瞬いている。思わずそのあまりの眩しさに目を細めて、胸の奥がきゅうっとしめつけられるのを感じながら、垂れた唾液を拭うのに口元を強く甲で擦った。砂漠の夜は肌寒い。今は甲冑を全て外しているため、薄手の帷子しか身に纏っていなかった。それでもまどろんだ思考を澄ませるのには十分な気温のように感じて、膝を抱え直して空を見つめる。
(…静かだな)
異世界だと、コスモスは言っていた。普段自分たちが住み暮らす世界とはまた別の世界。そんなものがあるだなんて思いもしなかった。それでもこれは現実にちがいないのだから、まごうことなく異世界なのだろう。そうでもしなければ、納得できなかった。
「…セシル?」
静かなテノールに名を呼ばれて、思わず身を固くした。振り返れば、そこには身の丈ほどある大剣を片手にした仲間である青年がいた。
「クラウド…」
ワンテンポ遅れてクラウドに返事をすれば、不思議な色合いの瞳が心配そうに覗き込んでくる。
「顔色が悪いな。悪夢にでもうなされたか?」
「ああ、うん…ちょっとね…」
笑って誤魔化せば、地面の砂に大剣を刺してセシルの隣に腰掛けた。辺りに敵が居ないか見回りに行っていたらしい。
悪夢。確かにアレは、悪夢だった。漠然と、そして唐突に思い出した記憶の断片。それが先ほど視た夢の内容。






























辺りは火の海だった。
女子供老人まで、容赦なく殺した。
何故殺さなければいけないのか、自分には解らなかった。
自分の身体まで焼かれるのではないか、恐怖に包まれた炎はいやに赤く、暗闇の中で燃え盛る勢いは劣ることなく、派手に燃やしていった。
足元は血の海だった。
間違って踏み付けた足元には、柔らかい肉から焼け焦げて固い肉まで様々転がっていた。あまりに生々しくて思わず目を背ければ、助けてくれ、と何度もせがむ村人たちに縋られた。
だが自分は、恐怖に身をすくませて助けてやることができなかった。
動けなかった。動かすことができなかった。
情けない、と強く思った。
最後に抱きしめた少女は最後まで母親の名前を呟きながら事切れた。
自分の信頼していた、父と慕っていた国王に、裏切られた。
叫んだ。慟哭の悲鳴を腹の底から搾り出し、啼いた。
























そこで、夢が終わって。




























「セシル?」
はっとした。クラウドの呼びかけに気づくまでどれくらい意識を飛ばしていたのか最早判別がつかなかった。
「ごめん…大丈夫だ…」
「…その割に、声が震えている」
冷静にそう切り返されては、ぐうの音も出ない。苦笑を浮かべながら、震える右手を押さえて、額につけてうなだれた。
「もう休め。今日も明朝には出発する」
この男の歳はいくつなのだと、出逢ったばかりに聞いた記憶がある。自分とは、一つしか違わないらしい。確かに僅かに幼い顔立ちではあるが、目の奥底には鈍色の光を携えていることをセシルは見逃さなかった。つねに冷静沈着な物言いは、年齢以上に経験を積んでいるからなのだと、推測できる。故に、彼には聞いてみたいことがいくつかあった。
「クラウドは、」
「?」
「…人を斬ったことは、あるかい?」
「………」
一瞬の沈黙。こんなこと聞いて何になるんだ、一瞬もう一人の自分が突っ込んだ気がした。
「そうだな」
「………」
「その昔に、斬ったことがある」
「……そう」
ぽつりと語るクラウドの口調は静かで、何の感情も篭っていないようにも聞こえた。自らをフリーの傭兵だと名乗るクラウドの過去も、それ相応に闇を背負っているのだと解る。きっと、人を斬ったことがある人間にしか、解らない感覚なのかもしれない。
「…人を斬った後は、重い」
「…?」
「纏う空気も、手に持つ自分の得物も、後に背負う想いも、何もかもが重い。最も、人一人を殺すというのはそれなりの覚悟を背負うということだから当然なんだろうけどな」
チカチカと、フラッシュバックする映像。最後に事切れた少女。手を伸ばしても届かない。最後は空に伸ばした手が、ぱたりと力尽きて。
「そんなこと、俺に聞いてどうする…?」
厳しい蒼碧が、自分を軽く睨みつける。思わずびくりと身を強張らせたが、右手を強く握り、目を僅かに俯かせた。
「誰かに聞いて、答えを求めるような内容じゃない。これは、セシル自身が開き出さなきゃいけないことだ」
「…うん」
「…お前のその優しさは、いつか身を滅ぼす」
「え…?」
意外な言葉に顔を上げれば、クラウドは先よりも悲しそうな色合いでセシルを見つめていた。その言葉の意味が解り兼ねて、セシルは首を傾げる。
「優しさが身を滅ぼす…か」
クラウドの言葉を反芻して、考える。確かに、優しさだけで世界が救われ戦争が回避できるのなら今頃世界は平和だろう。まして自分たちも神々の戦争とやらが起きているこの異世界に喚び出されたりもしない。
「誰かを庇うという行為は、ただの自己満足だ。…お前を見ていると、時々…」
「時々?」
「…何でもない」
少し喋り過ぎた、というクラウドに、微苦笑を浮かべてそう、と頷いた。聞いてほしくないような、これ以上は踏み込んでくるなと、空気から伝わってきて、セシルもそれ以上は何も言わなかった。いつから誰かを庇うような戦い方をするようになったのか、あまり定かではないが。自分が庇うことで仲間が傷つかずに済むのなら、喜んで自身の身体を差し出していた。それはきっと自身の願望の現れなのかもしれない。けれども、クラウドの言うように誰かを庇うことはただの自己満足なのかもしれない、とも半面思う。庇うというのは、それだけ傷を自分自身二人・三人分とうけ負うことなのだから。それは優しさではなく、偽善、なのだろうか。
「セシル」
「ん?」
「迷いは、切っ先を鈍らせる」
「…うん」
「俺も、人のことを偉そうに言える立場じゃない。自分のことを棚にあげて、お前に俺の意見を押し付けようとしているだけかもしれない」
「うん…」
「優しさだけでは、確かに世界は救えないし、戦えない。けれども、優しさがなければ、傷ついた仲間を励ましたり、庇うことはもっとできない行為だ」
クラウドは、自分自身の手を広げ、その掌を見つめながら静かに言葉を続ける。
「俺は正直この世界がどうなろうと興味なんかない。自分の世界に戻って、また皆と旅をできれば、それで良いと思ってる。だが、今共に前線へ立ち、剣を奮う以上は俺もお前も、フリオニールやティーダも、大切な仲間だ。貴族や農民、あるいは兵士と王様にそれぞれ与えられた役割があるように、セシルにはセシルにしかできない戦い方があるんじゃないかと、俺は思う」
「…っ、」
「優しさは、確かに身を滅ぼす。けれど非情になった所で、人の根底にある想いはそう簡単に変えられない」
嗚呼、と納得した。夢の中で、あんなに苦しかったのか。
赦せなかった。あんな残虐な行為を命令した主である国王も、それを止めることのできなかった弱い自分自身も、そして目の前の少女に手を差し延べることすらしなかった情けない自分自身も。ぜんぶ、赦せなかった。
「誰かを庇うことは結構だ。だが、それをすることで傷つく者もいるということを、留めて置いた方が良い」
ティーダが、時々泣いてるぞ。小さくクラウドにそう言われて、ふっと吐息が零れた。こんな自分でも、想ってくれる仲間が居る。そう思うだけで、胸が熱くなった気がして。
「うん。そっか」
まだ霧は晴れない。でも、僅かに開けた気がする。隣でクラウドもふっと笑んで、立ち上がり大剣を抜いて背に背負うと、良い夢を、と言い残しテントへと戻った。
月を見上げる。ふとカオスの陣営に居る兄を思い浮かべた。兄は今どんな想いで戦いに参加しているのだろう。この戦いが終わったら、いつか平和な世で暮らせる日が来るだろうか。
その為にも、やはり剣は取らなければならない。
己が騎士である限り、途中下車はできないのだ。
空へと手を伸ばし、ぐ、と強く拳を握る。
「前に、進まなくちゃ」
もしまた、誰かが目の前で傷つきそうになったら、きっと自分はその人を衒うことなく庇うのだろう。それが自分だ。戦争なんて、空しいだけなのに。どうしていつまでもこんな愚かなことを繰り返すのか。それでも自分は人間を信じたい。信じてくれる仲間が居る。信じたいと思う仲間が居る。その人たちが居て、支え合っている限りは、きっと大丈夫。
また映像が過ぎる。少女の最後の姿に、手が震えた。こんな情けない自分でも、騎士である限り、自分は立ち上がって行ける。






















それでもこの夢は、いつまでも醒めない儘なのだろう。
この愚かな戦が終わるまで、人が剣を必要としなくなる時まで。






醒めない







は、未だ醒めなくて良いんだ。それは自身への戒めであり、自身の背負うべき罪と罰なのだから。




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