「まーた何か悩み事か?」





























「…べつ」
「別に」
だろ?と得意げに言われたその態に、今はもう何とも思わなくなっただけ、俺はこいつと心の距離を縮めることができるようになったのだろうか、と詩人のようなフレーズが浮かんで、飲みかけのヨーグルトをもう一口吸った。真夏の生徒会室は、夏休みである現在ことさら閑散としている。日陰に位置する場所にあるから冬は寒いが夏は涼しい。金色の長い髪を後ろに一つに纏めたジタンが、俺の隣に何かを断ることなく腰掛ける。軋む椅子の音。俺がヨーグルトを吸う音。窓の向こうからは、学校のグラウンドで練習している運動部員達の掛け声。
この空間は、俗世と現世を切り離したような、そんな空間とすら思えて。
ジタンもまた鞄からペットボトルを取り出し、それを飲みだす。その飲みっぷりは、ずいぶんと勢いが良い。
「ぷはっ!…で、何かあったのか?」
「………」
訊かれて、俺はふと昨日の夜のことを思い出していた。


* * * *


ティーダが、二泊三日の合宿から帰ってきた。メールを送ったその返事も返ってきて、花火大会の約束もした。いつもの日常が流れるんだとそう思っていた矢先だった。帰ってきたティーダは、確かにいつもと同じだが、どこか違っていた。
その違和感は、笑顔だった。いつもは眩しいくらいの笑顔を浮かべるティーダが、何故かふとした時にもの哀しげに映るのだ。何か合宿であったのだろうか。否、それ以前に最近のティーダは様子が少し変なように思えた。お帰り、と言えば、ただいま、と返してくれる。夕飯も、よく一緒に食べるようになった。勉強で判らない所があるから教えてくれといわれれば、ちゃんと判りやすく教えてやっていた。俺自身も確かに最近会長直々に言われた生徒会長推薦の件で一人悶々としたものを抱えていたが、ティーダも同じように何かを抱えているような、そんな陰りが時々浮かんでは消えるのが見えた。合宿に行く前日、あんな馬鹿げたことをしてしまったのが、彼の悩みの原因になっているとすれば。
俺は、思い上がっていたなと、一人反省した。
『スコール』
『何だ?』
『びっくりしないで、聞いて欲しいんスけど…』
ティーダが顔を俯かせる。数秒の間の後、顔を上げたティーダが真っ直ぐにこちらを見つめた。まるで、真夏の青空のような瞳だと思った。それくらい、何だかティーダの目には覇気がこもっていて。
『俺、ユウナって子と付き合うことにした』
名前を言われてぴんときた。最近、やけに帰りが遅かったこと。最近、あまり俺と面と向かって話さなくなったこと。最近、慣れない甘い香りがしたこと。
なるほどな、と全てに合点がいった。そうして、何だか頭を鈍器か何かで殴られたような衝撃が走った。こういう時は、何て言ったら良いのだろう。よく、判らなかった。
『……ッ』
唇が、何かを紡ごうとして震えた。けれども微かな吐息を零しただけで、喉から声が出なくて。ティーダはやはりどこか哀しげな笑みを浮かべながら、俺の肩をぽん、と叩いた。
『スコールもさ、せっかくなら彼女作れば?そんなにかっこいい見た目なのに彼女の一人居ないなんて、勿体無いっスよ』
『………』
見た目とそれとは関係ないだろ。そう吐きそうになったが出なかった。きっと、ティーダの本心ではないと思う。いや、そう、思いたかった。
相変わらず頭がガンガンと鳴る中で、そうそう、とティーダが能天気な声で続きを言う。
『ザックスたちからの花火大会、俺今回はパスしとくっス。ユウナと一緒に行くから、スコールはザックスたちと楽しんでくれば良いんじゃないっスか?』
『……そう、か』
それもそうだな、と小さく同意を示して、ようやく俺は自分の右手を動かした。ポケットに捻じ込んでいた携帯を取り出し、ザックスに返事を返す。携帯をしまいこみティーダの方へ振り返れば、彼は俺を見ることなく誰かにメールを打っていた。きっと、そのユウナという名の彼女だろう。
『ティーダ、』
『んー?』
いつもの、ティーダ。でも、どこか違う。でもどこが違うのか、もう今の俺には冷静に分析できなかった。震える声を叱咤して、俺はティーダの目を見つめながら、静かに言った。
『おめで、とう…』
そう言ってやるのが、精一杯の虚勢だった。


* * * *


「…おーい、スコールくーん、まーた一人の世界に入ってないかー?」
「……あ、ああ、すまない」
ジタンにむんずと顔面を掴まれた。何をされるのかと思いきや凄い形相のジタンが俺の顔面を掴んだまま鼻先が触れるか触れないかまでの距離まで近付き、
「人と話す時は人の目を見ながら話すって母ちゃんに習わなかったのか?そうやって一人また抱え込んじゃ前回の二の舞だろうが!?」
「…す、すまない、気をつけるッ…」
「ん、よろしい」
思いの外あっさりと外されてジタンから少し距離を取るも、今みたいなことをされたのは初めてで内心驚いた。ジタンはこう見えて礼儀には五月蝿い。年下の割にはしっかりした奴だから、俺みたいな奴でも何だかんだでウマが合うのかもしれない。
「要するにさ、」
「?」
今度は、チュッパチャップスを鞄の中に入ってた小さな巾着袋から取り出し、それを舐め始めながら続きを紡ぐ(いつも思うが、こいつの袋は何でも入っているな)。
「ティーダの本心が解らないんだろ?」
「…端的に言えば、そうなるな」
俺にもチュッパチャップスを示しながら食う?と訊かれるが、片手で拒否を示せばつまらなそうにジタンはそれを巾着袋に戻した。…俺は真面目に相談しているんだがな。
ちゅぽ、とピンク色の球体を口から出しながら、ジタンは頬杖をついて天井を見上げている。うーん、と唸る様が何だかおかしかった。俺自身のことなのに、何でこいつは他人の為にこんなに一生懸命になれるんだか。
「ほんとはさ、ティーダ本人に直接訊ければ一番手っ取り早いんだよなぁ…。思い切ってこの際聞いてみるとか?」
「…それをできる性格ならとっくにしている」
「だよなぁー?」
我ながら嫌な性格だ、と改めて思う。
「何か、なかったのか?そうなっちゃうきっかけとかさ…」
「きっかけ…」
そう、そのきっかけが、考えても思い浮かばない。きっと俺自身、自分の問題のことで視野が狭くなっていたのもあったのかもしれない。でも、思い当たるとすれば、あのバイトの一件以来、あいつが纏う甘い香りは一層強く成った気がした。
「そのさ、合宿行く前に、何だ?スコールは、ティーダのことぎゅ〜〜〜ってしたんだろ?」
「…そんなに強く抱き締めていないッ」
こういうのは言葉にされるとやけに恥ずかしいのと、こいつにそう言われると腹立たしいのは何故だろうと思いながらもそこは訂正を入れてやれば、ジタンはいたずらっ子のような笑顔でニシシ、と笑った。
「まあまあ、ともかく抱き締めた時に、どんな反応だったんだ?」
「どんな…」
普通、だったと思う。いや、でもあの時、ティーダはティーダで何かに悩んでいるようだった。俺も悩んでいて、何だか霧が晴れなくて。それで、我儘を言ってティーダをそっと抱き締めた。抱き締めても、彼は抵抗はしなかった。バイトの時も、風呂場で鉢合わせをした時に微妙にそんな雰囲気になったことがあってその時は全力で逃げられてしまったが。
あの時は、そんなこともなくて。だから、少しは、自分という存在を受け入れてもらえたのだと、そう思った。実際に、バイトを経てからティーダの態度は、俺に対して甘えが出てきたように思えた。無邪気過ぎる所がときどき毒のようにも感じたが、でもそこは堪えると決めた。その後、ティーダは逃げるように風呂場に入って行って。その後自分自身で、また少しやりすぎただろうかと自己嫌悪した。
少なくとも、合宿から帰ってきた時のティーダは、今までの雰囲気とは180度違っていた。やはり何がどう違っているのか、うまく言葉では説明し難いが。
「ま、第三者の俺がどうこう言ったってどうしようもないし、こればっかりは本人のみぞ知るってやつだから、推測でしかないけどさ」
ジタンが立ち上がり尻をパンパン、と叩きながらいつの間にか空になったペットボトルを鞄にしまう。
「ティーダはティーダなりに悩んでるんじゃねぇかな」
「悩んでいる…?」
「そ。だって、スコールも男、ティーダも男。俺は別にそういうのに抵抗はねぇけどさ、普通は気にするだろ。体裁とか。自分が男なのに、どうして同じ野郎から好かれているんだー、とか」
「………」
「別にそれでスコールが悪いとかそういうことを言っているつもりもないし、寧ろスコールはティーダのことが好きなことを誇りに思って良いんじゃねぇか?事実ティーダと仲良くなってから、スコール変わったよな。俺ともこうして話してくれるようになったしさ。まあ、俺から一つ言えるのは、恋愛に悩みってのは常に付き物ってことだよ。とにかく適度に距離を取りつつ、今まで通りに接してみて良いんじゃねぇの?へたに意識しちまうと、余計お互い傷つくんじゃねぇかな」
「…そうか」
「そそ。じゃ、俺はこの後大事なデートのお約束があるので!」
片手を上げてウィンクをするジタンはやけに様になっているが、一瞬背筋がぞっとした。今時こういう寒いことをする奴も居るのだなと内心思いながらも、けれども胸中に残る霧は少しばかり晴れたような気さえする。なるほど、これが友人というものか、と改めて感じた。
生徒会室の扉を手にするジタンに、「ジタン!」と少し大きな声で呼びかければ、彼は律儀に立ち止まりこちらへと振り返ってくれた。
「その、ありがとう…ッ」
「ん、どういたしまして!」
じゃな、とジタンが手を振り去っていった様子を見送り、俺も椅子へもう一度腰掛け、窓から見える青空を見つめた。ふう、と自然と漏れる溜息。今日は久しぶりに自炊でもしようか。夕飯のメニューを考えながら、俺は飲むヨーグルトの紙パックをめきょりと潰し、生徒会室を後にした。


* * * *


夕飯の買い物をしていたら、偶然ザックスとクラウドの二人に会った。
そうしたら何故か、…拉致された。
「今日はザックスさん特性のマーボ豆腐でーす!夏はこう、ちょっと辛いくらいのものとビールの相性が最高にたまんねぇんだよな〜!」
(親父か…)
「スコール、心の内の突っ込みは当たっているからどんどん口に出して良いぞ」
助手席で冷静なクラウドの一言を適当に流しつつ、運転席に居る鼻歌を歌う男の横顔を見つめた。ザックスは、いつ会ってもテンションが高い。けれども馬鹿のように見えて馬鹿ではないから、油断できない。あのクラウドの相手をしているのだ。この男も、きっと只者ではないのだろう。
二人は、いつもと変わらぬペースで会話をし、そうしている内に二人の住むアパートへと着いた。荷物を持つのを手伝い、適当に支度を整えてから何をすればいい?とザックスへと視線を寄越せば、彼は人好きの笑顔を浮かべて穏やかに言った。
「お客さんは、向こう行って寛いでてくれよ。クラウドの話し相手にでもなってやってくれ」
だが何も手伝わないのも忍びないと思い、尚もその場へ留まろうとすれば、ザックスは冷たい麦茶を入れたポットとコップ二つをトレイの上に手早く乗せて俺に持たせ、
「じゃ、二人分の茶ぁ注いどいて♪」
と爽やかに言い残し、俺は諦めてクラウドの居るリビングへと移動した。
「ずいぶん浮かない顔をしているな」
麦茶を注ぐ手が、思わず止まる。そうしてクラウドの蒼碧とかち合う。少し、気まずい。以前生徒会長の件で相談をして以来、クラウドとは連絡を取っていなかった(花火大会の連絡等もすべてザックスを通じてだった)。
無言でクラウドへ麦茶を渡せば、彼は一口飲みながら、一言小さく呟いた。
「もしかして振られたのか?」
「ぶっ!!!!」
言われた言葉があまりに的確過ぎて思わず口に含んでいた麦茶を吐き出してしまった。するとリビングからザックスが顔を出し、
「何なにっ!?スコールの奴振られたのか??」
と嬉々として突然会話の中に入ってきた。
「な、何でアンタが知って…ッ」
今日ジタンに相談したばかりの内容だというのに、どうしてこんなにも筒抜けているのだろう。
「はったりだったんだがな、まさか本当とはな。…ご愁傷様」
「ま、次の恋に生きろよ青年」
「…アンタ等、人事だと思って…」
クラウドと今すぐ先輩後輩の縁を切ってやりたいと思った。真面目な顔をして何を言うか判らないし得体が知れない所があるから、本当にこの先輩はつかみ所がない。しかも両手を合わせるな、俺はまだ死んでない!
ザックスが再度キッチンに戻ると、俺は昨夜あったことを、静かにクラウドに語った。自分でも不思議だった。こんなに言葉がするすると出てくるとは思わなくて、何だかんだで俺自身クラウドを頼っている証拠なんだと思う。
「…もどかしいな」
ふう、と心底残念そうな顔をしながら、クラウドは溜息を吐いた。相変わらずこの男は、全てを知り尽くしたかのような、そんな顔を時々してみせるから判らないこちら側からしたら腹立たしいことこの上ない。何が、と思わず口に出そうになるのを堪えて、俺は頬杖をついて前髪を掻き揚げた。
夕飯時の今、ティーダは今何処で、何を、誰と、しているのだろう。
漠然とした不安や恐怖が腹の奥底からじくじくと浮かび上がってきて、思わずテーブルの上に突っ伏した。
「…スコール、」
「………何だ」
もういっそ放って置いてくれ。これ以上惨めな姿は曝したくないし、今はあまり誰とも喋る気がしない。けれどもクラウドは、そんな俺にはお構いなしに話を続けてくる。
「悔しくはないのか?」
「………」
じゅわ、とキッチンから何かを炒めるような大きな音が聞こえて。クラウドのテノールの声が、静かにリビングに響く。
「そのままじゃ、後悔しか残らないぞ」
「……現在進行形で、今は後悔しかない」
「生徒会長の件で、俺はお前に言ったな」
――――思うことがあるなら言え、結局そうやって言えないままやり過ごすのは、逃げているようにしか見えない、と。
「…本当は、もう解っているんだろう?」
途端に、クラウドの声が優しくなる。顔を上げて恐る恐るクラウドの顔を見れば、彼は蒼碧を光らせながらも、その奥底には何か真っ直ぐな光が見えた。
「……ッ」
こく、と小さく頷いた。クラウドは、少し唇を吊り上げて笑う。解っているならいい、とそれだけを言ってくれた。あと一歩。その一歩を踏み出すのが、今なのだと。その不思議な色合いの瞳は、そう、物語っていた。
「お待たせー!ザックスさん特性のマーボ豆腐かーんせー!」
さあみんなで食おうぜ、とザックスの仕切りなおすその声に、急に現実に戻った気がした。ジタンといい、クラウドといい、何で俺の周りにはこうもお節介を焼く輩が多いんだろう。
でも、それが今は有難いと思った。今まで、こんなことなかった。誰かと接点を持ちたくなくて、持つのも怖くて、一人を好んでいた。暗くて無口で無愛想な奴だと思われている方が、一人の方が、よほど楽だったから。けれども、
「スコール、これ食って元気出せよ!」
「あ、ああ…」
痛いくらいに背中を叩くザックスの掌が熱くて、でもその心遣いが嬉しくて。もう何も言わないクラウドの纏う空気が優しくて、口に含んだマーボ豆腐はちょっと辛いどころか結構辛くて、また噴出してしまったけれど。
たまにはこんな日も、あっても良いのかも、なんて。



『ティーダと仲良くなってから、スコール変わったよな』



ああ、そうだなジタン。まったくもってその通りだ。やっぱり俺は、ティーダが好きなんだ。あの笑顔が、たまらなく愛しくて仕様がないんだ。そう簡単には、諦められないんだ。
二人の優しさとこのマーボ豆腐に何だか泣きそうになって、それを堪えながらも俺は普段あまりない食欲に火がついて、この日の夜は結構な量をご馳走になった。











待つだけじゃ駄目なんだ。
また、お前のことを追いかけても良いか、ティーダ?





途中車は、できない

(するつもりも、最初からないが)



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