「ありがとう」





















「今思えばさ、あれって現実だったのかそうじゃなかったのか、よく、わからないよね」
嵐の後の空は、余計なものがすべて吹き飛んだかのような快晴だった。昨夜俺たちは、2時間かかって捜索されたらしいことを戻ってきてからバッツから聞かされた。ファリスとレナはクルルのことをさんざん叱っていた。けれども無事でよかったと、涙を浮かべながらクルルのことを愛しむように抱き締めていた。
そして、ガラフの元へ。クルルにしてみたら、数年ぶりの再会。あの川の水をどう汲んでいくかで悩んでいたら、誰が準備してくれていたのか解らないが都合よく空のペットボトルが落ちていた。それを洗って汲んで戻り、クルルがガラフへとそっと飲ませてやる。
それまで眉間に皺を寄せ苦渋の表情で目を閉じていたガラフの顔は途端に和やかなものに変わり、そっと目を開ける。僅かに眼球だけをきょろきょろとさせ、クルルを視界に入れると、ガラフは人好きな笑顔を作って細い力ない手でクルルの頭をそっと撫でた。
「久しぶりじゃのう、クルル…大きくなったのう…見間違えたぞい」
「お、おじいちゃん…っ」
感極まって泣き出し、そしてガラフに抱きつきながら、わあわあと喚くクルルの姿は、誰が見ても年相応の少女のそれに見えた。ティーダがぐす、と鼻水を啜る音が聞こえる。俺も少し、鼻の先がツンとした。誰が見ても、その水を飲んでガラフが元気になったのだと思えた瞬間、ガラフは激しく咳き込む。やはり目元に深く皺を刻みながら、クルルの頭を撫で、そっと言った。
「クルル、すまんのう…じいちゃん、もう時間切れのようじゃ…」
「何で!?どうして治っていないの!?伝説は嘘だったの!?おじいちゃんの病気も、治せるんじゃないの…っ!?」
「クルル、よく聞きなさいッ」
「!」
語気を強くさせて、ガラフはクルルの小さな手を握り締める。そして、レナ、ファリス、バッツの名前も呼び、三人を順に見つめながら、言葉を紡いだ。
「クルルや、じいちゃんはな、クルルのことがほんとうに可愛くて可愛くて、仕様がなかった。それゆえに、お前の父さんと母さんがこの世から居なくなってしまったことに、うまい嘘をいえなかった。そのことでお前を傷つけてしまった。わしはじいちゃん失格じゃな…ほんとうに済まなかった…」
ふるふる、とクルルは首を横に振る。そんなことない、と涙声で、クルルは訴えた。
「クルルに嫌われているなんて、ちっとも思っていなかったよ。じいちゃんはクルルのことが大好きじゃからな、だからちーっとも、気にしてなんかいないぞい。もしそれを気にしているんなら、それだけクルルが大人になった、ということかのう…」
「おじいちゃん、やだっ、これが最後、みたいに、いわないでっ……!」
「バッツ」
「ん」
「今まで、たくさん苦労をかけたのう…まだ若いお前さんのことだ、やりたいことだってたくさんあったろうに、いつもわしの面倒を看てくれて…ほんとうに、感謝しとるよ…お前は、わしのたった一人の自慢の息子じゃ」
「ばか…よせよ、クルルの台詞じゃないけど、そんなこと、いうなよッ…」
「レナ、ファリス」
「はい」
「…ああ」
「お前さんたちの優しさは、バッツにもクルルにも必要なものじゃ。これからも、その暖かい優しさで、みんなを守ってくれ。それにレナ、いつもうまい食事を食えて、わしは幸せじゃったよ。ファリスも、こんなおいぼれの寝たくっさいシーツを綺麗に取り替えてくれて、ありがとう」
「ガラフ…ッ」
「ばか!何言ってんだクソジジイ!こんなことで、くたばってんじゃ、ねぇよっ…!」
きっと、ガラフは解っているんだろう。もう自分に、死期がすぐそこまで来ているということに。皆、歯を食いしばって、ガラフのことを必死に見て、目を逸らさないように、している。俺は、その光景を、後ろからぼんやりと、見つめている。ガラフの穏やかな顔も、バッツたちの必死な顔も、どこか映画だとかドラマの中のワンシーンに見えて。
「それから、今年来てくれたバイトとやらの若いモンたちも、ありがとう…」
そっと、呟くようにガラフが言った言葉に、俺ははっと顔を上げた。一瞬、目が合ったような気がした。ガラフが笑う。それはとても、綺麗な笑みだった。
「お前たちがわしくらいの年になるまで支えてやろうと思っとったが、さすがにそれは高望みじゃったかのう…そうでなくとも、皆わしが居なくとも、立派にやれるくらい、大きゅうなったんじゃのう…」
「おじいちゃん、わたし、おじいちゃんに何も返してないよ!!返せてないよ!!だから、」
ぽん。
「良いんじゃよ、クルル。もう、十分、してもらっとるよ…」
ぽん、ぽん、と。クルルの頭に置かれた手がやさしく、そして滑るように、するりと落ちていく。レナがファリスの肩に顔を埋めて、強く泣くのを堪えていた。
「…さて、少し…眠くなって…きた、のう…」
「………ッ、おじいちゃん!!」
少女の悲しい叫び声と共に、ガラフの意識が戻ることは、もう、なかった。





















綺麗な花に囲まれたガラフの亡骸は、薄く笑っているようにも見えた。俺たちも一緒に花を添えて、小さく祈る。空から聞こえたのは、やはりフェニックスの鳴き声。
ティーダと共にテラスに出れば、黒いワンピースを身に纏った少女が、金色のふわふわの髪の毛を風に靡かせて、手すりに寄りかかっていた。
「今思えばさ、あれって現実だったのかそうじゃなかったのか、よく、わからないよね」
少女は、無感情にそう言った。
「…そうだな」
俺も同意しながら、あれが現実だったのかそうじゃなかったのか、よく解らない。けれども、この少女がこんなに沈んだ顔をしているのも、バッツやファリスやレナ、それにクラウドやザックス、隣に居るティーダが暗いのだって。俺だって、胸の奥に何か燻っているものを抱えているコトだって。
きっと現実なんだって、思う。どこかで夢なら良いのにと思う半面、そう、思っている。
「何のために、がんばってたんだろ…」
ぼそ、と少女が言う。
「フェニックスは何でも病を治すっていわれているのに、どうしておじいちゃんの病気は治してくれなかったのかな…伝説の鳥の力なんて、あんなもの、なのかな…ッ」
「なあ、クルルちゃん」
意外にも、声をかけたのはティーダだった。クルルに目線を合わせるために、ティーダは屈みながらクルルの小さな手をそっと握る。
「そんなこと言っちゃ、ダメっス」
否定されたティーダの言葉に、少女の瞳にまた涙がじわじわと溜まっていく。ぐ、と唇を噛み締めて、顔が真っ赤になっていって。少女は顔を俯かせながら、ぽろぽろと小さな涙を零した。
「だって、一番がんばってたのはクルルちゃんじゃないっスか。クルルちゃんが暗い山道を必死になって探したお陰で、最後に、ガラフじいさんが意識取り戻して、クルルちゃんやみんなにお礼言えたんスよ?クルルちゃんが一生懸命、最後の最後まで頑張ったから、だから、一番頑張ったクルルちゃんが、そんなこと言っちゃ、ガラフじいさん、また悲しむっスよ…?」
こく、と少女は小さく頷く。そして、ティーダに抱きついて、泣いた。少女は、聡い子だと思う。だから、言われなくたって解っているのだろう。それでも、そう言わずにはいられなかった。一番頑張った人間が一見報われない形で、目の前で失いたくない人を失ったのだから。それでも、そんな人間に否定と肯定の言葉を言えるティーダが、俺には少し羨ましく思えた。俺だったら、そんな風に、言えない。否定も肯定もしないまま、きっと一緒に黙っていたかもしれない。
これが正しい、なんてことは、生きている限りうまくは判別できないし、できる自信は俺にはない。そんな潔さ、俺は持っていない。だから、なんだと思う。
こんな時に、そういうことが出来るティーダが、俺は羨ましい。
真っ直ぐで、時々目映くすら見える。小さな少女の頭を撫でてあやす彼の背中を、俺はやはりぼんやりしながら見つめている。無感情に、見つめている。俺も、そこから先へ踏み入れることができたら、ティーダのように成れるのだろうか。
また、鳥の声が聞こえた。少女の泣き声が止む頃、穏やかな風が、俺たちを包んだ。
夏休みのアルバイトは、今日が最終日だったと、その時初めて思い出した。


* * * *


「ほんと、世話になったな」
「いや、こちらこそ。…自分のペースで良い、元気出せよな」
「ああ、ありがとな。クラウドも、ティーダもスコールも、ありがとな」
目の下に僅かなクマを作りながら、バッツは俺たちをエントランスまで送りにきて、そう力強く言った。そして、笑う。
「俺さ、前からやりたいことがあったんだ。ガラフから解放されたから、ってワケじゃないんだけどさ、もう少しおちついたら、俺は俺のやりたいことに生きてみようかなって、思う」
「そうなると、ここの経営どうすんだ?」
ザックスが素朴な疑問を口にすれば、後ろに控えていたレナがにこりと笑って、
「それは大丈夫です、私と姉さんと、それにクルルも居るし、どうにかなるわ」
「そういうことだ。バッツには色々と俺たちも世話になってるし、な?」
「女性陣の方が逞しいみたいだな、バッツ」
からかうようにクラウドがそう言えば、そうかもなー、といつものようにカラカラとバッツが笑う。へーゼルの瞳が、真剣に細められる。
「ともかくさ、ほんとにみんなありがとな。俺にとっても、良い思い出になったよ」
「クルルちゃん、元気でな」
「…元気で」
「うん、ティーダもスコールも、元気でね!また、いつか遊びに来てね」
もちろん、と大きくティーダが頷きながら、指きりげんまんをする。俺もティーダに倣って同じことをすると、少女はいつもの笑顔で手を振ってくれた。ザックスの運転で、俺たちは元居た町に戻って、いつも通りの生活を送る。それに戻ってしまうのが、少し寂しい。
窓からティーダが身を乗り出し、元気でな、と叫んでいる。クラウドもザックスもそんなティーダに苦笑しながらも、何も突っ込んだりはしない。見えなくなって、ティーダがシートへと身を預けた。唇を噛み締めている。何かに拗ねているような子供に見えて、俺はそれに気付かない振りをして頭をぐしゃぐしゃに撫でてやった。
「ちょ、スコール!!俺は別に泣いてなんかいないっスよ!!」
「…俺は別に何も言ってないぞ?ただ頭を撫でてやっただけだ」
「子供扱いするなよって言ってるんスよ!!」
「お二人さーん、イチャつくなら家に着いてからどうぞー?」
「んなっ!!そんなんじゃないっス!!」
ザックスのからかいにまたも顔を真っ赤にさせたティーダがぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。何だかんだですぐさま元のティーダに戻って、寝不足だったのか少し不機嫌なクラウドに五月蝿いと一喝され項垂れている犬二匹(ザックスとティーダのこと)の姿を尻目に、俺は窓の外の緑をぼんやりと眺めていた。やがてだんだん瞼が重くなってきて、俺も気付けば意識を手放していた。

























今まで、生きてきた中で、こんなことを感じたり、思ったり、考えたり、少しだけ笑ったり、怒ったり、悲しんだり、したことが、なかったかもしれない。
世界は不変で、面白いこともつまらないことも一緒のトーンで、俺の目には映っていたから。
けれども、そうじゃないんだ。
そこに誰かが居るだけで、世界はこんなにも色鮮やかなんだと、そう、思える夏のハジマリ。



『ありがとう』



最後にそう言われた老人の言葉を思い出して、また胸の奥が熱くなる。
今まで自分は、その言葉を他人に言ったことがあっただろうか。
寮のベッドに寝転がり、既に寝入っているティーダのことを思い浮かべながら、考える。
俺はもう少し、肩の力を抜いた方が良いんだろうか。あの老人のように、とは言わないけれど、それでも、あんな風に最後を迎えられたら。
…そこまで考えて、やめた。
これから、どんなことが起きるのだろう。
まだ暑苦しい夏の夜は続く。
その先に答えがあればいいと、そう、祈りながら、俺はゆっくり、目を閉じた。





オリオンの夏
(それでもあなたは、やさしかった)



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