「良いなぁ」
「?」 唐突にティーダが声をあげて、クラウドがそれに首を傾げる。 机の上にはノートやら教科書やらが散乱していて、成績が悪いティーダは同室のスコールに勉強を教えてもらっていた。 そんなところに、二人の先輩であるクラウドが遊びに来たのだ。 対象がスコールからクラウドへと移り、スコールは突然の来訪に僅かに眉をしかめながら、とりあえず冷たい麦茶をクラウドへと差し出した。 スポーツ推薦で入学したティーダは勉強が空っきしだった。同じクラスで同じ部屋のスコールに毎度テストの時期になると泣きついては勉強を見てもらい、中の中を何とか保っていた。 クラウドは、スコールやティーダたちよりも3つ上の先輩だった。二人が入学した当初、クラウドは既に有名人で学校の生徒会長も担っていた。 眉目秀麗な外見だったが、中身はただぼーっとしている人だとスコールは思う。 スコールも周りに推されて一年の頃から生徒会に入り書記をクラウドの下でやっていたが、何故こんな人間が生徒会長をやっていたのか不思議でならない、そう思うほどスコールにとってクラウドは変人のように映っていた。 肝心の会議の内容を聞いていなかったり、纏めた報告書を顧問に提出し忘れたり、兎に角鈍くさくて、副生徒会長のセシルがよく苦笑を漏らしていたのを覚えている。 いつからだったか、ティーダはそんなクラウドに憧れていた。一年の夏場だったか、生徒会が終わりスコールとクラウドが教室を出る際にティーダは部活が遅くなったのだろう、一緒に帰ろうとスコールを待っていた。クラウドとティーダが面と向かって顔合わせしたのはその時だったと思う。ティーダはクラウドを目の前にして固まっていた。所謂一目惚れ、というやつかもしれない。 それ以降、ティーダはあっという間にクラウドと仲良くなった(という表現は正しくないかもしれない、何故ならスコールの時と同様にティーダが一方的について回っているのだから)。 スコールにとって、それは何となく面白くなかった。ティーダは、大切な友人の一人だ。 同室な上に同じクラスで出席番号も近いので最初犬のようについて回るティーダを鬱陶しいとも思ったが、その根性に負けた今ではスコールにとって数少ない友人の一人になった。 これはつまるところツマラナイ嫉妬、というやつかもしれない。スコールもスコールで、クラウドがティーダに勉強を教えている隣で数学の公式を黙々と解いていた。が、ティーダの表情が逐一気になっていまいち集中ができない。 そんな中だった。唐突にティーダがシャーペンを投げ出して、クラウドを見るなり良いなぁ、とぼやいたのは。 「クラウドの金髪って、地毛っスよね?」 「ああ、そうだが」 何が良いなぁ、なのかクラウドには解りかねるようだ。スコールは、その言葉にどんな意味がこめられているのか、解っていた。 「俺、これ染めてるんスよ」 「そのようだな。根元が少し暗い色だ」 以前、三者面談の時期にティーダから(一方的に)聞かされたことがあった。父親が大っ嫌いで、似てると云われたくないから、髪を染めていると。 「俺そんな綺麗な金髪にはいくら染めてもなれないから、クラウドの金色が羨ましいっス…」 (ただ外見がなよっちいだけにしか見えないだろうが…) 心の中で突っ込んでやる。一度喋り出すとティーダはなかなか元には戻らない。時計を見れば正午を過ぎていた。スコールは無言で立ち上がると備え付けのキッチンへと立った。 「スコールが、いつも昼を作るのか?」 「…いつもじゃない、その時の気分だ」 「スコールの手料理、美味いんスよ!」 といっても大した物は作れないが、大飯食らいのティーダはスコールがたまに作る手料理をえらく気に入ってくれていた。その笑顔が見れるのが嬉しくて影ながら努力したりしているが、きっとティーダは一生気づかないだろうとスコールは冷蔵庫を覗きながら溜め息を吐いた。
冷蔵庫の中はあまり材料が入っていなかった。加えて今は夏場に近い梅雨の時期もあってしつこい物は食べたくない。数ある選択肢を削っていった結果、冷やし中華を作ることにして、鍋に水を張って火をつける。 キュウリとハムを千切りにしていく中、最初は不格好な千切りが今では均等に、綺麗に切れるようになったものだとぼんやりと思った。 トントン、材料を切る音が妙に耳に響く。後ろからは、シャーペンをカリカリとノートに書いていく音が聞こえた。 窓を開けた向こうからは、他の生徒の笑い声。 時々ふわりと入ってくる風が妙に心地良い。 湯が沸騰する音。麺をその中に入れて、解しながらちらりと後ろを振り返る。 ティーダの真面目な表情が、綺麗だと思った。 クラウドのテノールが、解らないと呻くティーダへと優しく教えてやっている。 何だか、不思議な感覚だった。 自分は目の前に居るのに、自分が透明人間か何かになったような感覚で、目の前の二人を見つめていた。 また風が吹く。そよ風がティーダの癖っ毛を撫でるように横切る。 ふと、ティーダと目が合った。空のように青い真っ直ぐな目が、スコールを見つめてくる。 「スコール、」 ティーダの声が、スコールの名前を紡いだ。それだけで、何故か自分の鼓動が跳ね上がったのを感じながら、スコールは目を僅かに見開いた。 透明人間のような感覚から、自分が其処に在るのだと思い知るように、指先まで細胞が再生していくような。自分はちゃんと「現実」に「居る」んだという感覚に。 スコールは、名前を紡いでもらったことに、純粋な喜びを感じた。 「スコール」 今度は、少し強い口調でティーダがスコールを呼ぶ。ティーダは僅かに困ったような顔をしていた。何故困ったような顔をしているのか、スコールには解らない。 「スコール!」 「鍋、噴いてるぞ」 気付けば真横にクラウドが立って、火を止めていた。単純に、鍋が噴いてることをティーダは教えてくれていただけだったのに、名前を呼ばれただけでぼんやりとしてしまった自分をスコールは恥じた。 「大丈夫か?」 クラウドが僅かに心配した様子でスコールの横顔を覗く。スコールはクラウドに見られないように、手早く茹で上がった麺をザルに移し、水で洗いながら大丈夫だ、と素っ気なく応えた。 「…悪かったな」 ぽん、と申し訳なさそうなクラウドがスコールの肩を軽く叩いて元の席へと戻る。その言葉が一瞬理解し兼ねて、スコールは反芻した。 (…違う。あんたが悪いんじゃ、ない…) ただの八つ当たり、そんな言葉がぴったりで、スコールは麺を冷やしながら、強くそう思った。 ティーダの分は少しだけ多めに分けてやって、上に真っ赤なトマトをトッピングしてそれぞれへと配る。 「スコール、熱でもあるんじゃないのか?無理は駄目っスよ?」 席に着いた途端、体温が高いティーダの手がスコールの額に当てがわれる。一瞬びくりとしたが、 「大丈夫だ。問題ない」 と応えればティーダはほっとしたように笑った。 苦笑をこぼしながら、作った冷やし中華を啜る。何となく、いつもより不味いと感じたのは、気のせいではなかった。
シャワーも終えて、髪をタオルで拭きながら乾かしていると、自分のベッドにティーダが突っ伏していた。 室内は一階スペースと二階スペースみたいなものに別れていて、ティーダのベッドは二階スペースにある。部活で疲れてくたくたになると、ティーダは二階に登るのも億劫なのかよくスコールのベッドを占領していることがあった。 最初こそ注意していたが、今ではそれも慣れた。いちいち注意してはこちらが気疲れするばかりだ。はぁ、とまた溜め息を吐いて、ティーダの傍へと腰掛ける。 きし、とベッドが二人分の体重を乗せて僅かに軋んだ。スースーと寝息を立てるティーダは、今日の勉強が堪えたようだ。僅かに湿った金色の癖っ毛を撫でてやると、ティーダが呻いた。 ふと、ベッドサイドに放置していた携帯のバイブが鳴った。ティーダの頭の上を腕を伸ばして手にして、それを開く。 送信主はクラウドだった。 『今日は突然邪魔をしてほんとうに済まなかった。勉強を教えるのは自分の為にも役立つから、頑張れよ』 その内容を見て、スコールは前髪をくしゃりと掴む。 素直に謝るべきはこちらの方なのに、スコールは何だか泣きたくなった。思ったことを直ぐに口には出せない。クラウドもスコールと似たような性質だが、スコールよりは大人だ。そんな大人の余裕が、自分にはない。 羨ましいと思う。素直になれるクラウドとティーダが、酷く羨ましい。 きっと今日一日、クラウドには酷い態度をとってしまったかもしれない。あからさま過ぎたかもしれない。それでも、クラウドに懐くティーダを見るのは苦しかった。 ツマラナイ嫉妬。 下らない独占欲。 これはほんとうに、純粋な友情と、呼べるものなのか。 (俺は…どうしたいんだ?) 寝ているティーダを一瞥して、また癖っ毛を撫でた。日中ほどではないが夜も茹だるような暑さが空間を支配して、携帯を握っていた手がじくりと変な汗を掻いていた。 夏は、嫌いだ。 この茹だるような暑さが、思考と感覚を変な方向へ持って行こうとする。 (…これじゃ、まるで) その先を考えるのはやめた。踏み込んだら最後のような気がして、スコールは怖かった。 けれどもクラウドの謝罪が、頭から離れない。少なくともクラウドは、気付いているのだと思う。 嗚呼、面倒だ。何だってこんな面倒な感情を抱いてしまったのか、後悔しても遅いのだけれど。
夏は、嫌いだ。 これから更に、思考回路がオカシクなる季節がやってくる。
『俺そんな綺麗な金髪にはいくら染めてもなれないから、クラウドの金色が羨ましいっス…』
(お前は、お前のままで良い…)
ツマラナイ嫉妬。 下らない独占欲。 情けなくて格好悪い、だが、自分の中の獣が牙を剥くような、そんな狂った感覚。
自分の情けなさだけが強調される夏なんて、いっそ来なければ良いのに。
世界が静止すればいい (そうしたら、この感情に揺さぶられることもないのに)
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