春告げ鳥のラブソング

 暗い暗い、洞窟。
 わずかな太陽光すら侵入することをためらうような闇の中で、ぼうっと人工的な明かりがひとつ、浮かび上がった。ゆらゆらと揺れながらも、着々と近づいてくる明かり。
 息を潜めてその光の行方を目で追っていると、かすかな振動が、波紋となって伝わってきた。
 見つかってしまうのも時間の問題だろう。そう思って、深く息を吸い込んだ。

 この洞窟には、先がない。どこかに行くための場所ではない。
 それが自分のこの先の生き方のようで、なんともひどい皮肉だと思ったものだが、実際、幽霊のように生きるには、ちょうどよい場所だった。ここならば、年に数回、物好きな探検家や迷い込んだ小さなポケモン達がやってくるだけで、私の安寧を脅かす存在もやって来ない。
 だから、静かに眠っていられる。そう、静かに。何者の振動も、息づかいも、熱も感じずに、ただひっそりと、ひとりぼっちでいられる。

 喉を震わせる。高い音、低い音、また高い音。そうやって理想のメロディーを想像しながら、ただひたすらに声帯を震わせた。

 歌は、嫌いではなかった。けれど、今となっては、歌はただの手段だ。他者へ仕掛ける”わざ”にすぎない。生き残るために必要なことだから、そのために一番効率的だから、そうしているだけ。

 眠れ、眠れ。向こうに明確な敵意がないのなら、侵入者を傷つけるつもりはない。眠らせた後、洞窟の入り口まで運び込んでしまえばおしまいだ。
 しかし、しばらく喉を震わせ続けているものの、一向に明かりの動きが止まる気配はない。それどころか、明かりは着実にこちらの居場所を突き止めて、接近してきている。
 これ以上はまずいと思い、より奥へと逃げるために背を向けたとき、自分のものではない振動が、すぐそばまで伝わってきた。

 ちゃぷん、という自らが立てた波音の合間に、何かの声がこだましているようだった。足音とは別の振動が洞窟中に反響しているようだから、何か、生き物の発する声だと思った。
 それは頼りなく、戸惑っていて、明らかに今までの侵入者とは違う印象を抱かせた。迷っている様子ではありながらも、振動は次第に大きくなり、やがて、自分の目の前でぴたりと止まる。ぼにゃりとした明かりですら、今の自分にはまぶしくて、きゅう、と目を細めた。
 なぜだか、見つかってしまうのならば、それはそれでいいと思えた。
 さきほどから頭の中にもやがかかったように、ぼうっとした感じがする。もしかしたら、これは夢なのかもしれない。そうでなければ、こんな辺鄙な場所に、人間の子供がひとりぼっちで現れるはずがないのだ。

「わあ、おっきいポケモンさんだあ・・・・・・!」

 ランタンを手に掲げた少女は、大きく口を開けて、自分のことを見上げていた。言っていることはなんとなく分かる。敵意がないということが明確に分かる表情をしているため、自然と身構えていた身体の力が抜けた。
 明かりに反射して、少女の髪がきらきらと光っている。それがまるで、久しく目にしていなかった陽光のようで、妙な温もりを感じた。
 この少女は、敵ではない。
 かといって、戯れるつもりはない。はやく帰ってくれないだろうか。威嚇の意味を込めて、帰れ、と鳴いてみる。意味は分からずとも、こちらが疎ましいと思っていることは伝わるだろう。おびえて、ここから出て行けばいい。悪夢だったと、早く忘れてしまえばいい。
 洞窟中に反響するような声で、怖く聞こえるように、極力低く鳴き声を上げる。口から冷たい吐息が漏れた。

「どうして?じゃまだった?」

 明かりの強さに目が慣れてきた頃、少女が不思議そうに首を傾げているのがはっきりと視界に映った。
 少女は自分の鳴き声の意味を分かっているのかいないのか、眉尻を下げながら、臆面もなく私の身体に触れてくる。
 やめろ。触るな。
 もう一度、先ほどよりも鋭く鳴き声を上げると、少女はびくりと身体を揺らして小さな手を引っ込めた。

「どこかいたいの?」

 うなり声を上げて、水をかく。そうして少し私が後退すると、少女はさらにその距離を詰めようとして、足を踏み出した。
 直後、立て続けに強めの振動と、小石がいくつか落ちたときの波紋が広がる感触がして、振り向いた。

「!」

 自分の足下を見た少女は、あと1歩踏み出せば水の中だという距離までやってきて、すんでのところで歩みを止めている。少女の慌てぶりを反映するかのように、ランタンの明かりがぐらりぐらりと揺れていた。

「まって、いかないで!」

 少女が泣き出しそうな顔をして、自分の方にランタンを持っていない方の手を伸ばす。親鳥を失った雛のように、悲しみにあふれた表情が、ぼんやりと暗がりの中に浮かび上がっていた。
 このまま放っておいてもいいものか。おそらく、望んで自らこの場所にやってきたわけではないのだろう。こちらに危害を加えるつもりがないということも分かっている。
 だが、ずっと騒がれたままでは迷惑だ。誰かが少女の声を聞きつけてやってくるかもしれない。心配した親が探しに来るかもしれない。そうなる前に、少女をこの洞窟から追い出してしまう方が、安寧を得られる。私はそう判断した。

 水面を滑るようにして、少女の待っている岸辺までやってくると、にわかに彼女の顔が明るくなった。

「ありがとう、あのね、わたしね、まいごなの」

 少女の顔を、じっと見つめる。なんとか、彼女の発した言葉の意味は理解できた。少女の表情に、嘘偽りの類いは見受けられない。本当に、この洞窟へと迷い込んでしまったのだろう。私が何の反応も示さないでいると、少女は私が話を聞いてくれていると思ったのか、また口を開いた。

「おうちでねてたはずなのに、きがついたらここにいて、これも、だれのかわからないの」

 少女がランタンを掲げる。人にの作るものには疎いが、火を使っているのではなく、電気を使って光を生み出しているもののようだった。特段、気になるようなものではない。ごく普通の、人間が使う道具に見えた。

 奇妙だ。
 敵意がないことに安心して、今までそこに考えが至っていなかったが、少女の存在自体が、妙なものとしか思えないことに気づいてしまった。
 あまり洞窟の外に出ることはないのだが、確か、今の季節は冬ではなかったか。だと言うのに、彼女が身につけている服は、寒さをしのぐためのものとはあまりにかけ離れている。腕も足も、その大部分がむき出しで、暑い季節に身につけるべきものだ。
 捨てられたにしては、あまりに身ぎれいで、本当に、突然この空間に現れたように思える。
 けれど、まあ、こういうこともあるのかもしれない。不思議なことなんて、この世界にはたくさんある。
 いつもの自分からは想像もできないくらいに大雑把で適当な感想が頭に浮かんでしまったせいで、先ほどの疑問は泡のようにはじけて消えてしまったのだった。
 
 ぺた、と小さいものが触れてきた感触がして、意識がそちらに引っ張られる。
 見下ろすと、おそるおそるといったふうに、少女が私の身体に触れていた。感触を確かめるように2度、3度と手のひらをあてがった少女は、私の視線に気づき、慌てて手を引っ込める。怒られると思ったのだろう。
 無言で少女の動向を眺めていると、少女はそれを好意的に捉えたのか、岸辺に腰を下ろした。暗く、底の見えない水面に、ちゃぷちゃぷと素足を浸す。

「あなたは、ずっとここにいるの?」

 少女は言葉を発しながら、指で地面を指し示す。なんとなく、言いたいことは分かった。
 どうやって答えようかと逡巡していたが、ここでようやく、私が本来人間に対して好意的な種族であることを、幸か不幸か思い出してしまった。
 念じる。人の言語にチューニングするのは本当に久しぶりで、少々頭の中が混乱した。

『・・・・・・そう。そうだ。ずっと前から、私はここにいる』
「わ、わ、!すごい!」

 うまく伝わったのか、少女は足をばたつかせて嬉しげな表情を見せていた。ばしゃばしゃと、白いしぶきを上げて、水が跳ねる。こうして他者の生み出す波紋を見るのは、いつぶりだろう。

『早く、ここから出て行ってはくれないか。私は、静かに暮らしたい』
「そうなの。じゃましちゃって、ごめんなさい。かえりたい。わたし、かえりたいけど、まよっちゃったの。あなた、でぐち、わかる?」
『来た道を戻れば、帰れる。だから、帰れ』

 少女はしゅんとしたのち、自らの後ろを指さして、それから、私を見て再び首を傾げた。一生懸命、伝えようとしていることは分かるが、いまいち要領を得ない。それでも、迷子で、帰りたがっているということは、なんとなく理解できた。

 この洞窟は1本道で、奥に行き止まりがあるだけのシンプルな作りだ。少女と自分が今いるところが、洞窟の最奥部になる。来た道を戻れば、出口にはすぐにたどり着けるだろう。
 自分はちょうど眠っていたから、少女がいつ、この洞窟にやってきたのかは知らない。気がついたらもうずいぶんと近くまでやってきていたものだから、一体どれくらいの時間、この洞窟をさまよっていたのかは、分からなかった。

 私の発したテレパシーに、少女は首を傾げる。

「わたし、きがついたらこれもってここにいたから、あそこは、でぐちじゃないとおもう。だって、まっくらなんだもん」
『・・・・・・?』

 彼女はランタンを少し持ち上げた。ゆらり、少々目に痛い明かりが揺れる。それをがたりと置いて、少女は水から足を上げた。膝を曲げ、細い腕で抱え込み、背を丸める。膝の間にうずめられた顔はしょぼくれており、そのまま首を横に振るものだから、ばらばらと髪の毛だけが意思を持った別の生き物のように震えていた。

 なんとも表しがたい感情が、胸の内にこみ上げる。
 人間のことは信用できない。けれど、だからといって嫌いになりきれないのが、私の種族の持つ悲しい性なのだということも、決して無視できるものではない。
 だって、こんなに憎みたいと思っているのに、身体はまだ、人間のかたちを覚えているのだから。

 そっと小さな肩に触れると、ゆっくりと少女が顔を上げた。その双眸は、かつて仲間たちと過ごした海の青さに、とてもよく似ていた。青い瞳が大きく見開かれる。
 手を引いて立ち上がるように促すと、少女は慌てすぎて逆にもたつきながらも、しゃっきりと立ち上がった。

「ポケモンさん、ひとになれるの?」
「・・・・・・」

 うまく話す自信がなかったので、黙ったままうなずいた。
 ランタンを手に取り、少女の手を引いて歩き出す。少女は抵抗することも疑うこともせず、従順についてきた。ぺたぺた、かすかな振動が伝わってくる。握った手は温かいかと思ったがそうでもなく、かといって冷え切っている感じもしなかった。不思議と、温度が感じられなかった。誰かの手を握るのは久しぶりだったから、こういうこともあるのかもしれない、としか思えなかったものの、それでもやはり違和感はあった。
 人のままでテレパシーを使うのも妙かもしれないと思ったが、わざわざ人間の言語を話すというのも煩わしくて、結局、語りかける手段は先ほどと同じそれだった。

『これから出口まで送ってやる』
「ほんと!?ありがとう!」

 少女の握り返す力が、強くなった。きっと、喜んでいるのだろう。弾むように歩いているのか、ぎゅっ、ぎゅっ、と定期的に手を握る力が強くなったり、弱くなったりしている。

「おねえさんのかみ、すっごくきれいだね!」

 少し振り向くと、膝付近まである自分の長い髪の毛を、少女がそっと指ですいていた。指通りの良さを楽しんでいるのか、するすると何度も指を滑らせている。
 少女にも自分の髪があるというのに、何故わたしの髪を触るのだろう。確かに人のかたちを取るのは久しぶりだったが、そつなくこなせているはずだ。特段失敗してしまった部分は思いつかない。

「あかるいところでみられたら、もっときれいなんだろうなあ・・・・・・」

 少女は何か言っていたが、意味はよく分からなかった。答えを求めているような雰囲気ではなかったので、されるがままにしておいて、無視してそのまま前を向く。

 やがて、うっすらとだが、周囲が明るくなってきた。
 ちょうど朝日が昇る時間帯だから、外に出る頃にはすっかり明るくなっているだろう。
 おもむろにランタンの明かりを消すと、少女の手が震えた。この方が出口を探しやすいと思ったのだが、人間の目では、まだこの空間も真っ暗の部類に入るのだろう。震えは恐怖を示していた。
 だが、私が手を引けば、握る力が幾分か強くはなったものの、おとなしく少女はついてきた。

 人間の目にも明るくなってきているのが分かったのか、少女の歩調が早まった。自然の力のみで形作られた洞窟は、人間の、ましてや子供の素足では歩きづらいだろうに、その足取りは軽い。
 歩き続けていると、少女が立ち止まったのか、手がぐんっと引っ張られた。どうしたのかと思って振り向くと、繋いでいない方の手で、少女は眠たげに目をこすっていた。完全に足を止めて、うつむいている。そのまま船でもこぎ出してしまいそうな雰囲気の少女は、ゆっくり大きくあくびをこぼした。

「なんだか、ねむく・・・・・・」

 眠さで口が開ききっていないからか、もごもごとした口の動きでは、何を言っているのかよく分からない。
 手を離してしゃがみ込み、視線を合わせると、両の手で目をこすり始めた。

『どうした?』
「ねむ、たい・・・・・・」

 今にも倒れてしまいそうな小さな身体に両手を伸ばし、肩をつかんで軽く揺さぶる。ゆりかごの中にいるような錯覚を覚えさせてしまったのか、余計に少女の身体からは力が抜けていく。
 もたれかかるようにして倒れ込んできた身体を抱き留めると、穏やかな寝息か、生暖かく首筋を濡らした。ゆっくりと上下する背中を見ているうちに、頭の中にもやがかかったように、意識が遠のき始めた。
 ぎゅう、と服を掴まれる感触がして、そのわずかな力に意識を集中させてみたものの、すぐに集中力が霧散してしまう。どんどん身体が動かなくなってきている。
 最後の力を振り絞って、小さくて温かなものの体温を包み込むようにして抱き込むと、その温もりが身体中に染み渡る心地がして、この上なく気持ちがよかった。
 穏やかに拍動する心臓の鼓動が布越しに伝わってきて、泣きたいくらいの安心感で、胸がいっぱいになる。

 いつの間にか、故郷の懐かしき歌を口ずさんでいた。
 眠りにつく前に、母親が、姉が、口ずさんでくれた子守歌。あれは、ただメロディーをなぞるだけでは子守歌になり得ない。言葉も、音も、何だっていい。何だっていいのだ。優しさにあふれた声音で口ずさんだ歌を、子守歌と呼んでいるだけのこと。
 
 安心してお眠りなさい。私はここにいるからね。
 
 まぶたが落ち、視界が狭まっていく光景を、どこか他人事のように眺めつつ、意識を手放した。目の前が真っ白に塗りつぶされていく。じめじめとした洞窟の、硬い岩の感触はどこにもなく、真綿で包まれているような心地がして、深く息を吸い込んだ。
 
 ひとときのゆめまぼろしだったとしても、温もりに飢えた私の妄想だったとしても。
 この温もりを、きっと私は憶えている。いつか本当に、暖かな日だまりの中で生きることが許されるのならば、私はまた、誰かに子守歌を歌うのだろう。

 次に目を開けたときの私はきっと、冷たく暗い洞窟でひとり、何かが来るのを待っている。

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