とろけた空気

ライラたちが浴室を出ると、いい匂いが鼻孔をくすぐった。そういえばゼルはどこにいるのだろう、と思った矢先、視界の端で雪の色を写し取った髪が揺れる。
薪を小脇に抱えたゼルが、暖炉にしゃがみ込むところだった。きっと今さっきまで、薪をとっていたのだろう。

暖炉には鍋がかかっていて、ことことと色とりどりの野菜が煮えていた。野菜本来の色を邪魔せず包み込んでいるスープはとろりとまろやかなのが一目見てわかる。寒い日にはお風呂と同じくらいありがたい代物。

「シチューだ・・・・・・!」

片手にミトンをはめた咲闇が鍋の様子を確認したのち、蓋をした。台所に戻っていったところを見るに、メニューはこれだけではないのだろう。交代でお風呂に入ったのは、どうにも寒気が留まるところを知らないといった風の麗音。他は一度原型に戻ってドライヤーなどで身体を乾かしてしまったそうだ。この時どうして服が乾くのか不思議でしょうがないが、まあ毛が乾くのと同じようなものなのだろう、きっと。

「まあ麗音が風邪をひくとは思えんがな」

テーブルに頬杖をついた榮輝がそう零す。同感だとばかりにライラは小さくうなずき苦笑した。○○は風邪ひかないとやらに、ものの見事に当てはまるのだからうなずかざるをえない。

首からタオルを下げたままでいると、うしろからわしゃわしゃとそのタオルでライラの髪を拭く手があった。彼の長い服の裾がひらひらと揺れるさまが暖炉の火に似ていて、しばし魅入った。

「風邪ひきまっせ」
「コイツも問題ない」
「どういう意味だこら」
「ム?そのままの意味だが」

頬杖をついたまま窓の外を眺めて、榮輝は噛みついたライラを軽くいなした。うがー、と吠え立てるライラの首にタオルを戻した朱羅は、麗音が浴室から出たのを見計らってドライヤーを使うよう彼女に促した。麗音とすれ違いざまに彼を見上げたライラが声を上げる。

「麗音も髪の毛濡れてるじゃん!ほら、風邪はひかないと思うけど乾かそ!」
「うん?わかった乾かすー」

彼女の冗談を全くわかっていない麗音は、普段ぴんぴんさせているアホ毛がしんなりとしている。アイスグリーンの毛先からはぽたぽたと雫が滴り落ち、首にかけたタオルを湿らせていた。ほかほかと十分に温まってきたようで、その頬は上気していかにも幸せそうだったが、髪が濡れたままでは温まったのが無駄になりかねない。
ほどなくして浴室からぶおおお、と鈍いドライヤーの音が響きはじめた。

ライラらと入れ替わりに現れたのは咲闇だった。再びキッチンのドアを開け、泰奈と雷瑠を手招く。原型に戻って、寝そべる緑龍の上でくつろいでいた彼女たちはぱっと人の姿をとり、咲闇のもとへ駆け寄った。咲闇は小脇に抱えたものを渡し、暖炉の前で膝を折る。それにならい、二人もしゃがんで興味津々で暖炉と咲闇とを交互に見る。彼は灰の中にさくさくと、バーベキューで使うような串を刺して見せた。灰にうずもれていない方の先端には、小さく切られたパンが刺さっている。

「残りもこがん要領でやっとってくれんね」
「はーい!」
「わ、わかり、ました!」

よしよしと彼からすれば随分低い位置にある二つの頭を撫でて、咲闇は立ち上がった。台所に戻る途中で少し振り向くと夢中で暖炉とにらめっこしている小さな背中が並んでいるのが見えて、ほろっと笑みが零れるのだった。食器の配膳をテーブルの回りにいる面々に任せて、ひょろ長いうしろ姿が台所に消える。

「火が弱くなっちゃった・・・・・・」

雷瑠たちが串を刺し終えた頃、薪が足りなくなったのか、火がちろちろと舌を出す程度になってしまった。しゅん、と眉を垂らした二人に影が差す。

「ああ、薪が少なくなってしまったね」

いつからそこにいたのか、燦牙がしゃがみこんで暖炉をのぞき込む。いきなり背後に大きな影が現れて、泰奈は驚き一瞬で原型に戻ったかと思うと跳ねて雷瑠の後ろに隠れてしまった。ぽよんぽよんと怯えるさまを困ったように笑って眺めた燦牙は、小さく謝ってから立ち上がる。
暖炉の上からストックしていた薪を手に取り、手前に立ちはだかる串の林を器用に避けてくべていく。おそらく、燦牙とゼルの二人で薪を取りに行っていたのだろう。手に持った最後の一本に、ふうっと彼が息を吹きかけると、ちろりと青い炎が顔を覗かせた。それもくべられてしまうと赤い炎とひとつになって、やがて下火だった火が赤々とした炎になった。

「焦がさないように、気をつけて」
「うん、ありがとう!」

にぱっと笑みを浮かべた雷瑠を見て、燦牙も頬を緩ませる。球体の半分だけを雷瑠の影から出した泰奈も、どもりながら――これはいつものことだ――お礼を言って、暖炉の番を始めた。
彼女らが火傷をしないようにと軍手を手渡した燦牙は、横たわる龍卉の脇腹辺りに背を預け、遠くから暖炉を見守っていた。龍卉が甘えるように喉を鳴らして、縞模様の長い尾をぐるりと燦牙の腰に巻きつかせる。こういうところは素直だと、燦牙は目を細めてなめらかな深緑を優しく撫でた。

ライラと麗音が乾いた髪の毛で戻ってくるころには、ちょうど晩ごはんの支度が出来ていることだろう。

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