見目にのみ鼻白む

「ゆき!!ゆきだよゆき!!」

テンガン山の麓と違って、ここの雪はまだ何者にも蹂躙されていなかった。初めての足跡を各々が刻み、少し振り返っては自らの軌跡を満足げに眺めるのだった。

大はしゃぎして駆け回り、思い切りライラが大の字にこけた。もろ手を挙げた大の字の姿勢のまま倒れた様子に、一番近くではっと息を呑んだ咲闇は、足を雪から抜き取り抜き取りなるべくの速さで駆け寄った。

「大丈夫ね!?」
「……ぶほっ。あ、ありがとう」

がばっと空気を確保するべく顔を上げた金髪の少女の脇に手を入れ、咲闇が抱きかかえるようにして雪の中から彼女を抜き出す。振り向いて赤い鼻と頬を雪まみれにしてはにかんだライラを見て、安心したやらおかしいやらで、隠すことなく咲闇は吹き出した。

「わ、笑わなくたっていいじゃんか!」
「だって、ライラ、その顔、それに雪のあとが、くっ……ははは!」

ライラを綺麗に抜き取ったため、雪は彼女が大の字にこけた状態そのままを保っていて、抜け殻のようだった。それがおかしくて、咲闇の笑いは止まらない。
恥かしさを紛らわすために、首を振って顔面の雪を払い落とし、そこらじゅうにたんとある雪をひとすくい、咲闇の顔面にぶつけた。

「へぶっ」
「もう!笑いすぎ!」

すると彼の後頭部に、サンドイッチする形で雪玉が飛んできた。当たって砕けた欠片がぱらぱらとライラにも降り注ぐ。誰がやったのだろうと、咲闇の身体を盾にしつつ顔を覗かせたライラが見たのは、やはりというか、口角を吊り上げた榮輝だった。

それからは、もともとの服の色がわからなくなるくらいに雪まみれになる者が続出した。

「ちょっいかんて!いかんて!狙い撃ち禁止ばいて!」
「んぎゃあああ冷たいいい寒いよおおお」

集中攻撃を食らうのは当たり前のように咲闇と麗音で、彼らの服はとけた雪の重さでじっとりしていた。朱羅がせっせと作った雪玉を、雷瑠と泰奈が嬉々として片っ端から消費していく。ライラは榮輝から顔面に雪玉を数え切れないほどお見舞いされて、終始彼の影におびえていた。
息が上がるほどに散々雪合戦を楽しんでいたのはいいものの、くしゅん、と泰奈が小さくくしゃみをした。

「さ、さすがに寒いね……」
「雪が服を濡らしているから、身体が冷たくなってしまいますね」

このままでは風邪をひいてしまう。潮時かと自分たちが好き勝手に転げまわったでこぼこな雪原を見渡す。

『おーい。きんぱっつん!』

上空から明るい声が降って来て、ぼす、となかば雪に埋まるようにして龍卉が着陸した。彼なりの雪の楽しみ方だろうが、「ちべたっ」と小さく声が上がったのをライラは聞き逃さなかった。タイプの性質上、やっぱり冷たいのは苦手なようだ。これ以上雪まみれになってはかなわないので、気付かれないようこっそりと笑うだけに留めておいたが。

『ロッジすぐそこだけど乗せて来いってますたーが!』
「そうなの?ありゃ、そういえばゼルがいないや」

雪遊びに夢中だったため、ゼルと龍卉がいなくなっていることに全く気が付かなかった。いつのまにロッジまで行ったんだろう。わからないが、きっと早々に見切りをつけてロッジに向かったのだろうということは予想できた。
全員をボールに戻して龍卉の背に再びまたがる。なるべく低空をゆっくり飛んでくれているのだろうが、それでも空気抵抗から巻き起こる風はライラの身体を容赦なく突き刺す。ガタガタと歯が鳴り出した頃――といっても大した時間飛んでいたわけではない――丸太小屋が白い景色の中にぽつぽつと出現しだした。そのうちのひとつに吸い寄せられるようにして、龍卉はぐっと高度を下げた。雪除けのために一段高くなっているロッジのポーチに、身体を折りたたむようにして緑龍は着地した。器用なものだ。

寒さで震える身体を抱いて、ほぼ体当たりのようにして中へ突っ込んだライラを迎えたのは、桁違いの温かさだった。眼鏡をかけていたら確実に視界がホワイトアウトしていただろう。じんわりと部屋の熱が皮膚から、取り込む空気から、入り込んできて身体中に温もりをもたらす。ぱちぱちと小さくはぜる暖炉には、ごうごうと火が燃え盛っていて、この部屋の熱を生み出していた。ブーツの雪を払い落として踏みしめた厚みのある絨毯からですら、温度を分け与えてもらえたような錯覚を覚える。腰についた冷たいボールを放れば、さっそく麗音が暖炉に貼りついた。

「うひャ、楽しかったみてェだな!」

がちゃり、奥のドアが開いて、にいっと尖った歯をむき出しにして笑う黎夜が姿を見せた。いつも身に着けている重たそうな色のコートを脱いでいるあたり、このロッジは相当温められているらしい。かじかんでいるライラたちの身体にとっては、単なる「温かい」としてだけでしかとらえられないが。
彼の後ろからひょこりと顔を覗かせたのは時雨だった。冷たくすべらかな、ひとつに結われた髪が揺れる。相変わらずの無表情だったが、ライラが久しぶり、と言うとわずかに目尻が下がった。

「湯を張ってある。風呂に入ると良い」
「お風呂!やった、時雨ありがとう!」

風呂という単語を聞いて、誰しもが目を輝かせた。
感動のあまり時雨に抱き着こうとしたライラのマフラーを、瑞稀がとっさに掴む。びしょ濡れのまま抱き着くのはいただけないという判断だった。その判断は正しかった。いや、判断しか正しくなかったと言うべきか。ぐえ、と未確認生命体がつぶれたような音を出し、突進を強制的にやめさせられた主を見て、彼女は慌てた。

「すっ、すみませんご主人!」
「だいじょうぶ、だいじょう、ぶ、だ、よ」

あまり大丈夫そうではない声音で、途切れ途切れにそう返しライラは固く引き結ばれたマフラーを解いた。風呂の順番をどうするかという話になり、まずもって泰奈と、人間であるライラが優先された。締まった首をさすりながらもう一度時雨にお礼を言って、ライラは瑞稀の手を引く。

「順番待ってたら遅くなっちゃうからね、一緒に入ってあったまろ!」

もう片方の手で泰奈と雷瑠を手招いて、時雨が示したドアへと向かう。結局女性陣はまとめて入ることにして、ひらひらと手を振る黎夜に見送られたのだった。

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