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ぽたり。汗をかいた瓶から、雫がひとつ、乾いた地面に落ちた。

衰えることを知らない太陽光線を避けるべく、木陰のベンチに腰掛け、上を向く。やわらかい木漏れ日は、それでも自分には少しまぶしかった。自販機で買ったばかりのミックスオレを喉に流しこめば、甘さが口いっぱいに広がる。さっき買ったというのに瓶の外側はすっかり結露しきっている。今日はいつにもまして暑い日のようだ。


ホウエン地方は暖かい。いや、むしろ、暑いくらいだ。その暑さを自分はもう十分に知っているし、好んでさえもいる。この地方で、自分は彼女たちと出逢えたのだから。
しかしその一方で、時折、身を切るような凍てつく寒さに焦がれる自分がいる。この気持ちは、どこから湧き上がってくるのだろう。傍らに置いていた飲みかけのミックスオレを、横目で見やる。まだ冷たいそれは、瓶が木漏れ日を反射してきらきらと白く、涼しげに光っていた。



白い雪、冷たい風、険しい山々、駆け抜けて、逃げて、逃げて、逃げる…何から?
湧き上がる激情、唸る鎌、ツンとした、妙に生温かく鉄臭いモノ…一体これは、…?


「……ッ!」


つい先ほどまで開いていたはずの目を、思い切り開いた。視界に鮮やかな新緑と、相変わらずまぶしい木漏れ日が飛び込んできて、微睡んでいたのかと思い至る。深緑をたたえた右眼が、じんわりと熱を帯びていた。

どのくらいの間、うとうとと眠ってしまっていたのだろうか。熱を持った緑眼に手をあてて、うつむいていると、赤い瞳が視界の端に、自分のそれではない影が動くのをとらえた。


「あれー、なーにしてるの?」


無邪気に響く、まだ幼さを残した声と、軽い足音。
薄暗い木陰で、妙に毒々しい右眼が印象に残った。


「龍卉か…黎夜たちも来とると?」
「うーうん。ボクだけ任務。そー言うアンタらは、自由解散なカンジ?」


まあ、とうなずき、少しベンチの端にずれると、若葉色の髪をさらりとゆらして、おっじゃまっしまーすと、龍卉が隣に座った。地面に届かない足をぶらぶらさせつつ、半分も残っていないミックスオレを見て、いいな、とこぼす彼は、声も仕草も、見た目相応の無邪気な子供そのものなのに、どこか瞳に陰りがある。ポケモンの擬人化が、実年齢や進化しているかそうでないかに、密接に関係しているわけではないから、仕方のないことだ、ということではなさそうだった。

何を話すでもなく、ぼんやりと龍卉のよく動く足をながめる。時々つま先が地面を掠めて、表面の乾いた砂を、少し先まで散らしていく。


「右眼、疼くんだ?」


おんなじだ、と少しはしゃいだような声音の中には、苦しみと恐怖が染みついていた。
唐突に図星を指された驚きにより、言葉に詰まったがために招いた沈黙を、彼は肯定と捉えた。再びかわいらしい八重歯が口からのぞく。


ボクもね、疼くよ。全身が疼いて、熱くて、うなされる。」


そう言って幼き砂漠の精霊は、望んでもいないのに刻み込まれた頬の模様に触れた。その指先は、かすかに震えていた。目線は、地面にわずかに届かない高さで静かにそろえられた、己の両足。彼は、自分の過去を知っているような言動をしていたことがあって、事実、そうなのだろう。
しかし、過去を教えてくれるようなことはなかった。同じ経験をしているはずの、彼と自分。どちらが得をしているというわけでもないのに、なんとなく、不平等だと思った。


「眠れなくて、モモンの実とか、毒消しとか、手当たり次第にそーいうの摂らないとダメなの。おさまんない。」


そこでふと、自分のつま先からおもむろに視線を外した彼は、赤と紫のちぐはぐな瞳で、自分の赤と緑のちぐはぐな瞳をまっすぐにとらえた。


「だからさ、買ってよ。」


そういって示された指先を目で追ってたどりついたのは、公園の端に鎮座していた、ひとつの屋台。


「…アイス?」


思考回路が追い付かなくて、ついつい間の抜けた切り返しをしてしまった。今までの会話の流れからして、理解できない飛躍の仕方をしたものだ、と拍子抜けはするものの、それは龍卉の思う壺だったのか、彼はケタケタと笑っていた。いたずらが成功した子供の笑みだった。


「ヒウンアイス!一週間限定でイッシュから出張してくれてんの!だからわざわざ買いに来たら、アンタがいたっていうか?」
「…さっき、任務って、」
「それもあるけど、もう終わらせたし?いいじゃん、オシゴトしたごほーび買ってよー」


アイスをねだるずる賢い笑みにも、子供特有の無邪気さが含まれていて、さっきまでのあの濁った瞳は一体何だったのか、本当にあんな瞳で自分を見ていたのか、それとも暑さにやられてしまったがゆえの錯覚だったのか。

何だか考えることすらもはやどうでもよくなってきて。考え込んでしまうと徒労しか居残ってくれないような気がして。はあ、とひとつため息をついた。
そして、ミックスオレもぬるくなったことだし、と、ついついアイスをふたつ、購入してしまうのだった。


カップのふたを開けて、真っ白な雪を彷彿とさせるなめらかなアイスが顔をのぞかせたが、もう身体が雪を、冷たさを、懐かしんで焦がれることはなかった。

ただ純粋に、美味しそうだと思った。

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