4−2

どこか抜け殻になってしまったように、淡々と仕事をこなす毎日。前から変わらない日常のはずなのに、そんな自分を客観的に見ているもう一人の自分が、空虚だなあと囁く。

表面上は努めて普段通りにしているつもりだから、店長さんは何も言ってこない。もしかしたら、とっくに気付いているのかもしれないけれど。
いつも飲んでいる紅茶のストックを切らして3日立つのに、どうにも買いに行く気になれない。いつの間にか、ひとりで飲むと、紅茶の味がしなくなっていた。重症だ。こんなに引きずるなんて思っても見なかった。

冥斗さんはわたしの所へ来るのが面倒臭くなってしまったんだろう。単に利害関係が一致しただけの関係なのに、私が「寂しい」だなんて言ってしまったから。泣いて、びっくりさせてしまったから、余計に嫌になってしまったかもしれない。

もう来ないと言われてしまうと、私にはどうしようもないのだ。彼らがどういうところを住処にしているのか、どんなところによく出かけているのか。私は何も知らない。ないものだらけ。

だから、勤務後に帰宅して、ドアを開けた瞬間、私は膝の力が抜けてしまった。

「居ても立っても居られなかったのね!あらあら、ほら、立って!」
「なん、どうし、て?」

鮮やかでやわらかい、紫のツインテール。ふわりと微かに香る、甘い女の子の香り。すり抜けたのだろう、ドアの向こう側で、燐架ちゃんがわたしを待っていた。

「ドアをすり抜けたのね!あ、何も悪いことしてない、してないのね!ユウを待ってただけ!なのね!」
「うん、うん、」

答えて欲しいのはそこじゃなかったけれど、とりあえず彼女の手を借りて立ち上がる。涙がぼろぼろとあふれてきて、彼女にしがみつきたい気持ちをぐっとこらえて、……でも、こらえきれなかった。大きく彼女の名を呼んで、私は燐架ちゃんに縋りついて泣いた。

「わ、私、わたし、もう、会えないのかなって思って、それで」
「大丈夫なのね。冥斗も会いたがってるのね」
「え……?」
「まあ、あんなやつ私知らないのね!そんなことより、」

お散歩しましょう。そう言って彼女はわたしの手を引いた。外はすっかり日が暮れていて、とてもお散歩なんて言える状況ではない。けれど、この機会を逃したくはなかった。燐架ちゃんは何か、私に伝えたいことがあるのだ。彼女のランタンのように光る瞳が、優しく私を見つめている。ひとつ、深呼吸して、マフラーをぎゅっと結び直した。


吐く息が街灯に照らされて、ぼんやりと白く浮かんでは消えていく。
この前のギンガ団の件を思い出した途端、身体が強張った。それに気付いた燐架ちゃんが、つないでいた手をやさしく握り直してくれた。それだけで、胸のあたりがほんわかとあたたかくなっていくから不思議だ。ふたりで歩く夜道は、さほど怖くなかった。

夜空の星が、よく見える。ずいぶんと街の中心部から離れた場所のようだ。夜に目が慣れてきたとはいえ、街灯も少ない道の上では、景色がよく見えない。昼間ならば、今どのあたりなのかわかったのかもしれないけれど。泣いたせいではなく、寒さのせいで鼻を啜る。

お散歩と言っても、のんびり当てもなく歩いているようには見えないのだ。燐架ちゃんはわたしの手を引いて、一歩先を歩いている。時折、何かを確認するように手のひらから青白い炎を出している。道を確認しているのか、それとも野生のポケモンを警戒しているのか。どちらにせよ、彼女の歩みに、迷いはなかった。
燐架ちゃんの炎にも驚かなくなってきたころ、思い切って尋ねてみた。

「燐架ちゃん、どこに行くの?」
「んー……職場?」

意外な言葉が彼女の口から漏れ出た。職場。働く場所。冥斗さんは言っていた。燐架ちゃんとは仕事仲間みたいなものだ、と。となると、もしかして。

「あ、でも、きっと冥斗はいないのね」

残念だった?と聞かれて首を横に振る。まだ心の準備ができていない。今会っても、ただ泣いてしまうだけで会話にならないだろう。それに、燐架ちゃんは冥斗が合いたがっていると言っていた気がするけれど、本当だろうか。疑いたくはないし、そのつもりはないのだけれど、不安ともやもやはそう簡単に消えてくれるものじゃない。

いつの間にか舗装された道路を外れ、土の上を歩いていた。時々タイツを吐いた足を、短い丈の草がくすぐっていく。燐架に連れていかれた先は、全く明かりのない場所だった。おかげで、周りに何があるのか全くわからない。真っ暗である以前に、霧が発生しているようで、燐架ちゃんの後ろ姿をみとめるのがやっとだ。

「ユウにとってはさすがに暗いのね……」

そう言って燐架ちゃんは、例の炎を手のひらから出した。それが彼女の手を離れ、ふよふよと意思をもって漂いだす。暗さも相まって、人魂のようだと思ったけれど、燐架ちゃんが出してくれたものだから怖くはない。不気味だ、とは思ってしまったけれど。
燐火は私の目の前で揺れて、青白く足元を照らしてくれた。

「これで大丈夫?」
「うん、ありがとう」

随分と歩きやすくなった。それにしても、燐架ちゃんの手は暖かい。真冬だというのにノースリーブでミニスカートという出で立ちだから、風邪を引かないのだろうかと勝手に心配していたけれど、平気なのだという。冥斗さんは結構しっかり着込んでいるから、タイプの問題なのだろうか。燐架ちゃんは炎タイプも併せ持っているらしいから。

冥斗さん、と名前を出すと同時に顔が浮かんで、一気に気持ちが落ち込んだ。考えちゃだめだ。落ち込むばかりで何も良くなりはしない。
私が冥斗さんの顔を脳内から追い出しているうちに、目的地に到着していたようだ。燐架ちゃんが歩みを止めた。彼女は私の手を離して、一歩前に出る。

くるりと振り返った燐架ちゃんの表情を見たとき、私は言い知れぬ恐怖を感じた。
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