1−1

そこに倒れていたのは何も故意ではない。焼け焦げ、草がない地面にただひとり。満身創痍でわずかに指を動かすのでさえ激痛を伴う。
辺りの野生ポケモンは遠巻きにこちらの様子をうかがっているが、襲いかかって来る気配はない。あれほどのバトルをしたのだから怯えていて当然か。

予想外にてこずってしまった。一人でも十分だと思っていたが、相性が不利だったこともあり相当な苦戦を強いられた。


(応援を呼ぶべきだった)


同僚が出発前に言ってきたことが、今になって痛く突き刺さる。あれは無視すべきではなかった。仕事を終えたはいいものの、これでは自分の命まで終わりそうだ。


(視界が…霞む……)


もともとあまり高くはない体温を雨が奪う。身体の底から冷えるような雨が容赦なく降っている。ぬかるんだ地面に暗い赤色の血がじわりと流れ出ていた。自分の命が流れて消えていくのをただ見ていることしかできない。

最後に見た景色はとてもぼやけていて灰色のベタ塗りとさして変わらなかった。









次に目を開けて真っ先に視界に飛び込んできたのは清潔な白だった。自分は死ななかったらしい。死んでしまったら警告をしたアイツから口うるさく怒られていただろうから、生きているのは幸いなことだ。

カラカラとドアが開き、ピンク色の丸いフォルムのポケモンが近づいてきた。コイツは確か、ラッキーだ。人間がポケモンの傷を治療するための施設によく見られる。
だとするとここはポケモンセンターか。

ここまで思考が回った辺りでラッキーが声をかけてきた。俺をポケモンセンターまで連れてきた奴が会いたがっているらしい。

面倒なことになったが、ヒトに助けられて命拾いしたのは事実だ。まだ僅かに痛む上体を起こしてうなずくと、ラッキーは俺のいる病室を出て行った。

再びラッキーが来るまでの間、俺が考えていたのは、俺がヒトに捕まったかどうか、それがどんなヒトか、ということだった。




「失礼します……」

控え目な音でドアが開き、現れたのは若い女だった。少女というのがしっくりくる。彼女の手にはモンスターボールが握られていた。まだ新品で全く使いこまれていない様子だ。

おどおどとしている少女はラッキーが背後で閉めたドアの音にびくりとした後、まっすぐに青い瞳で俺を見てきた。瞳は潤んでいるし、何かをこらえるかのように眉を八の字にしていて、怖がっているのが丸わかりだ。
負の印象は抱かなかった。敵ではなさそうだ。むしろ今まで見てきたヒトの中では好感触な方か。虚栄心も見栄もない、素直で小さなヒト。


「あ、あの、お怪我は、大丈夫ですか…?」

『…ああ』


言葉を発してから、そういえば伝わらないと気付く。戸惑う彼女にうなずいてみせれば、ほっとしたような小さな溜め息が聞こえてきた。


「ごめんなさい、わたし、あなたが倒れてるの見かけて、それで…」


彼女が言うには、俺は彼女の通勤・帰宅ルートのすぐそばに倒れていたらしい。傷だらけの俺を放ってはおけず、すぐに最寄りのフレンドリーショップでモンスターボールをひとつ買い、ボールに俺をおさめてここまで連れてきたのだという。


「すっごく慌てて、ボールなんか買わずにポケモンセンターに直行してあなたを運んでもらえばって、今更思ったりもして…。ごめんね、だから、あの、」


これ、良かったら好きにしてください。


そう言って彼女はモンスターボールを差し出した。伸ばされた手は震えていて、怯えていた。

明らかにポケモントレーナーではない。

俺が身じろぎすると、少女はびくりと肩を竦ませたが、必死に堪えていた。あえてゆっくり手を伸ばせば、泣きださんばかりに目を潤ませながらもじっと我慢している。


「…こちらの方がいいのか」

「…!」


怯える様子を見るのは割と楽しかったのだが少々の不快感も伴っていた。出来ないこともないので擬人化してみれば、少女は目を見開いて驚いていた。それでも、予想した通り、少女の震えはおさまっていた。そのかわりに顔には疑問しか浮かんでいない。わかりやすくすぐ顔に出ている。

仮にも命の恩人だ。疑問くらい解消させておくとする。


「擬人化を知らないのか?」

「は、はい…ポケモントレーナーでは、ないので」

それは見ればわかる。喉元まで出かかった言葉は飲み込んだ。だがトレーナーでないから知らないというのはおかしい。ポケモンでもヒトの姿をとれる場合があると言えば、彼女はぱちぱちとまばたきをするだけだった。よほど驚いたらしい。


「それで、そのボールを俺に?」

「は、はいっ!どうぞ」

「……いや、」

「…?」


彼女が持っていた方がいい。ふとそんな考えが頭をよぎった。今回は彼女のようなヒトがたまたま助けてくれたからよかったものの、もしこれがポケモントレーナーだったら最悪だ。連れ回されこき使われる可能性もあったのだから。

今ここでモンスターボールを受け取り、壊してしまったのならば、再び野生に帰ることになる。誰に捕まるかわかったものではない。自分の種族が割と珍しいものであるという自覚はあるのだ。通常、野生にはいない種族なのだから。
それに、今の世間の状況は、俺たちにとってあまりよろしくない。


「…お前が持っておけ」

「え!?でも、わたし…」

「持っているだけでいい。俺はお前のポケモンになる気はない。そのボールマーカーがあれば俺は面倒な輩には捕まらないから都合がいい。それだけだ」

「それは、そうですけど…」

ヒトのポケモン盗ったら泥棒。そのルールくらいは知っているようだ。
目に見えて戸惑い、うろたえる少女。たしかにこれでは少女へのメリットが一切無い。俺の都合がいいだけだ。


「見返りに何か望むものは?」

「見返り…?」


予想していなかった言葉だったらしい。首をかしげて彼女はもう一度その言葉をつぶやいた。


「見返りは、いいです。その、わたし…」


ポケモンが、怖くて。

見返りを望まないというのは想定外だったが、ポケモンが怖いというのはさきほどの反応からすでにわかっていた。本音としては俺に関わりたくないのだろう。
それならば見返りが必要ないと言ったのも頷ける。擬人化を知らなかったことにも納得がいく。普段からポケモンとの関わりを避けて暮らしてきたのだろう。


「この姿でもか?」

「…!」


少女が、俺の言葉を聞いてハッと顔を上げた。それから少し、申し訳なさそうにうつむく。さらりと、艶のある長い黒髪がそれにあわせて揺れた。


「えっと、それなら、部屋の模様替えしたいんですけど、家具とか動かすのがどうしても無理で…その、もしよければ、それを手伝ってくださいっ!」


一息で言ってみせた彼女はモンスターボールを握り締めて俺の返事を待っていた。


「わかった」


あまりにも少女の頼みが何というか、無欲そのもので、拍子抜けしてしまう。
了承すれば少女は目を輝かせて、また来ますと言って小走りに部屋から出ていった。ドアを閉める間際に「お大事に」という一言を残して。彼女の軽い足音がドアの向こうで遠ざかって消えていくまで、彼女のくるくると変わる表情が頭を離れなかった。


そういえば、俺は彼女の名前を知らない。
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