3−3
しばらく返事がないことに不安を覚えて、今度はわたしの視線がふらふらと揺れ始めた。もしかして今日はちょっとした気まぐれで立ち寄ってみただけで、家に上がるつもりもなかったのかもしれない。これから予定があるのだとしたら申し訳ないことをしてしまった。
「その、カフェイン無しの茶葉がひとり分にしては少し多いくらいの量だったので……もし時間があればと思って」
言い訳のようにだらだらと言葉を並べて、うまくまとまらずにそのままフェードアウトしてしまいそうだった声を遮るように、一度だけ冥斗さんが首を縦に振った。肯定、でいいんだよね。じゃあお風呂は後回しだ。
蛇口をひねってケトルに水を入れる。ケトルのスイッチを入れたら、食器棚から茶葉を取り出す。
「すみません、あのティーカップを取ってもらえませんか?」
来客用で高い所にあったティーカップ。薄い手袋をした手が、ぎこちなく重なったカップと受け皿を持ち上げ、かちゃりと置いた。
見た目と、そわそわとした動作がミスマッチで少し笑ってしまった。どうかしたかと訊かれても答えられなくて、何でもないですと誤魔化しておく。さほど気にしていなかったのか、冥斗さんはそれ以上何も言ってこなかった。
わたしがポットに茶葉を入れるのを、冥斗さんはじっと見ている。視線を感じながらの作業というものはやりにくい。茶こしを引き出しから出せば、それは何かと訊かれた。
「これで茶葉をこすんです。カップに茶葉が入ってしまわないように」
「……そうか」
感嘆した風な冥斗さんの声、ということにしておこう。もともと抑揚のない話し方をするので、感情の変化が読み取りづらい。けれど、声音の中にそんな雰囲気があると思ったのだ。しかし、それ以上会話が弾むことはなく、沈黙がやって来る。
なんとなく、気まずい。共通の話題がないので何を話せばいいのかよくわからないのは相変わらずだ。……いや、今ならあるではないか。
「燐架さんとはいつからお知り合いなんですか?」
わたしの質問に、少し間をあけてから冥斗さんは返事をした。よくわからない、と。
「多分10年も経っていない。そう長い付き合いではないはずだ。……だが、あいつの方が先に仕事をしていたということは知っている」
「お仕事、ですか?」
野生のポケモンでも、擬人化をしてこっそりと人にまぎれて働くことがある、というのは聞いたことがある。人は昔からポケモンと協力して暮らしてきた。特に、二者の境界線が曖昧であったという神話が残っているこのシンオウ地方において、それは珍しいことではないのだろう。でも実際、わたしがそういった例を目にしたことは今までなかった。いや、気づかなかった、といった方が正しいのかもしれないけれど。
だから、冥斗さんもその類なのだろう。だとしたら、どうして傷だらけで倒れていたのか気になるところではあるけれど……仕事内容に障ることであれば訊くべきではないし、そこまで踏み込んでいい距離感かどうかあやしい。
どうにか会話を繋ごうと口を開けたり閉じたりしていたら、すべてをうやむやにするかのようにケトルが鳴いた。これ幸いとばかりに手を伸ばす。
湯気の立つケトルの中身をポットに注ぎ、蓋をしてからタイマーのスイッチを押す。数分待つだけ、なのだが、この数分というのがまたつらい。
「ああ、そういえば」
何を話そうかと必死に頭を巡らせているときに、ぼそりと冥斗さんがつぶやいた。ふところから取り出したのは、小さな袋。その中には、星屑をぎゅっと集めたような粒たちが閉じ込められていた。白、黄色、桃色。たくさんの色が、キッチンの照明に反射する。
「わあ、こんぺいとうですね……!」
「燐架が買って行けとうるさかった」
夜に甘いものなんて……と思いながらも、食べないなんて選択肢は存在しない。ありがたく受け取ってカップやポットと一緒にお盆に乗せる。わたしがそれを運ぶと、後ろから冥斗さんもついて来ている気配がした。
両手がふさがっているうえに背中まで向けてしまっている相手は、一応ボールマーカーがついているとはいえ、野生のポケモンだ。いきなり首を絞められるかもしれないし、突き飛ばされるかもしれない。
野生のポケモンに無防備な姿をさらしているとなればぞっとしないが、うしろにいるのが冥斗さんだと思えば、恐怖は鳴りを潜めた。
それは、彼のボールの保持者がわたしで、わたしがいなくなれば少々面倒なことになるだろうから、という打算的な思惑を予期したからではない。背中を見せてもいい、と何かをきっかけに判断したわけでもない。
ただ、自然とリビングに向かい、うしろから彼がついてきた、それだけのことなのだ。
怖くなくなった……のだろうか。無意識に順応している自分にびっくりして、お盆をテーブルに置いた辺りになってから意識が追い付き、びくりと肩が揺れた。
「どうかしたのか」
「い、いえ!何でも、ないです……!」
跳ねた肩を落ち着かせるように、短く息を吐いた。まさか、いつの間にかあなたを怖いと思わなくなっていたようです、だなんて言えない。今まで怖いと思っていたこと自体が失礼に値するというのに。
無表情の中に浮かぶ怪訝そうな雰囲気が消え去ることはなかったけれど、冥斗さんはそれっきり口をつぐんだ。
沈黙の処理に困る。この空気を堅苦しいと思っているのは、わたしだけだろうか。……とにもかくにも、今回冥斗さんを誘ったのはわたしで、その目的はお茶の淹れ方を教えることだという事実には変わりがない。
重ねていたカップをテーブルに置く手が、要らぬ緊張で震えていたけれど、気付かないふりをした。どうしてこうも、動きづらい気がするのだろう。
畳み掛けるようにタイマーが鋭い音を立てて、またわたしの肩は跳ねてしまうのであった。
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