2−3

ドアが開く音がして、いらっしゃいませ、と声をかける。
飲食店のように忙しい時間帯があるようなお店ではないけれど、やることはたくさんある。
商品ひとつひとつはデリケートなものが多く、かつ美しさ重視のため、毎日きれいにお手入れをしなければならない。小さく数が多いので、はじめのころは慣れない作業でよく肩が凝っていた。今でも、仕事終わりには両肩に重りを乗せられているような気になってしまう。

「何かお探しですか?」

ふと手入れの手を休めて顔を上げると、わたしとそう変わらないくらいの歳の女の子が、きょろきょろと店内を見回していた。見ない顔なので、常連さんではないことは明らかだ。
基本的にはお客さんに自由に見てもらう形にしていて、向こうから声をかけて探しているものを訪ねてくる場合が多いのだが、気になってしまったのだから仕方ない。
お店には今、わたししかいない。店長さんは仕入れ業者さんの方に赴いている。

「ここは、何のお店なのね?」

きょとりと首をかしげた少女の髪が揺れる。ふんわりとした巻き髪が可愛らしい。
どうやら彼女は、よくわからないままお店に入ってきたようだ。石のお店ですよ、と言うと、少女はまた首をひねった。それから、闇の石がないと言う。

「闇の石、ですか?」
「水の石も、めざめ石もないのね…」

何のことを言っているのだろうと思ったが、記憶の端に引っかかるものがあった。
確か、ある種のポケモンの進化にはアイテムが必要で、闇の石だとか、そういった特殊な石もそういったアイテムのうちのひとつだった、ような。

「ここは、そういった石ではなくて、アクセサリーやお守りになる石を扱っています」
「うーん、宝石なのね?」
「はい、そんな感じです」

宝石よりもずっと簡単に手の届くものばかりだが、とりあえず彼女に伝えたいことは大体伝わったらしいので、よしとしよう。
ごゆっくりどうぞ、と言い残してから、止めていた手を動かす。はたきで軽く埃を落としてから布巾で棚を拭く。毎日こまめにやっているから、それほど汚れてはいないけれど、だからといって放っておけば、塵も積もれば何とやら、だ。

女の子は出ていく気配がないので、店内の商品を色々と見てまわっているのだろう。先ほどまでこつこつと鳴っていた靴音が止んでいた。気になって女の子がいたであろう場所を見てみたが、そこには誰もいなかった。

「あれ?」

このお店はとてもこじんまりとしていて、隠れられそうな場所などどこにもない。今度はわたしがきょろきょろする番だった。でも、彼女の姿はどこにもない。
お客さんは、道路に面しているドアからしか出入りできない。しかも、そのドアにはベルが取り付けられていて、ドアが開く度にころろん、とやわらかい音を奏でるのだ。わたしはこの音が結構好きだったりする。……って、そんなこと考えている場合じゃない。女の子は、どこに行ってしまったんだろう?

暖房がきいているはずなのに、少しだけ、背筋に寒気が走った。
ううん、きっと、わたしがドアの開閉に気付かなかっただけなんだ。一瞬、ひやっとした考えが頭に浮かんだけれど、首を振ってそれを振り払う。霧散した考えの名残すらも纏っていたくなくて、大して積もってもいない埃と一緒にはたきおとした。



「ただいま、ユウちゃん」
『ただいま!』
「おかえりなさい、店長さん。メレシーさんも、おかえりなさい」

岩の塊から顔を少しだけ覗かせたような容姿に、くりくりとしたつぶらな瞳。額の石は、ほうせきポケモンというだけあって、ピカピカに輝いている。はじめのうちはメレシーちゃんだと思っていたのだけれど、ちゃん付けするたびに複雑そうな顔をするので、メレシーさん、と呼んでいる。わたしの膝下くらいの大きさのメレシーさんは、こつ、と跳ねて『メレメレ』と鳴いている。きっと、ただいま、と言ってくれているのだ。おかえりなさいと言うと嬉しそうに再び飛び跳ねていたので、多分合っている。
言葉は通じなくても、伝えたいことは伝わる。このお店で働き始めてから、それが何となく理解できるような気がした。

「何か変わったことはあった?」
「え…っと、」

荷物をレジの奥の棚に置きながら、店長さんが尋ねてくる。先ほど忽然と消えてしまった少女のことを話すべきかどうか、思い悩んだ。しかし、あの少女を疑うようで悪いが、このお店には監視カメラが取り付けられていない。ドアにセンサーがあるけれど、気づかれないままお店の外に出られてしまったから、もしも、と言うことが考えられなくもない。
逡巡した後、わたしはさっき体験したことを、包み隠さず話した。

「あらあら、不思議なこともあるものねえ…」

大して危機感も抱かずに、頬に手を当てて店長さんは微笑んだ。物腰柔らかな女性で、そのおおらかで優しい人柄に、わたしはひそかに憧れていたりする。常連さんの中にも、店長さんとお話することを楽しみにいらっしゃる方が少なくないのだ。

とりあえず商品に異常がないかを、掃除を続けがてら確かめていくことにして、店長さんとメレシーさん、わたしで小さなお店を隈なく見てまわる。

「異常はなかったみたいね」
「すみません、お手を煩わせてしまって…」
「気にしないでちょうだい。そうあることでもないでしょうし」

確かに、あんな体験はめったにすることじゃない。今だって、もしかして夢だったんじゃないかと思っているくらいだ。
お店の商品には何の影響もないからよしとするけれど、わたしの胸の中にある罪悪感は消えない。



落ち込んでいるわたしに、店長さんが、店仕舞いの準備をしながら声をかけてきた。

「次からは気を付けようって、思ってるの?」
「は、はい…」
「どうやって?」

返す言葉が見つからない。今日だって、特別慢心していたわけではないのだから。掃除をしていても、視界の端に、よく揺れる彼女の髪の毛は映っていた。消えてしまう直前まで。気をつけようがないことは、明白だった。
言葉に詰まったわたしの反応は見透かされていたようで、店長さんは優しく私の肩に手を乗せた。とても暖かくて、それだけで全部許してもらえたような気がして、泣きそうになった。その気持ちを、足元にそっと寄り添ってきたメレシーさんに後押しされてしまって、唇をかみしめた。泣いちゃだめだ。

「あなたの知らない不思議なことが、この世界にはたくさんあるわ。その子、本当に人間だったの?」
「あ……!」

ふと、脳裏にこの前出会ったヨノワールさんの姿が浮かんだ。彼は、人間の姿にもなれた。もしかすると、ゴーストタイプのポケモンなら、壁をすり抜けられたかも。
店長さんは「そういうことかもしれないわよ」といって、ぱちりと店内の電気を消した。少しだけ滲んだ涙を指で掬い取って、裏口から外に出た。ぶるり、と強烈な寒さで身体中が震えたけれど、いつもより寒くない気がした。
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