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ぴたりと冥斗の足が止まったのを見て、炎と同じ色をしたツインテールを揺らし、燐架は目を爛々と輝かせた。彼女はギラティナの言うところの「面白い」話に見事に食いついたのだ。してやったりとほくそ笑む泉の主を、冥斗は殴りたくなった。
それ以前にまず殴るべきは、ほいほいといともたやすく人間についていった過去の自分だろうが。


「泉雅、ホントに冥斗の話は面白いのね?」
「ほっほ!大層面白かったえ?」


勝手に膨らんでいく話を黙って見ているしかない冥斗は、ここに来て何度目かわからないため息をつく。怒りの感情は呆れにすり替えられていて、もう睨む気にもならない。
丈の短い藍色のスカートがひらひらと翻り、軽い足取りの燐架が楽しそうにこぶしを握る。スキップでもしかねない勢いだ。


「わーい!って、せ、せんがー!どうせならその時に呼んでほしかったのね……」


テンションが上がったかと思えば急にしゅんとした燐架。心なしかツインテールもしゅんと萎れたように見えた。
しかし、彼女を呼ぶときというのは限られていると、この場の誰もが知っていた。彼女は彼の地の塔の守護者。魂が心安らかに黄泉まで旅立てるように、見守る者。泉雅に選ばれし、タワーオブヘブンの番人だった。

おいそれと役目を放棄してタワーオブヘブンを離れることは、許されない立場なのだ。そんな彼女が頻繁に訪れる、数少ない場所がここ、破れた世界だった。彼女はこことタワーオブヘブンの往来に、時間のほとんどを費やしていると言っても過言ではない。ある程度集まった魂を、ここへ来て泉雅へと託すのだ。黄泉へ旅立ち、再び生を享ける魂たちを案内するというのが、彼女の仕事だった。

冥斗の役目も同じようなものだ。死者の魂はときに、この世に未練を残す。自分が死んでしまったことを知らない魂もいる。それらの浮遊しさまよっている魂を集めて、破れた世界まで運ぶのが、彼の役目であった。

彼らは泉雅から特別な力を授かり、魂を扱う権利を得る。ときにしつこく生に執着する魂を鎮め、怨嗟を断ち切る力が必要とされるこの仕事は、黄泉の主から与えられる力が瞳に宿ることで可能となる。
彼ら、黄泉へと魂をいざなう者たちは、それ故に死神と呼ばれ、黄泉の力が込められた瞳は、“死神の眼”と言われた。


「面白い話など何一つとしてない」
「う、うそだー!してよね!私、わざわざ来たのにね!土産話もないなんてイヤなのね!」


彼らとて、普通のポケモンたちと何ら変わりはしない。泣き、笑い、精一杯生きて、そして死ぬ。ひとつの命なのだ。

同じ景色ばかり見ていればいずれルーチンワークのように飽きがきてしまう。憤慨する燐架は泉雅を見る。同意を求めるその視線に、また泉雅はくつりと笑った。


「ほれ、燐架。そやつから甘い香りがするじゃろう」
「うん?どれどれ…わ、ホントなのね!これが面白い話?お花畑?」


無表情な冥斗に臆することなく近づいて、すんすんと燐架は鼻から空気を吸い込んだ。そうして、ぱっと顔をほころばせるあたり、彼女も女の子だ。甘い香りは、泉雅にも燐架にも、同じ発想を抱かせた。


「うーん、でも、何か違うのね……?」


普通の人間が匂っても気づきにくいだろうが、彼らは人の姿をしているとはいえポケモン。人間よりもずっと五感が鋭い。だから、泉雅と同じように、燐架も考えを改めて、首をひねった。お花畑という答えではないと気付いたはいいが、その先の正解が導き出せずにいるのだ。


「…紅茶と菓子だ」
「わー!いいな、冥斗、いいな!お茶とお菓子だったのね!」


純粋にうらやましがる燐架の反応は、泉雅に比べれば裏表がなく素直であるのに、それすらも今の冥斗にとっては煩わしいものでしかなかった。
いつ、どこで、どうして、そういうことになったのか。普段人間とかかわりのない野生のポケモンとして生きているからこそ、お茶と菓子という言葉が彼の口から出てくるのはおかしいと、燐架はすぐに気づくはずだ。
果たして、燐架はすぐさま首をひねったのだった。


「あれ、冥斗、捕まっちゃったのね?人間、好きじゃないって言ってたのにね?」
「今も好きではない」
「なら、何でなのね?」
「成り行きだ」


わからない、といった表情の燐架をそのまま放置して、今度こそ冥斗は踵を返した。彼女がひとりでうんうん悩んでいるうちに居なくなるのが得策だと判断したのだ。
燐架が何か尋ねようと口を開いたときには、もうヨノワールの姿は跡形もなく消えていた。むっとして頬を膨らませる彼女に、それまで黙って様子を見ていた泉雅が口を開いた。


「あやつがこの先どうなるか、見物じゃの」
「人間と仲良くなるのね?」
「かもしれんのう」


それはいいこと、と燐架は両手を合わせて笑う。彼女にとっては人間もポケモンも同じことで、だからこそ冥斗がどうして人間をわざと避けるようにして生きているのかわからない。互いの力を認めてこそおいるものの、考え方は交わらない。燐架は、冥斗がもう少し他の命に歩み寄っていいのでは、と思っていた。これは進歩だ、と思った燐架が、冥斗にお茶菓子を振る舞った人間に興味を抱くのは当然のことで。


「泉雅、冥斗が会ったのは、どんな人なのね?」
「それは余のあずかり知らないことじゃな。お主の目で確かめるがよいぞ」
「あら、泉雅も知らないのね!じゃあ、わかったら泉雅にも教えるのね!」


集めていた魂を泉雅に引き渡してから、ぱっと燐架は姿を消した。どこに向かったか、それは泉雅のあずかり知らぬこと。けれど、大体の予想はついている。捻くれ者のギラティナは、そうするようにと仕向けたのだから。

くつくつと笑った泉雅もまた、大きな影をつくり、ゆったりと己の世界をたゆたい、やがてどこかへと消えたのであった。
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