1−2

倒れていたポケモンをポケモンセンターに連れて行ってから、まるまる3日経過した夕方頃。
再びポケモンセンターに足を運んでみだ。ジョーイさんに完治には3日ほどかかると言われていたからそろそろかな、というわけで。自動ドアを通ってなるべくきょろきょろしないように心掛けつつ、フロントに行く。ジョーイさんはわたしの顔を覚えてくれていたようで、彼のいる部屋に案内してくれた。


「こ、こんにちは…」

『…』


一つしかない赤色の瞳がぎょろりと見つめている。虚ろな瞳が私を映して、ほんのりと光が差したように見えた。思わず後ずさりしそうになるのをぐっとこらえて、後ろ手にドアを閉める。大丈夫、大丈夫。


「ジョーイさんから、もう退院しても大丈夫って聞いたんですけど…その、調子は、どうですか?」


ヨノワールさんは起き上がり、淡く光ったかと思うと擬人化していた。ツンツンとした灰色の髪に、今は二つある鋭い瞳。
目つきがすごく悪いけれど、原型の時よりも幾分か、対峙した時の恐怖感は薄れている。

おもむろにベッドから降りた彼は、そのままわたしの前を素通りしてドアを開けた。

「あっ、あのっ…」

ドアノブの手をかけたまま、振り向いた彼が黙って見下ろしている。とても背が高くて、自然と見上げる形になり、余計に怖かった。そのまま出ていきかねないので声をかけたはいいものの、言葉の続きを考えていなかった。もう行っちゃうのかな。


「行かないのか?」

「へ?…あ、えっと、もしかして…」


部屋の模様替え、手伝ってくれるんですかと、おそるおそる尋ねたところ、ヨノワールは無表情にうなずいて部屋を出た。約束を覚えていてくれたことに、少しだけ心が軽くなった。
本当にいいのかと訊こうとしたときには、彼はすでに部屋を出て無機質に白い廊下を歩き出していた。

おいていかれちゃう。後ろ手にドアを閉めて、彼のあとを追いかける。背の高さも違って、必然的に足の長さも違って、彼の一歩とわたしの一歩じゃ進む距離が違う。ほとんど小走りで彼の隣に並んだ。

受付のジョーイさんにお礼の気持ちを込めて会釈をした。彼女はお大事に、といって小さく手を振ってくれた。
振り返ると、もうヨノワールさんはポケモンセンターの外でこちらを見ていた。

透明な自動ドアを出ると、シンオウ地方特有の冷たい風がわたしの髪を揺らした。内と外の温度差に、自然と身体が震えた。空はどんよりとしていて、灰色の絵の具でベタ塗りされたみたいだった。


「あ、こっちです」


石畳の道を先導して歩く。わたしの歩幅では、彼はかなりゆっくり歩かなければならないはず。身体を温めたいのもあって、なるべく早歩きで慣れ親しんだ道を進んだ。

案の定、ヨノワールさんは平然とついて来る。こうもコンパスが違うのって不平等だと思うの。わたしのため息は白くなって冷たい空気に融けた。


慣れない速いペースで歩いたせいで、すぐに息が切れた。白い吐息が頻繁に出るようになったのを見たヨノワールさんは、不思議そうな顔で見下ろしている。

立ち止まって呼吸を整えることにしよう。喉の奥がぴったり貼り付いてうまくしゃべれない。手で「待った」のポーズをすると、彼は黙ってうなずいた。
肩が上下しなくなった頃に、口の中の唾をありったけかき集めて飲み込んだ。


「す、すいません…。ゆっくり行っても、いいですか?」

「急いでいたのか?」


意外そうにそう言われて、わたしはがっくりと項垂れた。そりゃそうだ。彼にとってわたしの急ぎ足なんて、速くもなんともないのだ。

生まれ持ったものだからとは思うけれど、気がめいるのも仕方ない。背の高い男の人と一緒に歩くのが、こんなに疲れることだなんて。普段そういった機会がないから、新鮮だといえなくもない。


「コンパスは変えられないですよね…」

「…?」

「え、いや、何でもないです」


さっきからわたし、ヨノワールさんに怪訝な顔させてばっかりだ。
ごまかすために笑顔を貼りつけて話題転換を図る。うまく笑えているかな。何を話したらいいかと思考を巡らせていると、折よく見慣れた建物が目に入った。

パン屋と美容室の間に挟まれるようにして建っている、小さな雑貨屋。
石畳の街トバリで、石に関連するアクセサリーや小物を中心に扱っている店だ。
わたしはいつも、歩いてそこへ通っている。

店長さんはとても優しい方だ。お店に採用されることが決まって、どこで一人暮らしをしようかと迷っていた時に格安で空き家を貸してくれた。わたしはありがたくそこに住まわせてもらって、お店まで通っている。


「わたし、あのお店で働かせてもらってるんです」


トバリシティの中心街は、ゲームコーナーとかの遊戯施設がたくさんあって、あまり治安が良いとは言えない。でも、この店がある付近は郊外になっていて、そこから先は閑静な住宅街。夜遅くなるとひとりで帰るのはちょっぴり怖いけれど、店長さんはあまり遅くならないように配慮してくれる。本当にいい職場で働けたと思う。


「何の店だ?」

「石を扱ったアクセサリーショップです。ネックレスとか、ブレスレットとか。お守りなんかもあるんですよ」


話を振ったのはいいものの、ヨノワールさんがアクセサリーに興味があるとは思えない…って決めつけちゃうと失礼だけれど、多分そうだと思う。
わたしが買ったモンスターボールに入ったということは、彼は今まで野生だったということだ。街と野生のポケモンが暮らす場所は離れているから、人間の暮らしに近しいものにはあまり詳しくないはず。

でも。目の前の彼は、こうして人の姿を取っている。こうなると人間と同じように服を着ているんだから、おしゃれくらいするかもしれない。


「お守り?」


それは何だ、とヨノワールさんは首をかしげた、まさかそこに食いつくとは思っていなかったわたしは面食らう。お守りという物自体を知らないのかな。


「お守りっていうのは…えーと、わたしのお店だと、お守り石のことになるんだけど。石にはひとつひとつ、意味があるんです」


たとえばオニキス。黒く艶のある石で、黒瑪瑙とも呼ばれている。精神力や意志を強めたい人におすすめ。
たとえば水晶。安定を象徴する、透き通った石。健康や精神の安定を求める人におすすめ。

それぞれに意味が込められていて、望む願いに合わせて石をお守りにする。石は、同じ種類の名前がついていても、すべてに違う顔がある。磨いた人の加減にもよるけれど、それは石が持って生まれた個性だとわたしは思う。


「その石があれば、望みが叶うのか?」

「うーん、どうでしょう…」


お守りなんて効果がない、とは言い切れないけれど、石があればすべての望み叶うとも、もちろん言い切れない。もしそうなら、この世界に不満を抱えて生きている人なんて誰一人としていないに違いないから。

言葉を濁したわたしに、ヨノワールさんはそれ以上何も追求してこなかった。
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