星の仔、帰る

「わわわ、き、キミ、大丈夫?ねえ、」
「ん…」

目を開けると、まぶしい太陽の光が飛び込んできて、思わずもう一度目を閉じた。涙がにじむ。頭がガンガンする。寝転がっているのは、冷たい床の上。それでもテンガン山より暖かくて、日差しが強いから、それに安堵した。帰って、来れたんだ。ママのいるところ、ホウエン地方に。

「ん、…ママ、ママ…?ママ!」

そう、ママはどこだろう?あの眼鏡をかけた、変な笑い方をするお医者さんは?
寝転んでいる場合じゃない。(まだ確証はないけれど)とびきりすごくて腕のいいお医者さんを連れてきたんだから、早くママを治してもらわなきゃ。

起き上がった雛がぐるりと周囲を見渡すと、真っ白な天井に壁、それから自分が座り込んでいる床。冷たい感じがしてあまり好きになれそうにない。暖かい色をしたママの家が懐かしい。

「あ…!」

がたん、と音がした方を見れば、アンネの両親がいすから立ち上がって雛の方へ駆けてくるところだった。

「お父さん、お母さん…?」

泣き疲れたといったふうのアンネの両親が、雛を抱きしめた。2人分の鼻をすする音が聞こえてくるが、雛からでは2人の表情は見えなかった。

「ここ、どこ?ママ、どこ…?」
「ここはおうちの近くの病院。雛ちゃん、あなたのママはこの部屋を出て左の方のお部屋にいるのよ」
「ママ!」

さきほどまでの疲れも身体のだるさも、すべて吹き飛んだ雛は、弾丸のように部屋を飛び出し、“母親”のもとへと駆けた。緑髪の助手がこけつまろびつその後を追う。
左の部屋に飛び込んだ雛を待っていたのは、不気味な笑みを浮かべた医者と、ストレッチャーに寝かされているアンネだった。顔色はほんのりいつもよりは白んでいるが、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。

「ギヒヒヒヒ!キミがいつマでも寝てイるから、待ちくたびレてしまっタよ!!」
「ママっ!」

一直線に走り寄って、耳元で何度も呼びかける。肩もゆさぶってみると、ようやくアンネの瞳がうっすらと雛の姿を映し出した。口の形だけで、“我が子”の名前を呼ぶ。もう一度。今度は、声が出た。

「え…?」
「ママ、ぼく、ぼくだよママ!」

ふらふらとしながらも上体を起こし、ぼんやりした状態の愛しい“母親”の姿を見て、雛の目からとめどなく涙があふれてきた。ぱっちり。星色の瞳が、星の仔をとらえた。

「…スゥちゃん!!ばかばか!ありがとう!ばかっ!!」
「ママあああ!」

ギュッと抱き合う。互いの温もりを確かめるかのように、強く。苦しいよ、と言われても、雛がしがみついたその手を離すことはなかった。改めてもう一度腕に力を込めてから、ぱっと雛はアンネから離れた。

「ギヒヒ…。ではデは手術を始めようカね!」
「あ、お、お願いします!」

いつのまにか後ろにいた両親と一緒に、深々と頭を下げる。名残惜しげに視線を交わし、雛は両親に肩を抱かれてアンネを見送った。ストレッチャーに寝かせられた“母親”が、手術室に医者と共に消えるのと同時に、雛の肩から力が抜けた。がっくりと膝をつく。立ち上がろうとするも、膝がわらってうまく力が入らない。

「あ、」

アンネの父親が、そんな雛を抱き上げて、ソファに座らせてくれた。優しく頭をなでるその手は、“母親”のそれよりも温かくてたくましく、安心できる温もりだった。

「ありがとう」

両親は深々とあたまを下げる。うろたえる雛に、両親はこの七日間の出来事を話して聞かせてくれた。
本ばかり読んで、積極的に行動しようとしたことのなかった、どこか冷めた少女。それが、雛に出会う前のアンネだった。雛が降ってきた時に“母親”になると言った時、不安もありながらも、そんな我が子の成長がすごく嬉しかったこと。七日間の命を、精一杯生きようとしてくれたこと。雛がいたから、アンネは好き嫌いを治そうとしたし、喧嘩も、仲直りもできるようになったこと。…もっと生きたいと思ってくれたこと。そして、それに応えられなかった自分たちを不甲斐なく思っていること。

それでも、雛が希望の光を灯してくれたこと。


「昨日、アンネが大騒ぎしたの。ほとんど歩けもしない身体で、『スゥちゃんがいない』って。あの子の部屋に入って、マップの破れたページを見たとき、まさかって思ったの」

SBL研究所は普通、大金を積まれても依頼を受けない。利益を目的として運営しているのではなく、単純な“好奇心”が原動力となって研究を行っているところ。一般人など門前払いなのだ。そこの所長を、雛はたった一日で連れてきた。

雛がシダケタウンの病院に医者たちを連れてテレポートしてすぐ、医者とその助手からコンタクトがあったのだという。「あなたがたのお子さんの病気を治しましょう」と。雛がいなくなったショックで病気なんてどうでもいい、と言っていたアンネだが、その医者を探し出して連れてきたのが雛だとわかるやいなや、顔を輝かせたのだという。

「雛ちゃん、君はアンネを助けてくれた。お医者さんによるとね、アンネの病気は治せるそうだよ」

すすけた顔をハッとあげた雛。見ると、両親が泣いていた。

「昨日は責めたりして、ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい。それから、」

ありがとう、ありがとう、と何度も何度繰り返しながら鼻をすする両親を見て、雛はただうん、とうなずくだけだった。いや、うなずくのが、やっとだった。

…ママ、治るんだ……よかった…。

安堵した雛は、今度こそ深い眠りに落ちた。夢は見なかった。もう半分は、叶ったようなものだったからかもしれない。






「うん…?」

ふと、目が覚めた。
窓から入ってくる風は、穏やかで優しい。太陽はもう帰ったようで、月が煌々としている。ソファに寝かされていた身体を起こした拍子に、ふかふかのブランケットがずり落ちた。ずきずきと痛む身体には、いたるところに湿布やガーゼが張られている。

「あら、起きたの?」
「ママは…?」
「まだ、手術中よ」
「今日中に、終わるかなあ…」

手術中と表示されているランプを、雛は恨めしげに見つめた。
そう。今日中に手術が終わり、アンネの意識が戻らなければ、アンネは願い事を叶えられない。雛が、消えてしまうのだ。その不安が胸いっぱいに広がる。

「大丈夫よ」
「おかあ、さん…」
「アンネは、あなたのママでしょう?強いわ」

手術くらい、さっさと片付けちゃうわよ。部屋の片づけは、苦手なのにね。
気丈にふるまう母親を見て、雛はにっこりほほ笑んだ。どれくらいの間、自分が寝ていたかは知らないが、ママのことだ、すぐにでも出てくるに違いない、と。



果たしてそれは合っていた。落ち着きなく廊下を右往左往していた父親が、ぱたりと足を止めた。父親の視線の先では、手術中のランプが消えている。終わったようだ。

ほどなくしてドアが開き、医者とその助手、それから数人の看護師らしき人たちに囲まれて、アンネが運ばれてきた。


「ママっ!!」


飛びつこうとするもひとりの看護師に抑えられ、一緒に手術前にいた部屋に連れていかれた。あとから泣き出しそうなのをこらえた両親もついてくる。
はやくはやく。はやく、ママの顔が見たい。もう大丈夫って、言ってほしい。願い事、一緒に叶えたい。背伸びして覗き見たアンネの顔は、少し青白かったものの、落ち着いているように見えた。

「ギヒ、手術は終わっタからね、ごゆっくリどうぞ…といってモ絶対安静だカらね!10分だけキミに譲ロう!!」
「ありがとう!」

ぞろぞろと医者に連れられて看護師たちが部屋をあとにする。残されたのは、寝かされているアンネと、雛、それからアンネの両親だけだった。

「じゃあ、私たちも行くから…」
「え?」

親ならば一番心配して、一番子供の顔を見たいと思うのではないのか。怪訝そうに見上げる雛の背中を押して、両親は気丈に笑った。無理の色も混じってはいるが、それでも、幸せのにじむ笑い方だった。

「目覚めたときにあなたがいなかったら、きっとアンネは怒るわ」
「親は子供の心配をする。けれどな、雛ちゃん。それ以上に、子供の幸せを願うんだ」

そして、アンネを今ここで幸せにしてやるためには、雛が目覚めたときに側にいることだ、と。一緒にいようという願い事を、無事に叶えてやることだ、と。

元気にうなずいた雛の肩をやさしくたたいてから、2人も部屋から出ていった。ドアがパタン、と閉じられるが早いか、雛は愛おしい“母親”に駆け寄り、声をかけた。


「ママ、ママ、起きて!ママっ!!」


アンネの身体を揺さぶって起こしたい情動にかられたが、そんなことをしたら負担がかかってしまうことはわきまえていた。声をかけるしか方法がない。けれども急がなければ。身体が、そろそろ千年の長い長い眠りにつく時だと告げている。

「ママ!ママってば!!起きてよ!!」


ぱち。

星が瞬くように、瞳が煌めいた。

「スゥ、ちゃん…?」
「そうだよ!手術、終わったよ!!」

ストレッチャーにしがみつくようにしてつかまっている雛の手を、アンネの手が、弱弱しく握った。そのときだった。雛の身体が淡い光に包まれたのだ。スッと雛が静かに瞳を閉じた。

「スゥちゃん……?」

次に開かれた雛の瞳には、決然とした光が宿っていた。人の子をママ、ママ、と呼び慕う雛鳥ではなく、どこか神々しい、強い光だった。

「もう一回、訊くね。あなたの願い事は、なあに?…ママ。お願い事…言って?』

本来の姿に戻った雛の、三つの短冊のようなものが煌めき、七色の光を発した。たなびくカナリア色のベールと、身体全体を包む細かな光の粒子は、さながら夜空にたなびく天の川。
腹部の切れ込みが開いたかと思うとぎょろりとした眼がアンネをとらえた。その眼も、雛の双眸と同じ、優しい夜空の色だった。

『一緒に、叶えよう?』
「うん…!」

3つの瞳に見つめられ、2つの瞳が決意を灯した。

「『ずっと、一緒に!」』

部屋からあふれだした星の光、そのうちのひときわ神々しい光を放つ一筋が、矢のように夜空を貫いた。それに呼応するかのように星々が瞬き、やがてすべての星の光が舞い降りて、雛とアンネに収斂した。


星々の祝福。
願いは叶えられた。


ごおん、ごおん、と午前零時を告げる鐘が、どこか遠くで響いた。でも、そんなことはいまの2人にとって、願いを叶えた“親子”にとっては、恐れるに足らないことだった。

来週の献立を一緒に考えて、一緒に新しい本をたくさん買ってもらって、ドライブに連れて行ってもらって。何度だって一緒に朝日を見て、日の光を浴びて、月明かりを眺めて、星々を愛でられる。

ずっと、一緒にいられるのだから。




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