ありがとうと、まるであたたかな木漏れ日のような笑顔と木霊す声が頭から離れてくれない。

隣にいるのはずっと自分だと思っていた。たとえこの先、山岳が私と同じ気持ちにならなくとも、思いが通じ合わなくとも、それでも山岳の隣は、私だけのものだと思っていた。少女漫画の読み過ぎだったのかもしれない。幼なじみに恋する報われないヒロインは、けれどエンディングではその幼なじみと手を繋いで幸せそうに笑っていたから。だから私も大丈夫。それが甘えだとか自己満足だなんてのには気が付かなかった、それほどまでに山岳との縁は切れないものだったし、幼なじみという立場を過信しすぎていたのだ、山岳が最優先するのは自分だと思い込んでいたから。

彼女はいとも簡単に、山岳の中で自分という存在を絶対的なものにしてみせた。私が幼なじみとして築き上げてきた関係をゆうに飛び越えて、それはとてもかたく、ちょっとやそっとじゃ崩れない強靭なものだった。彼女の隣でとろけそうに笑ってみせる山岳のあんな笑顔を私は今まで一度だって見たことがない。あれほど恋うた大きな左手は彼女の白くて小さな右手を優しく握り返している。彼女とのデートの日だけはあの遅刻癖だって発揮されないのだ。彼女は、なんてこともなく、山岳の1番になってみせた。それらが意味することに気が付けないほど鈍くはいられなかった。気付きたくなかった、後悔はいつだって後から襲ってくる。

中学3年生の冬、私と山岳は箱根学園を受験した。この選択に迷いはなかったし、入学した今だって後悔なんてしていない。毎日ロードを楽しそうに乗っている山岳、先輩たちと競い合っては喜んだり悔しがったりする山岳、結局高校生になっても治る予感がしない遅刻癖を笑い飛ばして見せる山岳、どれを見てもいきいきしているその表情は、箱根学園に来てよかったとなによりも物語っていた。

彼女は、箱根学園よりも上の進学校に合格した。そして山岳をおいて、ひとりその学校に入学したのだ。

「宮原さん、これからも山岳のことよろしくね」

中学の卒業式の日、泣きじゃくる同級生たちをかき分けてまで彼女は私にそんなことを言ってきた。一瞬にして凍り付いた頭が、けれども沸騰するかと思うくらいに煮え立った。よろしくって、どういう意味?どういうつもり?――だってそれは、私が言うべきセリフじゃないの?幼なじみとして何年も隣にいた私だけが使うことを許される言葉じゃないの?どうしてあなたがそんなにも軽々しく言ってのけるの、どうして、自分のほうが山岳の近くにいると、親しいと、必要とされていると、思っているの?まるでもう家族の一員だと、そんな風に。どうして、どうして。惨めになる。私は山岳にとってこの子を越えることは出来ないのだと思い知らされる。私はあなたの、そういうところがとてつもなく嫌い、憎い。

「ったく、どこにいるのよ…」

卒業式のあと、自分たちのクラスでは近くの公民館で卒業祝いパーティーが予定されていた。参加不参加は自由だけれど、当然のようにほとんどのクラスメイトが出席する予定で、それはもちろん私も山岳も、そして彼女だってそうだった。15時の集合時間までに仲の良かった子たちと駅前に繰り出すもよし、一度家に帰るもよし、後輩たちや恩師たちと別れを惜しむのもよしと、残りの割と自由な時間、けれど泣き声や笑い声が入り混じるその中に山岳の姿は見つからなかった。1ヵ月後には同じ制服を着て同じ学校に通うのだし、きっと幼なじみというこの関係だって変わらない。少し歩けばすぐに真波家にたどり着くのだから特に用事らしい用事はなかったけれど、今この瞬間の山岳を見ておきたかった。山岳がいる風景を切り取っておきたかったのだ。きっと彼女と一緒にいるだろうが、この空間で山岳と最後に少しだけでもいいから話せればそれだけで満足だった。卒業なんて仰々しく言っているが明日からはいつもと変わり映えのしない春休みが始まる、それでもなぜか、今という一瞬がとてつもなく大切なものに思えるのはどうしてだろう。

「山岳はわたしが浮気でもすると思ってるの?だからそんなに不安なの?」
「浮気は、疑ってないよ、名前はそんなこと、絶対にしない」
「じゃあどうして?」
「  …これから、オレの知らない名前を、その他大勢の奴らがオレよりも知っていくっていうのが、堪らなく悔しいんだ」


聞こえてくるふたりの声に足を止めた。ぞくりとなにかが背中を這う。彼女を繋ぎとめようと必死に言葉を紡ぐ山岳の声は、ひどく焦りの滲んだ切羽詰ったものだった。聞いたら鳥肌が立ってしまうような甘い言葉だって、彼女の前ではスムーズに出て来るのだ、その言葉が薄っぺらいものじゃないことは、その声色ですぐに分かってしまう。つい何ヶ月か前まではうるさいのが当たり前だった教室に山岳と彼女の声だけが優しく響く。ドアの外に隠れる座って、賑わう外の雑音をBGMに静まり返った空間に耳を澄ませば、抱きしめられているのか少しだけくぐもったような彼女の声。盗み聞きなんて趣味じゃない、せめて私にもう少しの度胸と無神経さがあれば、このふたりの間にだって割り込んでいくのに。

「電話もラインも毎日するよ、テレビ電話もあるし」
「でも、声は聞けても、姿は見えても、キスはできないし、手だって繋げないじゃん」
「…じゃあ、これから会えなくなる分のキス、今からいっぱいしよう?」


…ほんとうは、分かっていたのだ。私は絶対に少女漫画のヒロインにはなれないし、山岳ありきのハッピーエンドなんて望めない。山岳の隣はあの子のものになってしまった、私はもう、ふたりを後ろから眺めることしか叶わない。山岳への想いは消えないものだ。けれど、ヒロインはいつだって花みたいに可愛いあの子だった。彼女から見た私は山岳に蔓延る雑草だったのかもしれない。汚い感情を剥き出しにする私に対してもふんわりと笑ってみせて、所詮雑草は花には勝てないのだと、何度、痛感させられたことか。

「会いたくなったら会えばいい。会えない距離じゃないし、山岳にはロードがある」

私はきっと、悲しかった。悲しいなんて認めてしまえばそれこそ彼女を越えられる存在にはなれないような気がして、嫌い、憎いだなんて汚い感情で誤魔化して。だってあの子は可愛いから。山岳が夢中になることも、それが引き返せないほど深いものだということも、山岳と私は幼なじみだもの、山岳のことは嫌でも分かってしまうのだ。彼女と離れれば、山岳が私を見てくれるかもしれないと少しだけ期待していた自分がいた。けれど分かってしまった、そんなことは決して有り得ないと、はっきりと。だから余裕がなかった、これ以上彼女に取られまいと、奪われまいと、彼女が知らない山岳との思い出を武器に笑ってみせた。けれどそれはただの独りよがりにすぎなくて、なにも気にしないという風に笑い返す彼女に、空しさだけが積もっていった。彼女はおそらく、私がこんな汚い感情を持っていることを知っている。だからこそ、あんなにも可愛らしく笑ってみせるのだ。山岳が自分の笑顔にでれりと頬を緩めることだって、その山岳の笑顔が私の心に突き刺さることだって、山岳が私に見向きもしないことだって、彼女は誰よりも知っているのだ。そうか、あの言葉は彼女なりの牽制だったのかもしれない。

「すき、すきだよ」
「だいじょうぶ、わたしもだよ、山岳」


どうしてあの子はあんなにも可愛いのだろう。まるで花のようで、私はどうしても敵わなくて、山岳を想う気持ちなら絶対に負けないのに、私は決して花にはなれやしない。これは、羨望という気持ちによく似ている。あぁ、それでもやっぱり、憎くて堪らない。「宮原さん、これからも山岳のことよろしくね」けれど春とは言い難い肌寒い空の下でまるで咲き誇る花のように笑う彼女に対して、私は汚い下心さえも綺麗に抑え込んで、「任せて、」なんて白々しく笑い返してみせたのだ。


花は縊るべく悩ましい





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