寒い寒いと彼女は言った。太陽がちゃんと顔を出しているのにどうしてこんなに寒いんだと口を尖らせて、優しい赤色が編まれたマフラーをこの季節の今日の天気にしては大袈裟にぐるぐると首に巻きながら不貞腐れるから、俺はなぜかそれが面白くてくつくつと喉を鳴らせば、さらにその顔が不機嫌さを増す。馬鹿だなあ、イギリスの天気は気まぐれだから俺を睨んだってなにも変わりはしないのに。

「寒い」

「そうだな」

「寒い」

「暖かくなる魔法、かけてやろうか?」

「抱き締めるとかキスとかそんなんじゃないのでお願いします」

さあおいでというように両腕を広げたら、それを予想していたらしい彼女はちらりとローブから見え隠れする杖へ視線を落としながら紡ぐ。なんだ、バレてたか。

「いちいち唱えるの、めんどくせぇ」

なんて言いながらも取り出した杖を彼女に向けてゆっくりと振る俺は、なんて紳士で優しいんだと彼女に向かって笑ってみたら馬鹿じゃないのと同じように歯をみせて笑い返された。

「秋ってさあ、中途半端に寒いから嫌いなの」

今度はちょっとだけ暑すぎる。こんな風に彼女が不機嫌になる秋の季節が、俺は一番好きだった。





「シリウス、さよなら」

最後に彼女が紡いだ言葉は、俺の顔から笑顔を奪うには十分な威力で。

「好きだった」

だった、なんてまるでそれが過去の話であるかのように彼女のその瞳に浮かんだ涙はもう冷えてきた空気に溶けて消えてしまっていて。好きだった、なんて最後の最後に気持ちを伝えられて、俺はどうしたらいいのか分からくなってしまう。

「貴方がシリウス・ブラック?」

「…何だよ」

「べつにー」

「…何だそれ」

俺達の出会いは、別に強く印象には残るほどのものじゃない。イギリスの魔法界のホグワーツの、そして同じグリフィンドール寮に所属する同級生。大勢のなかの一人。それ以上でもそれ以下でも無く、友達でもなく、それだけ。初めてこの学校に足を踏み入れたとき大広間へと続く大きな扉の前で並ぶ新入生をぐるりと見渡した俺が一瞬だけ視線が絡んだ少女、ただそれだけだった。

「おい」

「ん、なに」

「…別になんでもない」

「ふーん」

プディングを口に運んだ彼女とは、たまたま夕食の席で隣になった。形のいい唇に運ばれるそれを眺めながら、どうしてだか俺は「付き合ってみないか、俺達」なんてとんでもないことを言っていた。どうしてあの場所であの瞬間そんなことを言ったのか、あのとき彼女の返事を待ちながらも俺は自分自身のことなのに不思議に思った。俺の向いに座っていた彼女の親友が口をあんぐり開けて俺と彼女を交互に見て、それからデザートの糖蜜パイを大広間の床に落とした気の抜けた小さな音がやけに鮮明に記憶に残っている。

「付き合う…私とシリウスが?…ん、いいよ」

付き合うという言葉や恋人なんていう関係性に、俺も彼女もあまり関心は無かった。恋人同士?それならたまに同じ時間を空間を共有してみようか。恋人同士、それならそれらしく手を繋いだりキスをしてみたり、体を重ねてみたり、そんなことをしてみようか。良くも悪くもこの学校で目立つ俺と、小さくてちょっとだけ頭が良くて可愛らしい彼女。恋人同士の俺と彼女の間に恋だとかそんな甘い感情が含まれていないことに誰も気付かない。お互いに今までそれなりの経験をしてきたくせに恋愛という未知なものに興味を惹かれて試しに誰かと付き合ってみました、みたいなそんな子供のような馬鹿みたいなノリの俺達。釣り合っていそうで釣り合っていない、そう笑っていた親友のジェームズは微妙にズレてはいるけれど案外勘が鋭いのかもしれない。

「秋って少しだけ嫌い」

「少し?」

「うん、少し」

「嘘つけ」

「…本当は、巨大イカくらい嫌い」

「だろうな」

くつくつと喉を鳴らして笑う秋の日曜日、晴れた日の外。去年の秋は湖の傍に生えていた木の上で昼寝をしていた彼女が、寝ぼけてうった寝返りでそのまま木から落ちてころころと湖まで転がっていったなんて珍事件があった。そして派手な音を立てて湖に落ちた彼女は俺が魔法で助けるまでの数秒間、ぶくぶくと酸素を吐き出しながら、湖の中で静かに泳ぐ巨大イカに襲われないかと漂うその大きな影に怯えていたらしい。泳げないなんて、このときに知った。

「泳げなくたっていいもん。生きていける」

「俺が助けなきゃ今頃あいつの腹のなかだ」

「うるさい」

キスをひとつ、唇を尖らせて不機嫌さをアピールする彼女に。むう、と頬が膨らんで可愛らしいと柄でも無いことを考える。そういやリーマスが言っていたな。あんなに恋愛に無頓着で女を取っ替え引っ替えしていた俺が、たった一人の少女をこんなに大切にするなんて、と。

「リーマスが、俺は変わったって」

「私もリリーに同じこと言われた」

まるで、生きていることが幸せだというように笑うようになったって。

「下手な愛想笑いじゃなくて、ちゃあんと笑えるようになったねって」

「俺も、少しは真面目に生きるようになったんじゃないかってさ」

「可笑しいね。私達、いつだって真面目に生きてるし、下手な愛想笑いなんてしたことないのに」

「笑った顔が不細工ってことだろ」

「ばーか」

くすくす笑う彼女が好きだった。そう、好きだった。今思えば、きっと俺は彼女に恋をしていた。あの日大勢のなかで視線が絡まった彼女の瞳が、あの日プディングを美味しいとも美味しくないともどちらにも取れない表情で口に運んでいた彼女のその唇も、親友に愛想笑いと指摘されるその下手くそな笑顔もぜんぶ、全部。

「好きだった、なんて今さら言うんじゃねぇよ」

「だったらいつ言えばいいの」

「好きになった瞬間」

「そんなの分かんないよ」

「俺も」

彼女と手を繋いで迎えた三度目の秋はこの学校で過ごす最後の秋でもあった。さよならを告げる彼女の瞳に涙が浮かんだと思えば今度は笑って好きだったなんて言うから、俺はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。いつものように余裕のある口ぶりで、俺も好きだと言えばいいのだろうか。

好きと伝えれば、彼女と同じように俺も下手くそな笑顔を浮かべることができるのだろうか。

「笑った顔、不細工だぞ。愛想笑い」

「違うもん」

上手な恋じゃなかった。あとから知った本当の気持ちにどうしてはやく気付けなかったのかと後悔はするけど、あの頃の記憶はいつだって綺麗で儚くて心地良くて、今でも大切なものだ。綺麗に笑う君と、真面目に生きる俺と、三度しか共に過ごせなかった彼女の嫌いな秋を思い出して、そうして馬鹿で若かった二人に笑みがもれる。

恋とは知らずに過ごしたあの秋の日。それでもきっと俺は、君を綺麗に愛せたと思うから。君が隣にいて呼吸をして、それに自然に合わせるように穏やかに動く心臓とか、紡ぐ言葉やもれる吐息、そのすべてが、その瞬間瞬間を君と共に生きていたのだと教えてくれて。だから、



「昨日はアディ、一昨日はキャロルで今夜はジーン?…そろそろ君も真面目に生きてみたらどうだい」

「お前もその愛想笑いやめろよな」

「うるさーい」

「真面目に、とは違うかもしれないけど…そろそろ二人で生きてみるってのはどうだい、マドモアゼル」

「…あの頃みたいに?」

「あの頃の馬鹿みたいな俺達とは少しだけ違う」

「そうしたら私はシリウスに他人行儀に愛想笑いしなくていいのかな」

「やっぱり愛想笑いだった」

「あ」

「不細工だったもんな、さっきまでの笑い方」

「ばーか」

マドモアゼルなんて慣れないフランス語と一緒に迎えた秋。君にさよならを告げられてから迎えた二度目の、秋。あの頃のトラウマを引きずっていまだに巨大イカと同じくらいにこの季節が嫌いと拗ねる彼女の隣に俺はいる。寒い寒いと言うから親切に魔法をかけてやった俺に今度は暑いと文句を言う君の、いつだか愛を紡いだその唇に、今度は俺からの愛を伝えるよ。


君を綺麗に愛せたと思う





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