筒闇のcaro(ちとくら)




聖書、などと言われては、まるでその心が純潔なようだ。
それに違わず綺麗なままで居た君の、左下に、死にかけた薄弱な黒。
仄暗く落ちた影に気付いた時、何故だか酷く引かれた。

嗚呼、それを殺してしまうなんて勿体ない、と。



















「千歳ーそこに居んのわかってんでー」
「あいたーバレとったとね」
「そないでかい図体してどこに隠れるっちゅーんや」

呆れ果てた、と言わんばかりの態度で現れたのは我らが聖書。
甘いミルクティーを思わせる色素の薄い髪が木陰に吹き込むそよ風に揺れて、とても綺麗。
否、彼はどんなところに居ても秀麗だ。木漏れ日以上の輝きに目を細める。

「まぁ、こないな天気や、気持ちえぇんはわかるけどサボりはあかんで」
「んん〜白石もたまにはサボらんと?」
「サボらへんて何べん言うたらわかんねん」
「たいが真面目やね〜」
「普通や、それにお前の場合は真面目不真面目の問題とちゃうわ」
「どげんゆうこつ?」
「本能的に放浪癖があんねやろ、どーにもならへんわ」
「あはは」
「笑とる場合とちゃうわあほ」

嗚呼、本当に清い。風貌もだが、声も、仕草も。まったく非の打ち所がない。誤魔化しが効かない。
呼び名どおりだと思っていた。そしてそんなところが少し苦手でもあった。
まるで日陰のない太陽の光だけに満ちた世界のようで。影すら彼の前では姿を隠せず明るみに曝されその存在を消されてしまうのだ。
見透かされたくないものまで見られてしまっているような感覚に囚われる。
できれば少し、距離を開けていたかった。だからふらふらとサボっていたのだが、そんな俺を探しに来るのはいつも彼だった。
大方優等生の彼が部活も一緒だという理由で担任にでも任されたのだろう。彼の親友は教室で暇そうにしているのではないだろうか。
部活には授業よりは出ている方なのだから、少しは見逃してくれればいいのに。
そういえば一度そう言った時に、授業に出ていないことが問題なのだと言われたが、よくわからない。

「ほら、もう昼休み終わるで」
「ん〜」
「千歳ー行くで〜はよ立ち」
「起こしてほしかー」
「あほか!」


手を引かれ戻った教室は久しぶりなような、そうでもないような。5限目の数学は子守唄にして眠った。








今日は月曜、部活はない。さて何をしようかと一考。
しかし相変わらず良い天気だ。季節は晩夏、日は傾きを早め、まだ吹くにははやいどこかの誰かに似たせっかちな秋風が心地よい。
教室の白い壁は熟れた蜜柑色に染まっている。
席に着いたまま眠ってしまいそうになったが、戸締りに来た教員に起こされるのは御免だとどうにか眠気を振り払う。

同じく夕日に染まる廊下をふらふらと歩いていく。ふと目をやった教室に、人影。
それはよく見知った顔だった。
常日頃から清く美しい、今日も俺を探しに来てはこの目を眩ませた彼だった。




ただ、俺はその時、凄艶だと、思った。普段感じていた純然さはそこにはなかった。
彼にも影というものがあったのか、なんて馬鹿げたことも感じた。
それが物理的なものなのか、抽象的なものなのか、わからなかったけれど。

窓際の席に座り、西日に照らされた横顔。
落ちる影は、前髪の、睫毛の、通った鼻筋の、それとも?
空を見る薄茶色の瞳には一体何が映っているのだろうか、何も、映ってはいないのだろうか。








「…千歳?」

ふと、そう思って見つめていた瞳がこちらへ向いた。

「白石が一人で残っとるん珍しかね」
「そうか?」
「とっくに帰っとる時間じゃなかね?」
「せやなぁ、普段はこんな時間まで居らへんかもな」

どこか潜められたような声にいつもの覇気はない。
影を落としているように“見えていた”だけではなかったのだろうか。

「たまにはえぇなぁ、こういうの」

再度窓の外へ向けられた瞳は、憂愁の色に揺れている。
これは彼の中にあった余白なのかもしれない。
何の色にも染まっていない、彼自身も気付いていない、まっさらな部分。
それは本来は影であるはずだ。だから彼には、影が感じられなかったのだ。
ただ、さっきは確かに影だと思った。

俺の願望なのかもしれない。
それは影であるべき部分なのだという。

「よかやろ?だけん今度サボってみんね、昼はたいが気持ちよかたい」
「……、まぁ、えぇかもなぁ」

嗚呼、これは都合のいい夢だろうか。もしかしたら俺はあの時、教室で眠ってしまったのかもしれない。
そう思うくらいには、今の彼は揺れていた。
やはり完璧な人間など居ないのだ。だからこそ愛しく思える。完成したものより、未完成ななにかの方が魅力的だと俺は思う。
そして、完璧だと思っていたものがそうでなかったとき、この上なく、焦がれてしまうものなのだと、知ってしまった。

美しく非の打ち所がない、けれど、影のない未完成な君。

「決まりやね、次の月曜待っとるけん」

戸惑いに揺れた瞳のまま、薄く微笑んで。誤魔化したようにも感じたけれど、そこに肯定の意が見えた気がした。
言い様のない感情が胸に込み上げる。強いて表現するならば、あたたかい、ただそれだけ。
そしてどこか、歪んでもいた。

「まぁ、来週まで気ぃ向いとったらな」

それは、いつもの彼の声だった。

そろそろ帰ろうかと彼に促され、日頃と変わらぬ会話をしながら学校を出た。
橙が紫色と紺色に呑まれ始めた空の下、別れの言葉を交わした。





それからは、早かった気がする。その気持ちが他の何でもない、恋心なのだと気付いた。
次の日には、彼はいつもと変わらぬ態度のままだったけれど。














1週間後の月曜日、彼は姿を現した。いつもの昼休みではない、今は2限目くらいだろうか。
陽も真上には昇りきって居らず、爽やかに朝の風がまだ残っているような、そんな過ごしやすい時間帯だった。

「忘れとるかと思っとったと」
「自分が言うたくせに」
「はは、」

あの月曜の放課後の彼だった。
恋焦がれた、彼だった。

「謙也に止められんかったと?」
「ん?あぁ、選択授業やから謙也とは取ってる科目ちゃうねん」
「そげんもんあっとね」
「選択授業も知らへんのか、お前どんだけサボってんねん」

喋りの調子はいつもと変わらない気がするが、やはりどこか物憂げである。

「ほぼ毎日こんなえぇとこで昼寝しとるんやな」
「よかやろ?お気に入りったい」
「んな誇らしげに言うことか」

穏やかに笑うその表情は、寂しげなようにも思えるし、儚くて綺麗だ。
自分の気の持ちようが変わっただけで、こんなにも見え方が変わってしまうものだろうか。
否、彼自身も自分と同じ気持ちで居るはずだ。だってこんな姿を見たことはないのだから。
都合がよすぎるだろうか?けれど、期待したくなってしまう。


暫時、考えに耽っていると、彼はふいに目を伏せて黙ってしまった。
目に見えて陰る様にどうしようもなく胸が高鳴る。

「なぁ、千歳」
「ん?」

飴玉のような瞳が再びこちらを向き直って。
その瞳が揺れているのは一体どんな感情からくるものなのだろうか?
推し測ることが、何故だかできない。
あの日のような戸惑いではない。けれどゆらゆらと彷徨っている。
こちらまで落ち着きなくふわふわとしてしまうような、そんな目で見つめないでほしいと、思う。
気持ちが零れてしまいそう、

「好き」
「、ぇ?」
「好き、なんや」

それは今、既のところで塞き止めた自分の感情であったはずなのだが。
幻聴だったのではないか?けれど、目の前の彼は先ほどとは違う瞳の揺れ方をしている。それは不安に、羞恥が入り混じったような。
テニスをしていれば日に焼けるはずなのに、焼けにくい体質なのか白い肌。頬がほのかに紅潮している。

「白、」
「やっぱ、」
「?」
「キモいやろ?」

口を開いた途端に、マイナスの感情が心を満たしてしまったのか、泣きだしそうな目に変わってしまった。
あぁそれも酷く煽情的だ。けれど、

「…そげんこつなか」
「、でも」
「そやったら俺も一緒たい」
「え?」
「俺も白石んこつ好いとう、だけんいっちょんキモいなんか思っとらん」
「嘘やっ」
「嘘なんか吐かん、こげな真剣な気持ちに嘘なんか吐いとっとばちかぶるたい」

いよいよ赤面してしまった彼の方が、比べる迄もなくいじらしく、愛しい。
何か言おうと口を開くのに、言葉が出てこない。目線は逃げ惑っている。そんな姿が、愛しくてたまらないのだ。

「ち、とせ」
「白石んこつ、たいが好いとう」

女子のように華奢ではない。しかし自分からすれば頼りなくも見える肩は、体は、想像以上に細かった。
甘そうな髪からはさっぱりとしたシトラスの香りがした。
どうしたらよいのか、と、硬直した肩。所在なさげにふわふわと空を掴む手。
その手も包み込んでしまいたい。けれど自分にはその体を抱き締める二本の腕しかない。
感じる体温も、胸の内に広がる感情も、同じくらいに熱くて。
吹き抜ける風が、木の葉を揺らす音と、お互いの呼吸、心音しか聞こえない。
時間にしては一瞬なのだろうけれど、酷く長い時間に感じた。穏やかでくすぐったい時間だった。




「ぇ、と…その、なんや」
「うん?」
「…俺らその、付き合う、んやんな」
「うん」
「そか」
「照れとる?」
「う、うっさいわ!」
「はは、俺も白石と一緒たい、どきどきしとる」
「…うん」








好きだ、という感情に俺が気付いたのは、ほんの1週間前だったというのに。
何がどうしてこんなにも嬉しくてたまらないのだろう。それは他ならないその好きという感情から成るものなのだが。

その後ぽつりと彼は、一年前、大会のダブルスの頃から気になっていたのだと言っていた。転校してきた時にはそれはそれは驚いて戸惑ったと。
俺の事を知れば知るほど、どうにもならなくなった、なんて。そんな可愛いことを言われては困る。
卒業するまでにどうにかしたくて、けれどなかなか踏み出せなくて、いい機会だと思ったから誘いに乗ったのだと申し訳なさそうにしていた。
まるで初めて恋をしましたと言わんばかりだ。いや、本当にそうなのかもしれない。
恋や愛は、どこか不純なものと隣り合わせなものだから。彼には今までなかったのかもしれない。

だから。
持て余していた、影の無くなった余白は俺に見つかってしまった。
俺は彼ほど綺麗な人間ではない。それなりに劣情に身を任せることも知っている。
では、彼は。その術を知らないまっさらな彼は。

その余白に再び影を形作ることさえ厭わないかもしれない。




戸惑いに塗れた純潔は、地に触れれば不純さにさえ一瞬で染まってしまうだろう。
嗚呼それは、なんて、甘美。

甘い蜜に満たされた妖艶な影は、次第にその心の大半を食い潰して。
純潔さを失った、俺だけの前に現れるのはそれはそれは凄艶な、影よりも深い筒闇のいとしいひと。




+++*

千歳が公式でカゲのある子が好きとか言っちゃってるから、ちとくらは仄暗いのが好きです。
というか、千歳には人の闇を増長させる何かがありそう。
白石には自分の中に闇があるなんて自覚はなさそうなので、いつの間にか引き摺りだされて呑まれてそう。
でもそうやってどんどん自分の色で堕ちていく白石が好きでたまらん千歳。
最初は千歳→←←←白石なんだけどだんだんお互い重たくなっていくちとくらが好きです。矢印が足りないくらいに←

caroはイタリア語で男性相手に使ういとしいひとという意味の単語。






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