NOVEL | ナノ

 にんげんかんさつ

その日、ちょっとした混乱があった。

受験の時期も終わった。
定期試験も終わった。
ようやく生活のリズムが戻り始めた帝光中学校。
授業が終わりSHRが終わり、部活の時間をとうに迎えたというのに、赤司征十郎が姿を見せない。



にんげんかんさつまきもどし



3月のカレンダーを捲って間もない月曜日。
気温は未だ低いのだけれど、差し込む日差しは春の陽気。
今日からはしばらく授業も流すようなもので(試験の返却で大体各教科一回は終わる)、生徒の雰囲気も穏やかなものになっている。

キーン、と耳の奥に響くバットの音、わいわいと聞こえる生徒の声、校内放送による委員の呼び出し。
どこの学校にもあるBGMはここ帝光中にも存在し、バスケ部の活動音もまた、普段ならそのオーケストラの一部になっているはずだ。
だが、今日は少しだけ違う。
練習の音、声に交じって聞こえる鈴のようなあの声が、今日は聞こえてこない。

「ばっくれ、」
「そんなんないっスよ〜赤司っちに限って。先生に頼まれもんとかじゃないっスか?」
「例えそうだとしても、連絡くらいよこすのだよ(赤司は最近ようやくスマホデビューしたばかりなのだよ)。」

青峰はさほど気にしていない、という風に体育館の天井を仰いだ。
まさかステージや二階あたりにいて、いつもとは違う視点でこちらを観察している、ということもありうるかと思ったが、さすがにそうでもなさそうだ。

「紫原君もいませんね。」
「二人でばっくれ。」
「だーかーら、青峰っちそれはないって。」
「…という訳なのだよ、黒子。」
「そーだな、テツ、お前、」
「はい?」

「「うちの王様と番犬を見つけ出して来い」」

色黒の青と、色白の緑と。
直感の青と、精緻の緑と。
日頃絶対合わない2人の声が珍しくシンクロし(恐らく後にも先にもこの一回だけだったのではないかと黒子は思っている)、黒子は一人体育館を追い出された。



自分が選ばれたのは、恐らくこの時期に問題があるのだろう、と黒子は結論付けた。
黒子テツヤは花粉症なのである。
それが、というか、花粉症の中学生など最近では珍しくないにもかかわらず、他のレギュラーが揃いも揃って花粉症ではないということがそもそもの原因だ。
幸い鼻には出ないので、本調子が出ないのは特徴的な大きな両目だけなのだけれど、これが中々厄介だ。
いろいろ試している目薬が今期3種類目だが、未だ効果的なものに出合っていない。
今使っている目薬が聞かなければ、次はもう眼科に、あるいは花粉症外来に行けと赤司に言われたのは昨日のこと。
何となく体育館から追い出された感があって釈然としない黒子だったが、あの赤司が、昨日もいつもと変わらぬ様子だった赤司が、今日に限って姿を見せないのは不思議だとじわじわ思い直し始めた。

「…」

そこまで考えてふと立ち止まる。
何が、なのかはわからないが、記憶の中の赤司にどこか違和感がある。
昨日の彼を懸命に思い返してみるのだが上手くいかず、黒子は教室棟へと駆け足で向かった。



2年生の教室、残っている者、練習している吹奏楽部、その中に赤色の特徴的な髪は見えなくて、赤司のクラスの生徒に聞いても、何も知らないという。
特に先生に何か頼まれていたということもないそうだ。
これはいよいよおかしな状況である。
例えば家の用であれ、私用であれ、主将が部員に何も言わず学校を立ち去るものだろうか。
つい最近スマホデビューしたばかりで、その日は“タップするのが面白い”と言ってはレギュラーの面々全員に電話をかけてきた赤司(そのときはまだスマホのメールの操作に慣れていなかった)。
黒子にかかってきたのは夜10時、最後から二番目の緑間には午前0時半と聞く。
はっきり言って迷惑だったと緑間は言っていたが、とりあえず彼はその文明を駆使して電話をかけることは出来る、その連絡手段すら取れないというのだろうか?

すべてをせいするおとこ、赤司征十郎。
文化祭での道場破りももはや定説で、その人気からその才能からその容姿から、自然と周りに敵も多い(しかもそのことに彼は無自覚で、なお性質が悪い)。
校内暴力なんていう言葉は聞かなくなった平成の学校においても、だが何が起こるか分からない。
…まあ、普段はいつも隣に巨大な番犬がついているから、赤司がその程度の輩に無体され煩わされることはないのだけれど。
加えて、それにもまして危険なのはいわゆる赤司のファン層だ。
大半は女子なのだが、これもまた最近の女子、中々侮ることができない。
黒子は先日、同じクラスの美術部の女の子がノートに赤司の裸体(…恐らく想像だろうが)を落書きしているのを見てしまって、軽いショックを受けたばかりだ。
美術部とあって、その顔は赤司によく似ていて、その体のラインや筋肉のつき方はやけにリアルだった。

(すごいことを考えて暮らしているんですね…。)

全てが全てではないと思っているけれど、それから黒子は少し、美術部の女子が苦手になった。

「まあ…それほど心配することもないんでしょうけど…」

3年の教室ものぞいてみたが、未だ2人は見つからない。
だがそんな状況で、無意識のうちに黒子は呟いた。
事実、おかしいとは思いつつ未だそれほど危機感がやってこないのは、いつも赤司の隣に立つあの紫色もまた、今は姿が見えないからだろう。
これで紫原が部活に出ていて、“赤ちん?知らないよー。”とでもなった場合、事態は一気に深刻なものへと変わるのだ。

色素の薄い赤色の髪も、特徴的な紫色の光沢をもった黒髪も、一体どこへ消えたのやら。



「…っ、」

…やはり赤司が言うように、眼科に行った方が良いのかもしれない。
1年の教室を見るために五階に上がってきたところで、治まっていた目が急にアレルギー反応を起こし始め、黒子はよろよろと窓側の壁に付属している椅子に座りこんだ。
保冷剤を挟んだハンカチで目を抑えると、いくらか楽になる。

目が痒い、涙が出る、赤司も紫原も見つからない。

さて、どうしたものかと何気なく視線を左にずらすと、黒子の視界に突如入り込む大きな制服2着。
…いや、大きな中学生が2人。

「!!!ぁかっ、」

あかしくんとむらさきばらくん、!

黒子は刹那襲ってきた目の痒みに気を取られたが、おかげで叫ぶのを何とか堪えることに成功した。



…髪の特徴的な色目も、大きな体も、見事に文化祭の大道具の残りに紛れ気付かなかった。
ミスディレクションも良いところだ。
人の十八番をとった挙句、寿命を縮めないでいただきたい。

「…あかしくん、むらさきばらくん…」

小さくつぶやく黒子の左で、未だ目を閉じたままの2人。
壁を背に眠りこける紫色は大変気の抜けた顔をしていて、完全に無防備状態。
その膝に頭を置くようにして、いわゆる膝枕状態でうつらうつらする赤色は、どこか疲れたような、だがとても、幸せそうな顔をしていた。
そしてその鼻のあたりが少し赤くて、黒子は昨日感じた赤司の違和感の正体を知った。



「あ、テツ君、」

それから、桃井が3人を発見するまでに、1時間は経過していたと思う。

ただでさえ影の薄い黒子、そして今や存在感を完全に消した赤司と紫原。

その頃にはもう黒子の目は治まっていて、太陽は西日になっていた。

「しー、」

たまたま持っていた文庫本、それを読みながら、だが部に戻ることはせず。
黒子は無防備な2人の隣で1時間を過ごしていた。

「テツ君、皆心配してたよ?ミイラ取りがミイラとかって、何のこと?」
「何でもないですよ(ニコ)。僕はただ、見つけて来い、と言われただけですから。」

2人とも起きないようなので、人間観察を巻き戻してみたんです。
と、黒子は続けた。
黒子が人間観察を好むことも桃井は知らないだろうが、深くは聞いてこないだろう。

「人間観察?巻き戻すって?」
「やってみたら、面白かったです。今度桃井さんにもお話しますね。」

「でもまずは…とりあえず、起こしましょうか。」
「うん、そうだね。練習もうじき終わるし。ほら、赤司君、ムッ君、起きて〜〜〜!」
「…?…、…、…(※低血圧)」
「あれー?黒ちんとさっちんー…?」
「きゃ…v赤司君とムッ君、寝起きのその顔、すごく可愛いよ!」
「えー、そーぉ?」

未だ寝ぼけ眼の紫原は状況がまだ読み取れていない。
一度体が休眠状態になって、血圧が下がったのだろう、低血圧の赤司は覚醒すらしていない。
その姿を写真に収める桃井の横で、黒子は持っていた文庫本を閉じた。

間違えて買ってしまった、中々読み進まなかった純愛ミステリー。
主人公の男女が愛ゆえに心中、なんていう悲劇はなかったが、犯人かもしれないと疑っている恋人が差し出した薬を、ためらいなく飲むなんていうシーンが何ともベタだ。
結果、恋人は犯人ではなくてハッピーエンド、だったのだが。

「…、」
「赤司君〜起きて〜?」
「…、…」
「赤司君〜!」
「…無理ぽいねー…いーわ。俺運んでくー。」

一般的な中学生に比べるといくらか背の高い赤司でも、運動部で鍛えている赤司でも、紫原にかかればひょいと効果音が付きそうなくらい軽く抱き上げられてしまう。
その格好で窺いやすくなった赤司の顔を、もう一度観察する。
やはり鼻のあたりが赤い。擦った痕。目の周りを縁取る赤い腫れ。

いつもはリアルタイムで行う人間観察「あの人は今、ああいう風に考えていて、こういう状況にいる」、たまには巻き戻してみるのも面白い「この2人はああいう流れを経て、こういう状況にいる」。

花粉症の赤司と、多分そうではない紫原。
いつになく苦しそうで、辛そうな赤司と、多分そういう状況には陥っていない紫原。
花粉症の内服薬の催す眠気は、これ以上ないものだ。
そんな状態で体育館をふらふらされたら、危なっかしくて仕方ない。
無理を通そうとする赤司と、多分そうはさせない紫原。

言い合いの最中、いつしか眠ってしまった姫を見つめながら、番犬もまた眠ってしまったのか。
折り合いがついて、少しだけ寝かせろ、と言った姫を膝に乗せながら、衛兵もまた眠ってしまったのか。
赤司が覚醒したら聞いてみるのも酔狂だが、それは今日は触れないでおこう。
想像しているだけの方がより楽しいこともある。



にんげんかんさつまきもどし



(2人に何があったか考えている方が、小説なんかより、ずっと面白かったです。)



end.

花粉症、薬を飲むと眠い。
黒子は、赤司に無防備に頼られるむっくんにちょっとだけ嫉妬するけど、基本いい人。
そのままさっちんとくっついちゃってもいい。…でも青桃も良いなぁ…。

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